松戸駅前「ニュートーキョーセブンビル」。昭和レトロなビルがすき
今回は、個人的に心を掴まれた昭和のセンスが光るビルをご紹介!
地元の方にとっては当たり前の風景でも、意外と違う視点で見ると面白いことってありますよね~
ニュートーキョーセブンビル
千葉県松戸市松戸。松戸駅東口を降りてすぐ南側にあるのが「ニュートーキョーセブンビル」。いたって普通のビルに見えるが、左側に縦文字でビルの名前が書いてある。
以前、2006年に閉館した松戸の「バンダイミュージアム」を紹介したが、ミュージアムが存在したのがこのビル。「松戸バンダイミュージアム」世界初の等身大ガンダムの胸部!わずか3年の思い出
ペデストリアンデッキだと2階?からビル内へ入るのだが、宝くじ売り場がある左側の入り口にレトロな「ニュートーキョーセブンビル」の看板が!
フォントも素敵…今まで正面入り口から入っていたので気づかなかったなあ。
文字の左には、「NEW TOKYO7」とロゴマークのようなデザインも。夜になったらネオンが光ったりするのかな。
こちらは1階の入り口で見かけたレトロな花柄タイル。
ビルにレトロなタイルが残っているところって珍しい気がする。
1階の入り口には、先ほどとは違うデザインの「ニュートーキョーセブンビル」。
赤と白の色使い…ガンダムを連想してしまうのは私だけだろうか。もしやバンダイミュージアムが存在したことが影響している?真相はわからない。
それにしても、なぜ千葉県の松戸なのに「ニュートーキョー」?
地上7階建て、鉄骨鉄筋コンクリート造りなのはわかったが、竣工年がわからない。またわかったら追記しようと思う。
追記:ニュートーキョービルの情報
Twitterに寄せられたビルの情報。詳しくわかってきました。
・ビルができるより前(昭和40年代)、東口北側(現ファミマの建物)にレストランの「ニュートーキョー」があります。建物は現在も残り、2Fは2015年頃までは「ニュートーキョー」のイベントホールだったようです。
・運営会社名は「ニュートーキョープラザ」で、東京の「ニユートーキヨー」と関連があるかはよくわかりませんでした。
・「ニュートーキョーセブンビル」の建設は昭和49年の写真にはなかったので、それ以降かと思います。同ビルを「ピアザ松戸ビル」(共同ビルなのかもしれません)としている不動産サイトもあり、同一であれば1977年築です。増築かもしれませんが、現在は9階建てです。
・1987年の入居者
1階、2階 イタリアントマト
3階 ニュートーキョーサロン、靴のブラザー総業
4階、5階 美容室ロイヤル
6階 ハクビ京都きもの学院
7階 スカイルーム、㈱ニュートーキョープラザ本部、㈱こじま
・ミューラスというバンプレストの子会社の声優事務所で、20年ちょい前は毎週日曜にここのホールでイベントをやってたみたいです。
追記:松戸ポンテの歴史
記事を見た方から、かつてこのビルが「松戸ポンテ」という商業施設だったことを教えていただいた。→「ぶらり…松戸市」
西口には「ボックスヒル」「伊勢丹」「ダイエー」があり、東口に「ポンテ」。松戸駅最古の駅ビルとも言われている。
ポンテというショッピングセンターの名前は初めて聞いたが、地下に食品売り場、上の階には本屋の多田屋があったそうだ。
閉店した後は一時期、廃ビルのようになっていたそうだが、バンダイミュージアムができたことで活気を取り戻し、現在に至るという。
追記:サンリオ劇場?
地元の方からのコメント。もともとはボウリング場だった場所に作られたようです。JRの線路沿いにありました。ちょっと駅から歩くのが敗因だったのでしょうか? いまはマンションになっているそうで(涙)
松戸駅近くに、サンリオ劇場…!
