成田、東参道の「寺台商店街」。かつての宿場、寺台城跡を訪ねる -成田⒀

成田、東参道の「寺台商店街」。かつての宿場、寺台城跡を訪ねる -成田⒀

成田山新勝寺へ!今回は、成田山の表参道などメジャーな観光地ではなく、成田のディープな歴史をさらに深堀するために今まで歩いたことが無かったエリアを探索。主に、東参道の寺台商店街を歩きました。

成田山新勝寺の表参道を歩く

千葉県成田市上町。まずは、JR成田駅から歩いて成田山新勝寺の表参道をふらふらと。これまでも幾度となく成田山については記事でまとめているし歩いてるが、それでも訪れる度に新たな発見がある。

斎藤商店

表参道の有名な漢方薬局「下田康生堂」。歩いていると漢方の香ばしい匂いに誘われる。

旅人のように歩き疲れた身体が欲している場所だなと思う。

下田康生堂

そんな下田康生堂の奥に気になる建物を見かけた。奥に見えるのは藤倉クリニック。その手前に…

ちらっと見える建物

赤い屋根が印象的な木造2階建て?の建物。窓は塞がれている?手前の下田康生堂の建物と繋がっているようにも思う。

隣接する奥の建物

そして、老舗の梅屋旅館は解体され、新しい建物が建設中(2021年11月時点)。現在は完成している。

梅屋旅館

そして、衝撃的なニュースが流れた隣の大野屋旅館の解体。

大野屋の鉄砲漬けの看板が放置されていた。悲しい…

大野屋の鉄砲漬け

大野屋旅館の最後の姿。既に望楼の窓ガラスは撤去されている。本当に、気になる場所には後悔しないように訪れなければ。

最後の大野屋旅館

【お知らせ】成田の旅館保存運動についてのご報告 -成田⑾

成田山新勝寺の総門を超え、近くの加藤商店で母がたい焼きを購入。糖分補給大事!

たい焼きを購入(母)

気になっているのが、純喫茶の「珈琲チルチル」。童話のチルチルとミチルを連想するなと思っていたが、やはり『青い鳥』から由来しているそうだ。

珈琲チルチル

「なりナビ」で詳しく紹介されているが、記事を見るとますますゴージャスな店内に惹かれる。素晴らしい喫茶店だな…成田は行きたいお店が多すぎてまだ全部回収できていないのだ~

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成田「寺台商店街」を探索

そして今回は、東参道を探索するのが目的。東参道の成田山新勝寺に近い側にある「田町商店街」については以前まとめたのでそちらを参考に→【東参道】成田山新勝寺の東門から東参道に広がる、田町商店街。通天閣って?-成田⑹

東参道の奥へ

東参道はさらに東へと続く。

成田高等学校の周辺を境に、田町商店街から寺台商店街へ。

寺台商店会

神崎商店は、菓子店で亀田製菓のあられおせんべいの広告が横に描かれていた。

神崎商店

向かいには洋装店に美容室、理容室…

洋装店など閉まっている

少し歩いた先に、2015年に解体され新しい一軒家となった古民家がストリートビューに映っていた。

木造建築があった場所

元旅館のような雰囲気。東参道沿いにも木造旅館が存在したのかな。

ある一角にあった石
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宿場だった寺台

寺台が宿場だった歴史が『成田の史跡散歩』(小倉博著、崙書房、2004)にまとめられている。

寺台は根木名川に架かる吾妻橋が、成田村を経て佐倉から香取神宮に向かう道、三里塚を経て芝山・銚子方面に向かう道の、三つの街道が分岐する場所で、また根木名川を利用した水運の寺台河岸もあり、人の往来が激しかった。このため江戸時代には寺台村は宿場として繁栄したのである。(p34)

寺台村には本陣・脇本陣が設置されていたが、何軒の旅籠が存在したのかは文献がないので不明だという。

かつての繁栄を残すのが、成田高等学校から永興寺までの地名に下宿、保目神社あたりまでを中宿、吾妻橋までを本宿、橋から佐原に向かう方を上宿、橋から三里塚に向かう方を向宿と呼んでいたことで、現在は名称がなくなっているが「向宿」のバス停のみ残っているという。今度確認しにいこう。

