明治開業「成東駅」周辺の商店街は再開発…病院、近代建築が現存 -成東⑴

明治開業「成東駅」周辺の商店街は再開発…病院、近代建築が現存 -成東⑴

成東駅へ!今回初めて下車しました。まずは駅前の商店街から探索しますが、近代建築が多数残っていて、さらに浪切不動院まで足を伸ばすと鉱泉旅館「成東館」の歴史も触れることができる、歴史好きにはたまらない街でした。

成東駅と歴史

千葉県山武市津辺。JR成東(なるとう)駅へ到着。駅の外観を撮っていなかったので遠目の写真↓

成東駅

明治30年(1897)に開業。駅前には、昭和46年に設置された成東町の先覚者「安井理民氏」の記念碑があった。千葉県初の鉄道開設運動とその誘致に生涯をささげた人物。

安井理民氏の記念碑

明治19年に鉄道創設事業を志し、明治22年に総武鉄道株式会社を立ち上げるものの、会社は不況資金難に陥り、さらに安井理民氏は病魔に侵され、鉄道運行開始5か月前に生涯を閉じたのだという。

その意思を継いだ町民によって明治30年に成東駅が開業。27歳の若さで総武鉄道の開拓者として、現在も駅前に記念碑があることは素晴らしいですね。また、山武市ホームページには「安井理民出生地・墓」が紹介されている。

また、成東駅に関する歴史でもう一つ欠かせないのが空襲である。

終戦2日前の1945年8月13日、 米軍の機銃掃射による空襲で駅舎が爆発。駅員ら42名が犠牲になった歴史である。山武市ホームページの「魔の8月13日~成東駅爆破~」が詳しい。

駅舎はもちろん、ホーム、線路、また上りホームに停車中の客車もろとも跡形もなく飛び散り、後には直径約10m、深さ10mの大きな穴が残ったという。

駅前には慰霊碑、山武市立歴史民俗資料館にも詳しい資料が販売されているので興味がある方はぜひ。

現在の駅前ロータリー

平成20年(2008)にリニューアルされた駅舎。駅前ロータリーは平成30年(2018)に整備されている。2014年のストリートビューでは駅正面にも学習塾など建物があった。

Advertisement

成東駅前の商店街

成東駅前の県道213号。商店街があるので探索しよう。

三角屋根の建物

商店街の変遷

白い街灯が並んでいるが、商店街名は書いてない。

成東駅前の商店街

だが、「地図から見える成東駅周辺の歴史」によると、明治30年に駅が開業してから駅周辺の建物が増え、それ以前は旧城下町の下町周辺に町役場、郵便局があったことが分かる。

現在の様子

昭和44年には町役場が駅近くに移転、町の中心が時代とともに移動している。また、駅の北東の真泉の方面も昔から建物があり、現在も残っていることに気づいたのでまた今度行こう。

結城屋 賑やかな声が聞こえる

定食屋の「結城屋」。蕎麦、定食、丼などバラエティ豊かなメニューとのことで一度入ってみたい。この日は地元の方々が談笑していた。

小林ミシン電気商会
Advertisement

旧石橋屋米店

洋風な建物!可愛い!と思った自分の感性は間違っていなかった。改装されている近代建築である。

成東の近代建築

「MANAZOUの近代建築・看板建築・レトロ探訪」さんによると、昭和8年築「旧石橋屋米店」とのこと。

最初素通りしそうになったが、コンクリート造の外壁がレトロだなと思って近代建築だと気付いた。

外壁がレトロです

リニューアルというか、壁で覆われる前の元の姿はどんな感じだったのだろう。

裏道に残るコンクリートゴミ箱

2014年のストリートビューでは隣の駐車場にも気になる建物が…

美容室の看板

駅前通りといえども、駐車場が多くて寂しい。

左は広い駐車場

商店街の街灯には「伊藤佐千夫生誕の地」と看板があった。

伊藤佐千夫生誕の地
Advertisement

旧古川医院

千葉銀行の隣にある建物も近代建築!

 

旧古川医院

旧古川医院は、「千葉県の近代産業遺跡」によると大正期の建物だそうで現在は個人宅である。

向かいにあった割烹料理店「千鳥」を移築して医院として開業した建物です。

割烹料理店を移築?!「千鳥」も気になりますね。

入り口

つい最近まで病院として営業していたかのような雰囲気で、2014年のストリートビューではレトロな丸い街灯が敷地内に残っていた。

丸窓

並びの牧野商店・根本金物店も閉業している様子。

丁字路角にあるお弁当屋さん「お弁当のまごころ」は営業していた。個人経営の手作りお弁当店って良いですよね…

駅前を振り返る
小川商店の蔵

駅前通りの正面に埋没している、成東町道路元標。

成東町道路元標
Advertisement

商店街と「旧知生堂医院」

そして丁字路を右折し、浪切不動院の方へ。まだまだ商店街が続いている。昔はかなり活気がありお祭りなども大勢の人出で賑わっていたとか。

商店街がつづく

びっくりしたのが、神社が更地になっていたこと。「五郎神社」、2014年のストリートビュー以降姿を消している。

少し南側の裏路地へ移転していた。

現在の五郎神社

そして周辺の街並みも消え、道路拡幅工事が行われているようだった。寂しい。

なんと、大通りに出る県道76号沿いの建物すべて無くなっており商店街の原型を全く留めていない。

丁字路周辺の建物が一掃されていた。もう少し早く訪れたかった…

丁字路周辺 立ち退きに

丁字路から先も両側更地が多い。

左に石川屋と街灯だけ残っている場所には、呉服店が存在したようだ。

その並びにあった和菓子屋「秋月」も定休日だったのか営業しておらず、どこも立ち寄れるお店が無かった…

日も暮れてきた

かろうじて、交差点の近くにある「大木肉店」は営業していてホッとした。

一部昭和が残っていた

ラッキーカード加盟店。商店街のスタンプカードだったのかな。

ラッキーカード加盟店

商店街の現状に寂しさを抱えて歩いていると、もう一つ病院建築があった。こちらは「旧知生堂医院」。

旧知生堂医院

ちょうどこの建物の持ち主の方と遭遇。

「昔は病院だったの!素敵な建物でしょ!」と仰られていたのが印象的だった。本当に保存してくださってありがとうございます…

大正元年築とのこと

「千葉県の近代産業遺跡」によると、大正元年築。開業記念絵葉書の写真も載っていて、現在とほぼ変わらない姿を保たれていることに感動する。

玄関先にはレトロな照明も

病院閉院後は、山武郡市医師会事務所として使用され現在は個人宅に。成東には二軒も美しい病院建築が残っていて素晴らしいです。

 

(訪問日:2021年9月)

error: このコンテンツのコピーは禁止されています。