1993~2013年に閉館。廃業した松戸ボウルの跡地に建てられた、サンリオの直営館だったそうだ。見てみたかったな…
シールプリントコーナー
レトロなビルのついでに、東口で見かけた「シールプリントコーナー」の看板もレトロなので記録しておこう。
東口にあるイトーヨーカドー松戸店の北側。現在、ビルの1階はTシャツのお店?になっていてシールプリントコーナーがあるような感じはしない。
しかも、シールプリントって…今でいうプリクラのことだと思うけど、時代を感じるなあ。
よく見たら、下に「BERMⅡ」と書いてある。夜のネオンが光った状態を見てみたいものだ。
調べていると、南側にあるゲームセンター「ソニックビーム」の2号店がこのビルに存在したことがわかった。
2009年のストリートビューで既に閉店しているが…
ゲームセンターやシールプリントコーナーも時代の流れの中で需要が少なくなってきているのだろう。今はスマホ一つでゲームも写真も出来てしまう。
私の小さなころは、まだゲームセンターに行くことがとても楽しみだったんだけどなあ…
(訪問日:2021年5月)
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こんにちは!表の家ホームページで、松戸のレトロな昭和史を調べて楽しんでいます。さて、ニュートーキョーの件ですが、私の知る部分について書きます。
私が小1の頃昭和38年の松戸駅東口ロータリーの北側にはニュートーキョーレストラン、南側には東京庵というレストランがありました(多分同経営者だったと思います)。
東口の北側(後のポンテビル側)は新宿のゴールデン街的な街並みで飲み屋や商店が軒を並べて、ゴチャゴチャしていました。この一帯は大人の世界という感じで、子供が入りにくい雰囲気がありました。
昭和40-50年代、この北側のゴチャゴチャの一帯を再開発する事になりました。それがポンテビル(→ピアザビル)になっていくのですが、東京庵側は周辺の開発地の中の土地をいくつか持っていた様です。
普通は、新ビルが出来る時は、等価交換方式にして、新ビルの中の一定の場所を与える条件で、買収していきますが、東京庵側と話し合いが不調になったのかもしれません。結局出来上がってみると、二つのビルが合体した形で完成しました。
その為、ペデストリアンデッキ側からビルを観ますと間口1/3左側のスパンが、ニュートーキョーセブンビルとして、右側2/3がポンテビル(後のピアザビル)となり、奥行きはニュートーキョーセブンビルは柱2スパンだけで、確か32坪だったかな?となっています。なお、ニュートーキョーセブンビル内にも独立したエレベーターと独立した避難階段があります。中に入ってみますと分かりますね。
したがって、ポンテビル(後のピアザビル)側としては間口が狭いビルになってしまっています。間口2スパンの内、右1スパンはコアなので、共用廊下としては1スパンしか無いので効率は理想的ではありませんね。
なお、有楽町のニュートーキョーレストランとの関係は私も調べてみましたが、良く分かりません。多分関係は無かったのではないかと考えています。
こんにちは!コメントありがとうございます!
松戸駅の変遷、詳しく知らなかったので助かりました。松戸は歴史深い街ですし、記録に残したいなと思う場所が多いですよね!
「表の家」さんのホームページも拝見させていただきます。
これからもぜひよろしくお願いいたします!
明里さん、
その後、昭和37年の商店街マップを見ますと、あったのは東京庵だけで、ニュートーキョープラザ側にあったのは中華のお店のようでした。ご参考まで!https://omotenouchi.jp/new-tokyo-seven/
この地図は一週間ほどで削除しますね。
明里さんの調査期待しています。
頑張って良い記録を残してくださいね!他の記事も見ますね!
貼り付けた地図をもう一度よく見たら、ニュートーキョープラザ側にあったのは、中華ではなくて、
新チク中、つまり新築中と書いてありました。訂正します。
ご丁寧にありがとうございます!貴重な地図ですね~
ぜひ、これからも情報交換させていただきたいです。よろしくお願いいたします!!