西船橋駅駅周辺の気になる建物(商店街・キャバレー・長太郎・昭和のお城…)

西船橋駅。みなさんはどんなイメージがありますか?個人的には居酒屋やホテルが多く、大人の街だなと思っていました。
西船橋駅前の商店街や歴史について探ります。
「西船橋商店会」~JR西船橋駅
千葉県船橋市西船4丁目。JR「西船橋駅」に向かって、国道14号・千葉街道から南下していく。

人も車も多い交差点。ビルの上の24の文字は、まんが喫茶。

あと、「デイジイファースト」とおもちゃの兵隊のイラストの看板が気になる。ビルの名前みたいだけど、ただのビルなのに看板が素敵だな~

追記:デイジイというパン屋さんがビルの1階にあったとのこと。今は閉店しているので看板だけ残っているのだろう。
交差点から駅へ向かう通りは「西船橋商店会」と呼ばれている。

My Funaの「西船橋商店会/開業53年の西船橋駅と歩む賑やかな商店会」で紹介されている。
商店会は創業時より代々引き継がれている老舗から日用品、理美容・医療やアミューズメント施設まで多種多様な店舗が100軒以上並ぶ。
駅へ向かう人も多く、賑わっている通りだ。50年以上続く老舗店もあるようだ。

「葛飾小学校開校の地」の石碑。昭和34年に国鉄西船橋駅開業に伴って移転したという。

かつては西船橋駅の場所に、小学校の校舎とグランドがあったと「船橋今昔物語」で紹介されていた。
現在、商店街は一部アーケード屋根がついている。西船橋商店会は「北口商店会」とも呼ばれているようだ。

老舗煎餅店「花見せんべい」
50年以上前、西船橋駅周辺にお店がほとんどなかったときからある老舗せんべい店「花見せんべい」。1959年創業。
1枚1枚丁寧に焼き上げた煎餅が人気だったのだが、最近、火災があり建物が焼失。2014年のストリートビュー↓
今は更地になっている。
実はこのお煎餅屋も、私が個人的に探している煎餅屋のひとつ。各地の検見川せんべい、谷津せんべいなどと関係が深いお店だった。
火事になり、閉店してしまったので一足遅かった…

JR西船橋駅前のレトロなビル
「西船橋駅」は、昭和33年(1958)に旧駅舎で開業。古くから交通の要所だったが、それは現在も変わらず。東京メトロ・東葉高速鉄道の乗り換えで多くの人が行き交う。

西船橋駅前にある5階建てのビル、よく見たらレトロなビルだなと。

現在は、サイゼリヤなどチェーン店も多く入店しているが、昔はショッピングセンター的な場所だったのでは?と勝手に想像した。
東京.comさんの記事によると、以前は「西船駅前プラザ」と文字があったようだ。
また、以前は大きな書店もあったとか。
キャバレー
西船橋で存在感を放つのが、北口にあるキャバレーの看板。

ホームや電車からも良く見える看板は、最近まで「キャバレーってなんだろう?バレー?」と友達の間でも話題にしていた。
キャバレーは、舞台やダンスホールのある酒場。ナイトクラブとも言うが、全国的に数が少なくなっている現在、西船橋に残っているのはレアなのでは…

フィリピン、ロシア、日本とあるので国別にフロアが分かれているようだ。カラオケや麻雀もある。
夜のネオンの写真も今度撮ろう。キャバレーだけでなく、風俗店も多い西船橋…昔のストリートビューを見ていたら、他にもタレントキャバレーの看板など色々発見した。

