成東の近代建築。新盛堂薬局などレトロな看板建築が残る -成東⑶

成東の商店街を歩いていると、情報はあまりないが近代建築らしき古い建造物が静かに佇んでいた。
流石、数々の著名人に愛された鉱泉旅館「成東館」が存在した門前商店街…!往時の賑わいを想像しながら夕暮れの商店街を歩く時間は癒しのひとときでした。
作田川沿い「上総道学発祥の地」
千葉県山武市成東。前回のつづき、成東駅から西側の浪切不動院を目指して商店街を歩いている。
下の写真は、作田川に架かる橋「大橋」。モダンなデザインで夕焼けと相性が良い橋だなと思った。

江戸時代から架け替えられつつも存在する大橋。現在の橋は、平成11年の竣工。
「上総道学発祥の地」という碑が建っていた。この場所が、上総地方に道学(朱子学)が興盛するきっかけとなった地とのこと。最初、道についての学かと思った…

詳しくは、山武誌教育委員会の「上総道学発祥の地」のページにて。
大川(作田川)に架かる大橋(江戸時代は成東津辺境橋)の改修や架け替えなどの普請工事は、幕府の代官のもとに行う「公儀御用」の工事となっていた。
享保12年(1727年)の橋の架け替えの折、工事の監督に当った代官野田三郎左衛門の手代酒井修敬は、朱子学の山崎闇齋学派の佐藤直方・稲葉迂齋に師事して道学を信奉していた。彼は、橋の完成を機に、上総の地に道学への橋渡しをしたいと念願し、和田守道(儀丹)と鈴木荘内(養察)の2人を見出し、稲葉迂齋に入門することを薦めた。この2人は、迂齋の許で道学を学び、帰郷後、成東村と姫島村で、郷党の子弟に道学を教授するようになった。以後南総の農村地帯に道学(朱子学)を学ぶものが増えていった。
後年、迂齋の子稲葉黙齋が、清名幸谷村の孤松庵に永住して指導に当たり、上総道学として、山武郡一帯の農民に普及していった。

大橋を渡ると、商店街がつづいている。だが、こちらは旧道なので交通量は少なく人通りも無い。夕闇に溶け込み始めていた。

すぐ右手にあるのが「浪切不動院」。次回の記事で詳しく紹介する予定だが、かつてこの辺りに鉱泉旅館「成東館」という有名な旅館があり、多くの著名人や観光客で賑わっていたという。そのため、今回紹介する商店街も、その門前として同じく賑わっていただろうと思う。

白い街灯が並んでいる。だが商店街名は無い。平成18年に撮影された「多摩地区そして日本各地の画像集」というサイトの「成東」のページには「成東中央商店街」とある。現在は解散したのかな…

浪切不動のバス停。その背後にある渋い建物は「(有)土屋製畳」。現在は閉まっているようだ。

成東中央商店街については、日が暮れ始めていたのでじっくりと探索できず。また再訪して成東城跡公園を含めて周辺を探索したい。
看板建築?薬局「新盛堂」
そしてこちらの薬局「新盛堂」。看板建築のような洋風建築…成東にこんな素敵な建物があるとは!驚いた。

”ぜんそく薬”良いなあ。赤い丸ポストまで…
2014年の時は営業していたが、現在はコクゾウ126号沿いへ移転。時代がまた一つ変わった。

建物の横をちらっと覗くと、下見板張りの木造建築…?縦長い窓は木枠だし、この建物の年代はいつ頃なのだろう。

道路側は三角形で中央に丸い穴。窓が多数あるのもおしゃれだな~看板建築の分類に入るかしら。

2014年のストリートビューでは、看板が右読みの旧字体の看板だった。
調べても情報が無かったが恐らく戦前から営業している老舗薬局だと思う。だが、その老舗も国道へ移転したとなるとこの商店街は衰退の道…

さらに奥には石造りの蔵も。


向かいにあったコンビニのような店舗も閉店。並びの建物もシャッターが下りている。

モルタル塗り?看板建築
さらにもう一つ!近代建築のような物件。これは一部改装されているので素通りするところだった…

いや、待てよ。なんだか近代建築っぽいなと思ったのは細かい意匠がちらっと見えたのであった。



しかし、なぜ成東の近代建築は情報が無いのだろう。近代建築じゃないのかな、不安になるがまあ良い。窓枠の上にちょこんとついているマドレーヌみたいなデザインが可愛い。

2014年のストリートビューと今では明らかに違う。正面の窓の細い格子が素敵…

現在は灰色のペンキで塗り替えられ、窓も新しいものに。モルタル仕上げの看板建築といえるのだろうか。模型店「しんせいモデル」が営業しているが、営業時間が短いためかこの日は閉まっていた。

今度営業しているときに建物のお話も伺いたい。
商店街、寿司屋や魚屋、居酒屋など。

大きな日立のマーク。堂々と残っている店舗は珍しいので嬉しい。



ここからさらに西へ進むと、上町へ。引き返す前にとある昔ながらの商店に立ち寄ったのは、また次の記事で。

(訪問日:2021年9月)
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