昭和の飲み屋街?西千葉駅北口の一角が渋い建物が密集していてびっくり -西千葉⑴
西千葉駅。北口には、心霊スポットと呼ばれる松の木がちょっとした有名になっているが、元は佐倉藩の処刑場だったという歴史を知るとなんだか納得する。
今回は、心霊スポットではなく、昭和の飲み屋街の跡のような一角が気になった。
西千葉駅北口
総武本線「西千葉駅」北口へ。
千葉大学の西千葉キャンパスが北口からすぐそばにある。他にも、千葉経済大学など多くの学校があるため、学生街が形成されている。
西千葉稲荷大明神と佐倉処刑場跡
学生街として知られる西千葉駅だが、心霊スポットとしても取り扱われている。
【心霊スポット検証】処刑された罪人の魂が宿るという『祟りの松』で謎の殺気を感じた件 / 千葉・西千葉駅前
あまりこういう類は深入りしないタイプだが、実際どうなのだろう?駅前には「西千葉稲荷大明神」がある。
かつてこの辺りは、佐倉藩の処刑場だったらしく、「首切り塚」「首切り山」と呼ばれていたそうだ。そのため、供養として松の木が植えられ、現在もロータリーの中心には大きな松の木が林立している。役150年間に147人が処刑されたらしく、昔はもっと多くの松の木があったのだろう。
松の木を切ったり、触るだけでも祟りがあるとか、噂は絶えない。実際に区画整理で松の木も伐採する予定だったそうだが、工事関係者が病気や事故に見舞われ、白紙に戻ったという。
過去の人々に思いを馳せて…探索へ。
昭和な飲み屋街の名残?
大明神から交差点を渡り、広場の横にある建物が気になった。
寂びた壁に、きそば、中華の文字が見える。そば屋「平凡」というお店だったそうだ。
「きのこ山書房記」さんにて2010年の様子が載っている。
街灯は今は傘のみだが、かなり古そうだ。残っているのが奇跡的。
現在、建物は喫茶店「平凡」として営業中。ブックカフェのようなオシャレなお店になっている。その奥は画廊だ。
広場を囲むように古い建物がある。こちらは飲み屋街の跡だろうか。
昔は2階の座敷で飲み会ができたそうだ。右手にある理容室も古い。
千葉大学の学生たちが利用していたのだろうか。今は営業してい無さそうに見える。
ふくろう広場
広場は「ふくろう広場」と呼ばれているらしい。
中央にはふくろうの像があるのだが、色が落ちてしまったのかな。
昭和な飲み屋街つづき
広場から一本東側の通りにも飲み屋街のような店舗が並ぶ。左手前にもスナックなどのお店があったが、取り壊されている。
スナックひろこ、やすらぎの看板は昔から変わらない。
さらに奥にもお店が。表からは見えにくい場所だが飲み屋街が広がっている。
駅側にある茶葉販売店「鈴鹿園」の緑の看板が目立つ。
日曜日が定休日だったが、有名なお店みたいだ。
ゲームセンターもレトロ!
今度は北口を出て左側へ。コロナ禍ということもあり、飲食店は閉まっているお店が多い。
何もないかと思ったら、古そうな建物にカラフルな看板が目についた。
ラッキー西千葉店。レトロゲームが手軽に楽しめる、ゲーム好きにとっては聖地のような場所らしい。帰宅してから知った。
店内は禁煙だそうだ。ちょっと裏から入るのは勇気が無く断念してしまったが入ればよかった。なぜ表側に行かなかったのだろう。
唯一生き残ったゲームセンターらしい。レトロなゲームセンターも今は少なくなっているので貴重かもしれない。
電柱に「東大」と書いてあるのが気になった。
なぜ東大?と思ったが、千葉大学のホームページに記載されていた。
西千葉地区は、1942年に「東京帝大第二工学部」として開かれた場所で、その10年後には「東京大学生産技術研究所」となりました。
一方、1949年に誕生した千葉大学は、校舎が市内3カ所と松戸市2カ所、また四街道市にも分散しきわめて不便でした。それを解消するため、東大敷地中の8割を千葉大の拠点キャンパス地として譲り受けたのです(2割は実験所として残された)。
移転整備が始まったのは、1962年のことでした。
「東京大学生産技術研究所」は最近撤退、解体工事に入るらしい。
その名残が電柱に残っているとは興味深いな~
西千葉駅は北口も色濃く残っていて面白かった。
(訪問日:2020年12月)
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