表参道の裏道って気にしたことある?成田山新勝寺、老舗旅館の裏側にあるディープな歴史 -成田⑴

表参道の裏道って気にしたことある?成田山新勝寺、老舗旅館の裏側にあるディープな歴史 -成田⑴

成田山新勝寺。千葉県成田市にある仏教寺院である通称「成田山」は、明治神宮に次ぐ全国第二位の参拝者数を誇る千葉県の名所。その歴史は古く、江戸時代には成田山参詣が流行し、様々な文献にもその賑わいが残っている。

現在の私たちにとっても魅力的なメインストリートである表参道は、散策しているだけで楽しい。Deepランドでは、その表参道の魅力だけでなく、表参道の裏道を巡り、ディープな歴史を深堀しようと思う。

成田山新勝寺へ

成田山新勝寺は、JR成田駅、京成成田駅から徒歩10分ほど。JR成田線と京成電鉄は成田山参拝のために敷設された鉄道であるということを知ると、それほど成田山に訪れる人が多かったのかがわかる。

しかし、京成電鉄の開通は旅館にとっては大きな打撃であった。それ以前はどんなに不況であっても参詣客は絶えることなかった成田山新勝寺であったが、鉄道の開通は参拝を日帰り可能にさせてしまったのだ。そのため、宿泊客が激減。昭和12年の新聞には47軒から23軒に減少し、団体客の中食(昼食)に転業してしまったとのこと。

ちなみに成田山新勝寺にはあまり知られていないが、花街、赤線もあった。

【成田・赤線】成田は表参道より新道通りの歴史が濃ゆい?!赤線が存在した花崎町

 

明治末から終戦直前までは、路面電車である成宗電気軌道が成田山新勝寺の門前まで伸びていた。この話もとても興味深いので、また次の記事で。

「成田土産名所」から成田本山

成田山新勝寺へ向かう途中は、平日であっても、そこそこの観光客がいた。

現在の成田駅

成田と言えば鰻!「川豊本店」の鰻を食す。でもなぜ成田=鰻なのか?

ラーメンばやし

成田山新勝寺=鰻。というイメージが強いのは知られていることだが、私は鰻よりも成田山の表参道にあるラーメンが好きで訪れる度に寄ってしまう。

駅から表参道へ入ってすぐの場所にある「ラーメンばやし」。
何がそんなに魅力的なのかというと、もちろんラーメンの美味しさ。昔懐かしい味が手ごろに楽しめます。醤油ラーメンは680円。私は山菜ラーメンも好き。

でも、魅力はそれでけではなくて、「8割が外国人」と言われているほど、外国のお客さんが多いというグローバルなお店!航空関係者のおすすめのお店でもあるらしく、店内にもその雰囲気が漂っている。記事を書いていたらまた食べたくなってきた…

ラーメンばやし

お腹を満たしたら、成田山新勝寺へと向かう表参道へ。表参道から一本裏にある花崎町には赤線の歴史も残っているのだが、次の記事でたっぷりと書くのでお楽しみに。

表参道へ

表参道の古きよき建物たち

まずは、表参道に残るレトロな建物を堪能しよう。

下田康生堂

「下田康生堂」は、漢方薬局。約350年の歴史があり、「成田の人、成田詣の参拝客の心と体を元気にする」との想いが受け継がれているらしい。また、そのホームページは、現代の私たちにも馴染みやすいサイトになっており、脈々と受け継がれてきた歴史を感じることができる。

下田康生堂

林田のおせんべい

おせんべいがずらーり、並んでいる「林田のおせんべい」。創業は大正元年で、成田で一番歴史のあるお店なんだとか。そんなに古いお店だとは知らずびっくり。

メディアでもよく取り上げられる理由は、生地からつくって、焼き上げているから。そして食べ歩きできる手軽さも人気。

林田のおせんべい

醤油味(100円)とみたらし味(150円)。袋に入っているのも、持ち歩きに便利。おせんべい好きな方は外せない名店です。

インスタ映え?!

藤倉商店

「藤倉商店」は、操業1948年。竹細工・木工品・籐製品専門店として、様々な実用雑貨を販売している。私も中学生の時に成田山参詣に訪れた際、昔ながらの草鞋を購入した思い出が…

店舗では3000点も商品が置いてあり、ホームページで通信販売もしているのだとか。また、三代目の店長のブログも更新されていて読んでいて楽しい。思わぬ発見がある商店。

藤倉商店

今回紹介する以外のお店も、魅力的なお店が多いので1つ1つじっくり回りたいところ。表参道を見ているだけで江戸時代の旅人気分。しかし、交通量が多く、道幅が狭いので注意しながら散策しよう。

表参道のレトロな雰囲気




梅屋旅館

表参道の坂道を下っていると、左手に工事中の白い囲いが目立った。新しい建物でも建つのかな、と気にしていなかったのだが、奥の崖の下にある重厚な扉は何だろう?防空壕かな?

