「根津はん亭本店」根津のシンボル?登録有形文化財の串揚げ屋の建物!
東京都文京区根津のランドマーク的な存在になっている国登録有形文化財の「はん亭」の建物。
知っている方も多いと思うが、2011年、今から9年前に撮影した写真とともにはん亭の建物を振り返る。
はん亭の歴史
見所が多い根津周辺、散策していると根津2丁目、3階建ての木造建築物が目の前に現れ、圧倒される。大正初期頃、1917年に下駄の爪皮屋として建てられた建物だという。※爪皮(つまかわ)というのは、雨や泥をよけるために下駄などのつま先につけるもの。
1999年に国の登録有形文化財に指定された。はん亭の建物については、はん亭のホームページに詳しく紹介されている。
上野の講談専門の寄席、本牧亭(ほんもくてい)の裏で串揚げ屋「くし一」を開業したのち、現在のはん亭の建物を購入し、1976年頃に改修工事を行い「はん亭」と屋号をつけて営業を始めたのだという。
そして、不忍通りから見ると、壁全体が格子で覆われているのだが、平成のはじめに行われた不忍通りの道路拡張工事によって、道路に面している建物部分が削られたためであるという。それを隠すように「鉄の矢来」で覆い、復元しているのだそうだ。
道路拡張工事は仕方が無いことだが、ちょっと悲しい…
はん亭の建物
改めてはん亭の建物を見よう。3階建ての木造建築物が残っているのは都内では珍しいのではないかと思う。
3階から見る景色はどんな感じだったのだろう。
旧町名案内にて、このあたりが「旧根津宮永町」という町名だったことがわかる。根津を散歩していると、この案内をよく見かけるが歴史好きにとってはとてもありがたい。
2011年の写真
2011年7月、現在から9年前の写真。
たまたま根津周辺を探索していた時の写真が残っていた。画質が少し粗いが、下内と建物の様子はあまり変わらなそう。でも、入り口の照明のオレンジ色の光が綺麗。
よく見ると、角に置いてあった灰皿?らしきものが無くなっている。時代は変わっているのですね…
あれ?こんな格子窓のようなデザインの窓はあったっけな。現在の写真を見ても写っていないけど、私が撮り忘れたのかな、それとも無くなってしまったのかな。
確認したが、もしかしたら違う建物の写真かもしれない。どこを撮影したのか、今となってはわからない。
あまり変わっていないと思った建物、風景も、9年前とは違った部分もでてくる。現在の記録は数年後、いつか役に立つときが来るでしょう。今の美しい記録をこれからも残しておこう。
(訪問日:2020年9月)
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