【お知らせ】成田の旅館保存運動についてのご報告 -成田⑾

【お知らせ】成田の旅館保存運動についてのご報告 -成田⑾

ご報告が遅くなりました。

今回の記事は、成田の解体される旅館の保存運動についてのご報告です。

旅館の保存運動についてのご報告

多くの方がご存知の通り、千葉県、成田山新勝寺の参道にある木造3階建て旅館「大野屋旅館」が11月4日から解体されています。

大野屋旅館

・成田の参道についての記事
・保存運動についての記事

私が解体について偶然知ったのは11月1日。ブログで記事が検索されているのを疑問に思ったのでTwitterで調べたところ、解体についてツイートしている方がいるのを発見。その後すぐに驚きとともに発信すると瞬く間に拡散され、多くの方が解体に驚きを隠せない様子でした。

その後、建物の保存を仕事としている方にコンタクトを取り、急遽保存の方向へ取り組むことに。私は建築に詳しくないので発信の面を手伝うことになりました。

11月8日、協議を行うための資料として、アンケート調査を実施。2日間で370人以上の方から回答を頂きました。本当にありがとうございます。

そして、アンケート調査をもとに様々な方と交渉をしました。

結果をお伝えすると、解体をとめることはできませんでした。解体されてからだったため時間がなかったこと、その他さまざまな問題があったことを知りました。(公の場で私からは詳しくはお伝え出来ません)協力して頂いたのに目標が叶わず申し訳ないです。しかし、アンケート調査の結果は無駄ではなかったと思います。関係する方々がこんなに多くの結果が集まるとは思っていなかったようで、多くの方が建物を愛しているというメッセージは、所有者の方にもきっと届いていると思います。

現在の建物は完全に解体され、新しい形になってしまうかもしれませんが、これからも歴史はつづきます。

今回、これだけ多くの方が成田、そして建物の保存に興味があることが判明したことは今後の糧になると思います。大野屋旅館以外にも参道沿いには古き良き建物が多数存在しており、これから同じような問題に直面する可能性があります。今回の反省を次の建物に活かせたらと思います。ぜひ、これからも関心を持って接してくださると嬉しいです。

また、最後にお願いがあります。

解体されることについて、一番ショックを受けているのは一番近くで見て来た方々です。どうか、その方々を責めないでください。そして、無くなってからショックを受けるならば、普段からお店を利用するなど、行動に移しましょう。国登録有形文化財であっても、補修工事などを負担するのは所有者の方です。建物を維持するのにどれほど費用がかかるか、ご存知ですか?数億単位の話です…私たち外野が想像する以上に大変だと伺いました。自戒も込めて、私もこれからも日々後悔無いように過ごしたいと思います。

今回は本当にご協力ありがとうございました。今後もよろしくお願い致します。

個人的な想い、これから

ここからは個人的な想いを綴ります。私がブログを始めたきっかけは、コロナ禍で取り壊しになった、船橋の国登録有形文化財である玉川旅館でした。

その時私も「国登録有形文化財なのに取り壊しになるの?!」と驚きました。何も知らない普通の大学生だったからです。しかし、現実問題を知れば知るほど、文化財を守っていくことがいかに大変か、自分が無力かを思い知らされました。

現在、玉川旅館は高層マンションに。その時は私は何もできず、ただただ解体される姿を眺めることしかできませんでした。その後、解体を止められないのであれば、記録だけでも残したいと思い、ブログを立ち上げ、日々、各地の建物や商店街、消えゆく姿を記録しています。1年半で900本近くの記事を更新してきました。
しかし、正直、千葉県にはまだまだ知られていない魅力的な建物や場所があります。それらの中には、知られずにひっそりと消えてしまうものもあります。文化財登録され認知されているのはほんの一部でしかないです。

今回の結果は残念ではありますが、日々気になるお店、建物を積極的に利用してください。お願いします…

私は成田出身ではないです。しかし、中学生の時に成田街道(日本橋~成田山新勝寺)を歩いて自由研究としてまとめた経験があります。日本橋から65㎞を歩いて来て、成田山新勝寺の参道で大野屋旅館の望楼が見えた時は感動したのを覚えています。きっと昔の人々も同じ気持ちだったのでは…その想いから建物を残したいと思い、少しでも自分にやれることを思い動きました。建物は一度壊してしまうと元には戻りません…以前は10名で旅館内の見学が可能でしたがコロナ禍だったため、落ち着いたら見学したいと思っていたところに解体のお知らせ…思い立ったが吉日。後回しにしてしまったこと、悔やんでも悔やみきれません。

お気づきの方がいるかわかりませんが、解体を知った時既に望楼のガラスなどは無くなっている状態でした。「保存運動をしても遅いのでは」という声もありましたが、たとえ失敗しても行動しないで一生後悔が残るよりは、良かったのではと思います。これだけ多くの方が旅館の建物を残したいという強い意志があったこと、何かしらの形で新しい建物にその想いが受け継がれることと思います。

もう一点、今回の件で話し合い中に話題になったのが、日本の文化が継承されていないことへの危機感。
大野屋旅館のように大きな旅館で華々しく遊ぶ。そういう粋な遊びが旦那衆をはじめ、現在の私たちに受け継がれていないため、今回のような結果を招いたのではという意見でした。時代の流れもあり仕方がないことでもありますが、そういった日本の古き良き文化を継承することも建物を活かすことに繋がると思います。

また、1年半前の時には何もできなかった私が、これだけ多くの方と繋がれたこと、支えてくださる方がいること、保存運動の過程で人脈が広がったこと、本当にこれは財産です。私は来年の4月に就職しますが、地域活性化に関わる仕事をしていく予定です。今回の経験を基に、さらに地域に貢献していきたいと思っています。

これからもブログ、Twitterで発信していく予定ですので、どうぞ応援よろしくお願いいたします。

明里

 

(執筆日:2021年11月)

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