建物が取り壊しになったから明らかになった場所。その左手には、階段のような。山奥へ続いているのか。

謎の扉?

元々何が建っていたのか。調べてみると、「梅屋旅館」という木造3階建ての立派な旅館建築があった。昭和初期からあったものだというが、老朽化が激しく、閉業してしまったということもあり、建物が最近取り壊しに。2019年9月に写真を載せている人がいたので、1年前までは現存していたのか…

以前訪れた時はあまりに風景に馴染みすぎていて、敢えて写真に残していなかった自分。

探したら、2015年に成田参詣をした時の写真があったが、左の建物が梅屋旅館だ。今見ると、かなり好みな建物。

左手の建物が梅屋旅館

ああ、なんて後悔。内部の写真のめちゃくちゃ魅力的…惜しい建物だった。2021年には新しい旅館が完成するらしい。となると、奥の扉も再び見えなくなるのか…

梅屋旅館跡地

大野屋旅館

空き地の隣はレストラン「大黒屋」と「大野屋旅館」。

レストラン大黒屋

大野屋旅館は、平成17年に国登録有形文化財に指定され、屋上の望楼の美しさに惹かれる。千葉県のホームページによると、大野屋旅館の創業は江戸中期。蝋燭屋と営んでいたのが始まりらしい。現在残っている建物は、昭和10年(1935年)のもの。奥行14間の大広間を持つ木造3階建ての建物。3階内部には、能舞台もあるのだとか。昭和初期の旅館の実態を知ることができる貴重な建築だ。

ちなみに大野屋旅館は、10名以上の団体ではないと館内の見学はできないらしい。現在は、旅館としては営業していない。

大野屋旅館

梅屋旅館別館と階段

梅屋旅館別館

大野屋旅館の正面には、「梅屋旅館の別館」の建物がある。本館が取り壊しになった今、別館もいつまで残っているか…

梅屋旅館の別館

別館の脇道が気になったので、奥へ進んでみた。

梅屋旅館別館の脇道

別館の建物を横から見ると、昭和の旅館建築の良さを感じる。たまたま開いていたトイレの小さな窓。覗いていたら、青いタイルが敷き詰められていた。廃墟であるが、内部はそのまま残っているのだろう。

トイレのタイル
窓もノスタルジック

レトロな街灯

奥に進むと、なかなか珍しいレトロな街灯が。写真だと分かりづらいが、街灯の傘の大きさに驚く。まるでUFO。商店街などでよく見かけるタイプだが、表参道でも使われていたのだろうか?

レトロな街灯

上から見ると、色落ちしているのがわかる。オレンジ色だったのかな?

上から見たレトロな街灯

階段の先には?

登るのも勇気がいる長い階段の先には、茂みが広がっていた。と思ったら、フェンスの先にレトロな街灯が隠れていた。

レトロな街灯発見!

階段の先はフェンスのみ。なのになぜ、街灯があるのか。もしかしたら民家があったのかもしれない。過去の住宅地図を確認すると、確かに階段が伸びて、反対側の電車道の方へと繋がっていた。しかし、土砂崩れのように崖は崩れ、階段を登るのも注意が必要。

見晴らしが良い

菊屋

路地の途中、梅屋別館の隣にある建物は蔵のようだが、「菊屋」と看板がある。しかし、表は違うお店の名前がある。

菊屋

もしかしたら、違う場所にある「川豊」の隣にある日本料理「菊屋」の別館?

菊屋の看板
2階が綺麗

一粒丸 三橋薬局

門前にある「三橋薬局」。インパクトがある土蔵の建物は、平成21年に国登録有形文化財に。建物は、明治前期の建物であり、土蔵造二階建ての町家。

三橋薬局

江戸時代から、成田参詣に訪れる旅人の道中薬として親しまれてきた成田山一粒丸。

看板も立派!

建物の内部も、まるでタイムスリップしたかのような江戸時代の雰囲気。とても気になったのは、入り口の近くにある青と白のタイル。マジョリカタイルだろうか。

マジョリカタイル?
三橋薬局のタイル

登録有形文化財の看板も。これからも変わらずに道中のお供であって欲しい。

国登録有形文化財



謎の道

ちょっと参道を戻り、大野屋旅館の手前、鉄砲付けの江戸久に脇道が気になった。木製の門?らしきものがある。

江戸久の隣

延命院旧跡

どうやら、「延命院」の旧跡らしい。7代目市川團十郎との歴史も深い延命院であったが、明治に横浜へと移転。現在は、横浜別院となっており、かつての延命院の場所は旧跡の石碑と門柱が残るのみ。今度、横浜に行ったら訪ねてみたい。

延命院旧跡

旧跡の左手に、細く伸びる路地。

延命院旧跡の左手

大野屋旅館の裏側に来たようだ。土蔵や古い建物が並んでいる。

大野屋旅館の裏側

側面から見ても、かなりの迫力の大野屋旅館。旅館として営業していない現在は、2,3階は廃墟に近いのかな…

改めて見ると迫力がある大野屋旅館

その奥、茂みの中に道は続いていた。何があるのか、不気味な雰囲気ではあるが、注意深く進む。

さらに奥へ

レトロな街灯!