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永興寺 延命地蔵

江戸時代、宿場だった寺台。江戸から船で成田参詣に訪れた人々は、寺台河岸で降りて東参道を歩いて向かったのだろう。

その後、昭和13年に作成された「成田山新勝寺鳥瞰図」を見ると、東参道の東に「東成田駅」が存在したことが分かる。

現在の京成電鉄の東成田駅ではなく、成田鉄道多古線の駅。東成田駅で下車して、東参道を歩いて成田山新勝寺へ参拝に訪れていた人もいたのかもしれない。

現在の東参道

現在は人通りも車通りも無く、営業しているお店も無い。

碑が参道沿いにあるお寺は曹洞宗の「保目山 永興寺」。周辺の古い建物が解体されて見晴らしがよくなっている。

手前の家屋が解体

2012年のストリートビュー

寺の入り口にあるのは大日如来堂。

大日如来堂
説明書き

昭和55年の際に、大日如来が建立50周年記念とあるので、昭和5年に建立されたものなのか…地域で大事にされているのが良くわかる。

江戸中期の銘文があるそうで、元々寺台村の呉信として人々の信仰を集めていたため、大日如来同として建立したそうだ。

説明看板

さらに東参道を東へ。クリーニング店の建物も古そうだ~

サンドライ

とある広告。京成成田駅前の「光学堂」。現在もこのメガネ店は果たしてあるのか…

光学堂
東参道

アルナ。以前、富津の方で見かけたことがある。高級サッシの商品のようだ。

アルナ

寿司屋「小川家」、仕出し「魚仁」など10年前にあったお店が無くなり、残ったのは東参道の看板のみ。

東参道と書いてある

こちらの建物は、岩舘履物店。昔は参拝者が靴を買い求めたのだと思うが…

岩舘履物店
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保目神社~寺台河岸跡

東参道沿いにある「保目(ほうめ)神社」。

保目神社

保目神社の懸仏は成田市指定有形文化財に登録されている。

また、古く、この一帯は保目村と称していたそうで、保目神社の古さを物語っている。

保目神社の懸仏

東参道も終わりが見えてきた。根木名川の手前、角の敷地に石造りの蔵が!

川沿い

手前は格安の駐車場になっているが、2012年のストリートビューでは「中沢屋?」と書かれた商店が存在した。

石造りの蔵

追記:寺台河岸と河岸問屋の蔵

橋の近くにある蔵が気になって調べていると、この辺りがかつて「寺台河岸跡」だったことを知る。

先ほど取り上げた書籍よりも詳しく河岸について「北総四都市江戸紀行」で紹介されている。

川沿いに設けられた寺台河岸からは、米や薪、炭、野菜等が積み出され、江戸や銚子からは、醤油、魚、塩、肥料等が運び込まれました。
川幅は2間(約3.6m)から4間(約7.3m)で、水深は5尺(約1.5m)ほどあり、当時は、両岸に河岸問屋の土蔵がいくつも並ぶほどの賑わいでしたが、明治30年代の鉄道交通の発達と水位の低下により衰退していきました。

河岸問屋の土蔵がいくつも並ぶほどの賑わい…

橋の近くに残る蔵はもしかしたら、その頃の名残なのかもしれない。

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寺台城跡

橋から北西方面に、かつて東成田駅が存在したが今は面影はなく…黒平まんじゅう本店に立ち寄ったのは次回紹介します~

かつての東成田駅周辺

左手にあった成田のJAの建物が解体され、立ち入り禁止となっていた。ここから寺台城跡に向かえるかと思っていたのに…

JA成田市本所

少し東参道を引き返し、寺台城跡への看板があったので道筋通りに向かう。

案内看板通りに歩いて行く

えー、ここ本当に歩いて良い道?!
半信半疑になりながら民家の裏道を歩いて行く。

民家の裏道

寺台城址まで30m…こういう道だと、案内看板があるのがどれほど有難いか。

案内看板

傾斜の急な坂道が目の前に。標高は27mほど、一気に登る。

急な坂道

遺構はほとんど残っていないそうだが、山頂に城址碑が建てられている。

山頂へ

「攻城団」というサイトに歴史や感想がまとまっているので分かりやすい。やはり昔は、JA成田川から登れたようだ。

山頂は荒れ果てており、歩く度に衣服に植物がくっつく始末…

荒れ果てた山頂

南側に向かってさらに細い道があるように見えたが、藪になっていたので流石に断念。郭が少し残っているらしい。

寺台城跡から見渡す寺台…

山頂から見渡す景色

 

(訪問日:2021年11月)

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