前よりも怪しい看板が減ったような気がするが、それでも近くに学習塾があるようには思えないカオスな雰囲気。
西船橋がどうして、このような大人の街になってしまったのか、またわかったら追記しよう。
長太郎ビル
西船橋駅南口からすぐのところに、ボーリング場「ストライカーズ西船ボウル」がある。かつてそこは「長太郎ボウル」という名前だった。もしかしたら地元の人にとっては懐かしい名前かもしれない。
My Funaの2009年の記事「こんにちは、ふなばし 船橋が生んだ大実業家 滝口長太郎さん」に興味深い歴史が残されている。
千葉を代表とする実業家として有名な故・滝口長太郎さん。
彼は、昭和21年に海草問屋「長太郎商店」を立ち上げ、次々と事業を立ち上げる。
昭和41年に分譲住宅「長太郎団地」、市川に「長太郎ボウル」、西船橋駅前に「長太郎飯店」「長太郎会館」、「長太郎カントリークラブ」など幅広く展開。
西船橋駅前の長太郎会館は、ビリヤード、カラオケ、中華料理屋が合体した娯楽施設だったようだ。2005年頃に閉店したとあるので、私は覚えていない
現在も、ボーリング場の建物には「長太郎ボウル」の看板が残っているので今度撮影しにいこう。
西船OS劇場(ストリップ劇場)
西船橋にもストリップ劇場があった。検索すれば、情報がたくさん出てくるので有名なストリートビューだったと思う。
その名は「西船OS劇場」。
「ベイタウン旅行倶楽部」にまとめられているが、劇場があったのは、西船橋駅南口から少し離れたマンションの辺り(海神町南1-715)らしい。
「SMPEDIA」の情報によると、昭和45年(1970)に「西船南口ミュージック(西船淀君)」として開館。昭和46年(1971)に「西船OS劇場」と改名。その後、平成8年(1996)に閉館している。
「西船OS劇場」の名は、関東、いや全国でもトップの人気だったという。
当時は電車からもその華やかな看板が見えたとか?今南口周辺はホテル街。
当時の劇場の写真があまり無いのだが、Twitterで1977年のイラストが載っていた。
国電、地下鉄、西船橋駅南口から歩いて8分
250人つめ込めるという劇場の外観は、一見倉庫のようで、無愛想な建物。この前が駐車場で、遠出の東京ナンバーの車も多い。
かつて千葉県にはストリップ劇場が33店舗あったそうで、その最後の劇場である船橋の「若松劇場」が数年前に閉館し、歴史は幕を閉じた。
中山競馬場の最寄り駅だった
なぜ、西船橋は大人の街になってしまったのか?
調べていると、中山競馬場の最寄り駅として賑わっていたという記述があると教えていただいた。Myfunaの「西船橋の今昔」に記載がある。
開設当時は、主に中山競馬場の最寄り駅として、競馬の開催日にはにぎわっていましたが、普段の日は閑散とした駅でした。その後、昭和44年には営団地下鉄(東京メトロ)東西線の起点駅、昭和53年にはJR武蔵野線、昭和61年には京葉線の起点の駅として、さらに平成8年には東葉高速鉄道の乗り継ぎ駅として、今では一日の乗車人員が約34万人で、県内随一の乗車客数になりました。
開設当時は、中山競馬場の最寄り駅で競馬開催日ににぎわっていたという西船橋駅。今とは全然違う様子だったことがわかる。
中山競馬場までは徒歩約30分、バスもある。多くの人が集まっていたから、キャバレーやストリップ劇場が集まっているのかもしれない。
ホテルニューシャトー
最近、市川駅前のホテル「シャトー」が解体されていると話題になっているが、西船橋駅近くにも「ニューシャトー」があった。
2019年まではニューシャトーだったのだが、最近変わってしまったらしい。
県道180号沿い。まるでヨーロッパのお城のような外観!昭和のホテルは本当にすごいなあ。
追記:2019年頃の写真
2019年頃に撮影した在りし日の写真を提供してくださる方がいました!

赤い看板と茶色のお城のような外観がとても可愛い…昭和のお城って感じ!

シャトーは小岩、市川にあったけど、同じような外観なのでチェーン展開していたのかな?建物は今も残っているので気になる方は見てみて下さい笑
小岩→西小岩通り会「元気の出る商店街」小岩駅北口、喫茶店~ホテル街へ -小岩⑪
市川→「市川駅前西通り」と、昭和のお城「ホテルシャトー」は閉店・解体 ー市川駅北口
(訪問日:2021年2月)
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長太郎会館の中華料理は昔(30年位前?)家族で行ったことがあります。
その時代の船橋市民にとって中華料理店としては有名だったと思います。いつの間にかなくなってしまったのですね。
西船OS劇場は総武線の窓から見えて「大人になったら行くぞ!」と思っていたら無くなってしまいました(笑)。
有名なお店だったんですね!劇場、行けずに閉店してしまったのは残念です笑
西船OS、電柱に「捨て看板」でショーの宣伝が貼り付けられてましたね。具体的な宣伝文句はここでは書きませんが(笑)
今ではこんな宣伝方法は絶対にアウト!改めて昭和って何でもありだったんだなあ、と。
ニューシャトー!(笑)ここは懐かしい!!
平成ヒトケタの頃の話ですが、入店時におばちゃんに靴を預ける(持っていかれる)んですよ。退店時清算なので逃走防止かと。。。おばちゃんから聞いた話では捨てるような靴を預けて別の靴で未清算逃走する輩もいたとか。
混雑時の入店待ちの待合室で彼女とおばちゃんとワシとでそんな話で盛り上がるのどかなラブホでした。
今じゃ殆どのラブホが前清算やフリータイム制でこんなシステムはとうの昔に廃れたでしょうなあ〜。
そん時の彼女が今のカミさん。。。あれ?違った??