野田市上花輪「小西屋酒店」周辺と「東福寺」のレトロな街灯に一目惚れ

野田市上花輪「小西屋酒店」周辺と「東福寺」のレトロな街灯に一目惚れ

この日は、野田市の上花輪へ!東武アーバンパークライン野田市駅西口から南西方向にある古き良き住宅街。最後に辿り着いた東福寺に気になるものがありました。

野田「小西屋酒店」周辺の街並み

千葉県野田市上花輪。県道80号沿いの大杉神社から南にある、上花輪の住宅街を歩きます。今まで何度も野田は歩いているけれど、この辺りは初めて。母と探索しました。

閑静な住宅街ではあるものの、道沿いに街灯があるので昔は商店街だったのかも?と思っていたら「小西屋酒店」が右手に。

小西屋酒店

今も営業しているかは不明。

隣にも素敵な建物。松の木と相まってタイムスリップしたような景観だなと思った。元々はどのような商売をされていたのだろう。

元商家?

松の木の傍に、野田市まめバスのバス停「上花輪三町内」がある。この辺りが中心として栄えていたのかもしれない。

石畳も良い

向かいの古民家も素敵。2階から眺める景色が良さそう。

駐車場?の角にあるのは、上花輪の小社。ロープが張られていて立ち入ることができない。

上花輪の小社

さらに南へ。右手には新興住宅街が広がっていた。2012年のストリートビューを見ると古民家と畑など、長閑な場所だったが10年で変化は大きい。

自動販売機

自動販売機が置いてある商店?駄菓子屋という情報もあるがGoogleマップには載っていない。

商店?

店内には営業中の看板も見えるが営業している雰囲気があまり無かったのでまた次回。時間帯が早かったのかもしれない。

駄菓子屋?営業中?
門柱が立派な古民家

右手は畑だった場所一体が新しい一軒家が並んでいる。その角に、庚申塔の石碑が残っていたのは嬉しい。

庚申塔

さらに行くと、お店らしい建物が2軒。この辺り、本当に静かで全然人とすれ違わないなあ。

さらに南へ

手前の建物には「野田週刊社」と木製の表札。野田週刊社?調べても全く情報が無いのだが、ご存知の方いたら教えてください。

野田週刊社

追記:1967年刊の『民間信仰を中心とする野田市金石資料集』にも出てくるので、野田の博物館か図書館で情報が得られるかも、と地元の方からコメントをいただきました。今度調べてみよう!

隣は中華料理屋「花輪」。2012年頃は営業していた。Googleマップに残っている口コミを見ると、令和元年の大晦日で閉店したらしい。

花輪

並びにあるのは、2012年のストリートビューから元タバコ屋さんと推測。

閉店している
タバコのホーロー看板
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真言宗豊山派 東福寺

千葉県野田市上花輪771。真言宗豊山派、東福寺へ。

真言宗豊山派 東福寺

バス停と並ぶ小さな祠。調べてもあまりネット上に情報が無い東福寺だが、駅からも離れているので訪れている人が少ないのだろうか。

バス停 東福寺前
大正時代と描かれている

江戸時代にはいって全国各地に盛んにつくられた四国八十八カ所の、新四国八十八ヶ所運河霊場の一つと思われる。昔は多くの参拝者がこの場所を訪れたのだろう。

新四国八十八ヶ所運河霊場
東福寺

『角川日本地名大辞典』によると、東福寺から寛政5年銘の武蔵板碑が出土したらしい。

庚申塔

角に設置されている庚申塔は道標の役割も担っている。

正面右より、流山・吉川・江戸。
側面右より、成田・山崎。
山崎は、野田市駅の隣駅の梅郷駅近くにあった山崎宿のことを指していると思われる。吉川は最初読めなかったけど、埼玉県にある地名のようだ。

道標として

東福寺境内はこじんまりとしているが、とても綺麗に清掃されていて気持ちが良い。

私が一番気になったのが、入口近くにあるコンクリートの柱。正面の文字は、成王山?

柱が気になる

現在も街灯として現役というところもポイント。

街灯!

裏面を見たら、大正四年四月と文字が残っていた。大正時代の街灯が現在も倒壊せずに残っていることが素晴らしい。

大正4年

東福寺と描かれた門柱は新しいが、周りを囲む外壁もそのまま残っていて味わい深い。流山街道や江戸川の渡しを渡ってきた旅人が立ち寄ったことを想像しながら…

2012年のストリートビューでは寺の南側に元商店の建物があった。

向かいには石造りの蔵。

石造りの蔵

もう少し南、江戸川へ進むと「上花輪 大黒天さん道祖神」があるらしいのだが、この日はここで折り返してしまった。次の目的地、上花輪歴史館を目指して。

立派な門柱に惹かれて

 

 

(訪問日:2021年11月)

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