野田唯一の酒蔵「窪田酒造」&「窪田味噌醤油」水運の面影を残す景色 -運河⑵

野田唯一の酒蔵「窪田酒造」&「窪田味噌醤油」水運の面影を残す景色 -運河⑵

野田市唯一の老舗酒蔵「窪田酒造」。利根運河沿いに構える蔵の建造物と、その隣には「窪田味噌醤油」。歴史を今に伝える二軒が残っています。

野田市唯一の酒蔵「窪田酒造」と歴史

千葉県野田市山崎685。引き続き利根運河沿いを探索中。利根運河の歴史については前回の記事をご覧ください。

利根運河沿い

利根運河右側、散歩コースを歩いていると大きな蔵が見えてきた。これは立派!窪田酒造の建造物に関して多くはネットに記載がないが、移転してきた明治期のものかな?

大きな蔵が見える
併設の門

窪田酒造は、明治5年(1872)創業。野田市では唯一の酒蔵である。

窪田酒造

窪田酒造(くぼたしゅぞう)は千葉県最北の地・野田市の利根運河沿いに蔵を構える酒蔵。創業は明治5年で野田市唯一の老舗酒蔵です。2023年時の当主は五代目。
滋賀県出身の初代・宗吉が、一度茨城県に出て酒蔵をつくりましたが、明治7年に酒造りに欠かすことができない豊富な良水と運河による水運の便を求めて千葉県の野田市へ。さらにその後、利根運河の完成をうけ、明治28年から29年にかけて、現在の運河沿いへと酒蔵を移しました。隣には、現社長の祖父の代で分社化されたという醤油と味噌の工房もあります。原材料は異なるものの、発酵食品である味噌や醤油は、酒づくりとほぼ同じ工程。分業となった当初もしばらくは、酒づくりが終われば、味噌、醤油というように、同じ職人たちがつくっていたと考えられています。
その後、規模が大きくなったことから、完全なる分業へと形が変わっていきましたが、現在も窪田酒造では酒のほか、昔ながらの製法でみりんも製造しています。国産米を贅沢に使用した本みりんは、甘みと風味がとても良いと評判です。酒もみりんも料理の味を引き立たせると大変重宝されています。(CHIBASAKE.COMより)

滋賀県から茨城、良質な水と水運の便を求めて野田市へ。

当時の利根運河は蒸気船が通るなど水運の町として知られていました。明治28年から29年に移ったそうなので、蔵はその頃のものかな?

販売店舗

現在は、世代交代により蔵人が減少し量より質にこだわっているとのこと。

販売は下の写真の店舗で行っている。日曜日祝日が休みでこの日は開いておらず残念!

代表銘柄酒は「勝鹿(かつしか)」。万葉集の詩から命名されたそう。日本酒だけでなく昔ながらの製法で造った「本みりん」も評判とのこと。気になる方はぜひ。

 

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利根運河沿い「窪田味噌醤油株式会社」

そして隣には窪田酒造から、分社化されたという窪田味噌醤油株式会社。規模が大きくなったため完全分業になったそう。大正14年創業。

窪田味噌醤油株式会社

窪田味噌醤油株式会社は窪田酒造には無かったしっかりとしたホームページがあるところからも分社化されていることが分かる。

当社は、大正14年(1925年)初代社長 窪田倉蔵が、江戸川と利根川を結ぶ運河に沿った千葉県野田市において 味噌の醸造を始め、昭和9年(1934年)から醤油の醸造を始めました。以後現在まで、首都圏一円を中心に全国に商品を送り出しております。

広い工場

 

工場見学とか機会があればしてみたい…良い渋みを持った工場だなあ。惚れ惚れ。

「天晴」が窪田醤油のブランド名。「江戸の昔から、日本一の生産量を誇る醤油醸造の地「野田」の名に懸けて、いい仕事をする醤油になれ! 「天晴!」と褒め称えられる仕事をして来い。」との思いを込めて製品を送り出してきたという。

天晴

そしてこちらも店頭で販売が行われている。眼下に見える屋敷に向かって入口を探して土手をさらに東へ進む。

蔵の東側へ

フェンスに受付の看板が見えてきた。土手を一回降りて、土手沿いに下の道を西へ進む。

受付
土手から見える門

屋敷の門が窪田味噌醬油株式会社の入り口。しかし、こちらは土日が休みだった。ガーン。社会人にはつらい。

窪田味噌醤油株式会社

スタッフさんが優しいらしい。ネットショッピングで簡単に買うことはできるが、この大正時代の面影を残す建物でスタッフさんと話しながら買うのが良いのだ~ リベンジしよう。

店舗が見える

初見だとどこが入り口か分かりづらいが、土手を降りて進めば大丈夫。最寄り駅の運河駅からは徒歩17分。私の代わりに皆さん行ってみてください。

 

 

(訪問日:2022年5月)

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