すると、レトロな街灯が目の前に。縦に二本、横長の街灯が並んでいるタイプは初めて見た。しかし、残っているのはこの場所のみ。

珍しいレトロな街灯

と、さらに奥には先ほど見た大きな丸い街灯。成田では主流だったのかも。手前にある建物には人が住んでいる。が、門柱がかなり古い。

京須紙器

住宅地図を見てみると、昭和64年には「京須紙器」。その隣には民家がある。京須紙器(きょうすしき)を調べてみると、2009年の時点では会社があったようだ。しかし、現在の情報は無い…

さらに奥にもレトロな街灯

住宅地図を見ていて思ったのだが、実はこの先にも道が続いており、階段が山の上へ繋がっているらしい。現在はどうなのかわからないが、反対側、出世稲荷神社の方にある道から階段が伸びているのが確認できる。しかし、一緒にいた母が蜂に刺されるなど、夏はかなり危険な場所。安易な探索は避けよう。

文献で見る成田参詣

『成田鉄道案内』(大正5年、植田啓次編)に成田山の観光案内が描かれていたので紹介。

名物
栗羊羹、新勝寺おこし、大せんべい、白酒、水あめ、初茸、栗、毒消一粒丸。

名物は、現在と変わらず。大正時代の人と同じ名物を楽しめるのは凄い。

また、旅館についての記述も。

されば町中三層四層の高楼の甍(いらか)を並べ、大厦巨館の軒を連ぬるものは悉く是れ旅館で、一流以下數へて六十余戸に及び、其大なるは一戸四五百人、小なるも四五十人の宿泊の設備がある。

 

『旅館要録.明治44年後期』(明治44年、東京人事興信所)には各地の旅館の情報が載っていて、とても興味深い。

掲載されている旅館は、田中屋、魚田丸家、東屋、大野屋、飯田屋、海老屋、貞松館、阿波屋、梅屋、小川屋、松田屋、駿河屋、ひしや。その中でも、今回取り扱った大野屋旅館と、梅屋旅館についてピックアップ。

成田山門前 大野屋

開業天明元年 和風二三階建
客間二十五、別荘料理部七家
宿料 八十銭以上

大野屋はAと記載されているため、成田の数ある旅館の中でもトップクラスの旅館だったのかもしれない。天明元年は、1781年。対して梅屋旅館の安政6年は1859年。

成田町 梅屋

開業安政六年 和風二階
宿料 七十銭
中食 三十五銭以上

仲町 梅屋支店

成田山新勝寺の鳥瞰図

松井天山が昭和13年に描いた「千葉県成田山新勝寺鳥瞰図」。この鳥瞰図は、他の鳥瞰図とは異なる点がある。境内を中心に映画いていること、カラー印刷、裏面の広告が無いこと。そのため、成田山開基千年祭の記念出版のものなのではないかと言われている。

大野屋旅館が現在と変わらない姿であることに驚く。隣には延命院も。

また、梅屋旅館は、山奥に梅屋客室が描かれている。階段の奥にはやはり、建物があったのか。

成田山新勝寺鳥瞰図

住宅地図で見る成田山表参道

最後に成田山新勝寺周辺の住宅地図を見てまとめよう。

昭和42年の住宅地図

梅屋別館の隣に伸びる路地は、間違いなく道が繋がっていた。レトロな街灯があったのも、民家があったためだ。成田山結婚式場へと繋がっていたのかもしれない。

また、江戸久の奥の道には、成田山寮があったことがわかった。

昭和42年の住宅地図

昭和48年の住宅地図

江戸久の奥の道は、成田山寮だけでなく、何軒か建物が確認できた。現在は空き地になっていようだが。成田学園、現在は成田山三学院の敷地に。

昭和48年の住宅地図

昭和64年の住宅地図

昭和64年の地図は、建物が細かく描かれていてわかりやすい。大野屋旅館の裏側に広がる丸い建物は現在も残っているようだが、どんな建物なのかな?

延命院の隣には「東皐寮」。階段の上にある成田山三学院の寮かしら?

梅屋旅館本館も、山奥に連なる建物が見える。山の中に「梅屋本館」。しらいし食堂の周辺を調査したらもう少しわかるかな。次回成田へ行ったときは深堀しよう。

昭和64年の住宅地図

成田山新勝寺へ観光に行く方は多くても、このような裏道や歴史に注目して散策する人は少ないのではないかと思う。まだまだ奥が深い成田。次は成田に存在した赤線について。

 

(訪問日:2020年7月)