西参道三の宮通り。成田山新勝寺の西参道を辿ると埴生神社へ。花街も?-成田⑸

西参道三の宮通り。成田山新勝寺の西参道を辿ると埴生神社へ。花街も?-成田⑸

「西参道三宮通り」は成田山新勝寺の西参道。表参道は多くの人が知っている通りだが、実は「西参道」「東参道」も見所がある。しかし、正直標識が出ていなかったらわからないくらい存在感が薄い…

西参道三の宮通りを辿ると、一体どこへ行きつくのか。表参道から外れて探索をしてみた。

 

西参道三の宮通りへ

西参道は、成田山新勝寺の表参道の途中にある「成田山薬師堂」から分岐している道である。現在は、商店街のようになっているが、観光客向けというよりは地元の方が利用するお店が並んでいる印象。

しばらく歩いていると、西参道三の宮通りの看板が見えてくる。それ以外は特に表示はない。

西参道三宮通りの看板
表参道から左へ分岐

西参道ということは、成田山新勝寺へ向かう道ということになる。なので、今回私が辿っているのは逆方向。

参道として現在は使われていないためか、歩行者の道幅が狭い。気を付けて歩こう。

西参道
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レトロな商店

骨董品?それにしても中国文化が垣間見えるようなデザイン。

占いの看板もある。

骨董品?

「紀州備長炭 嶋谷商店」

先ほどの筒に入っていたのは備長炭か。昭和42年の住宅地図を見ても、嶋谷商店の存在は確認できたので老舗だろう。

嶋谷商店

真っ黄色な看板建築が目立つ「太光堂薬店」。これで薬局とは思えないくらい、派手な建物だ。同じく昭和42年の住宅地図でも確認。

太光堂薬店
電話番号は消されている

太光堂薬店の隣の公園を挟んだ隣には、小林質店、大林堂林書店(現:小林堂)があった。質屋と納得ができる門が目立つ建物。写真を撮るのを忘れてしまった。

こちらは、懐かしく感じるデイリーヤマザキ。

デイリーヤマザキ

デイリーヤマザキは、現在も各地にあるが、この店舗だから良いのだ。

ヤマザキの太陽

元々は、「佐久間商店」だったらしく、店舗はその当時のものだろう。

佐久間商店
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成毛屋旅館

西参道にも旅館が残っている。それが「成毛屋旅館」。手前の駐車場スペースにも「成毛屋食堂」があったらしいが、現在は奥の建物で営業中。

成毛屋食堂

探索しているときは気づかなかったが、お食事処の建物の道を挟んだ隣、二階建ての建物が「成毛屋旅館」として現在も営業している。正面から見ると、ザ・旅館!という感じ。

団体客や宴会などにも利用できる広間があるのだとか。西参道の賑わいを感じる。

成毛屋旅館

喫茶店

成毛屋旅館の隣にある喫茶店のような建物。地図を見て、少なくても昭和60年以降の建物と推測。

建物の形が独特。半円筒、トンネル…

トンネルのような建物

リンゴの形をした看板と、PIPSとは?

PIPS

よく見ると、窓には色とりどりのガラスがはめ込まれたステンドグラス。光が差し込んだ店内を見てみたかった。

ステンドグラス
大きな窓が良い

装飾が一つ一つ好み。成田花崎町にあった壱番館と雰囲気は似てる。

装飾が好き

「カナテアン コーヒーショップ」

カナディアンではないらしい。カナディアンコーヒーショップを調べると、似てような建物のお店が他の場所にもあることがわかった。チェーン展開していたのかな。

コーヒーショップ
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精肉店滑川屋

「精肉店滑川屋」は、昭和48年の住宅地図でも確認できる老舗。

滑川屋
PORK PORK

扇屋旅館

写真には写っていないが、右側にある新しい一軒家が並ぶ場所には「扇屋旅館」があった。かなりの規模を誇る扇屋旅館。参考料金は9,800円ほどと、先ほどの成毛屋旅館よりも若干高い。

調べてみると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような漆喰の旅館。2011年には廃業。現在は、扇屋旅館デイサービスに転業しているらしい。時代の流れには逆らえなかったのかな。

旅館一筋200年の純和風の宿。日本庭園の奥庭など閑静な環境。一方でバリアフリーに配慮し、車椅子対応の客室、浴場もあったのだとか。

この建物が現存していたら、西参道の面影も感じれたのになあ。

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西参道の石碑

ちょっと歩いたところに、石碑が埋まっていた。

理容室の前に

「成田不動尊…」尊から埋まってしまっている!

でもこんなに道幅が狭い場所で、残っているだけ有難いことなのかも。

成田不動尊

明治15年(1882)とあるが、復元されたものと思われる。

側面には、「南へ上る 酒々井 佐倉」「東へ下る 成田門前をへて三里塚 芝山」道、「北へ下る 滑川 佐原」「西へ上る 安食 木下」道。とある。

精巧な地図など無かった時代、道標を頼りに旅をした人たち。そんな時代の旅の達成感は、私たちは忘れてしまった。

明治15年
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交差点の近く

幸町の交差点。ここから成田山新勝寺の裏門にもつながる道がある。

「柳屋ラジオ店」…ラジオも突っ込みたいが、イラストも気になる。

柳屋ラジオ店

柳屋ラジオ店の近くにあった地下へと続く階段。

地下への階段

幸栄会

さらに奥へ西参道を進む。

総合食品 矢部商店」は、青いスペイン瓦と緑色の組み合わせがハイセンス。

矢部商店

矢部商店の隣には、「黒田食料品店」も。昭和48年の住宅地図で確認。

先ほどよりは交通量は減ったものの、住宅街が広がっている。この先に進むべきか判断に迷う。

住宅街が広がっている

幸栄会と書かれた旗。幸町地区の商店街を指すようだ。「HAPPYTOWN」というネームセンスが浮いている。

幸栄会

黄色の壁に描かれたインパクト大のイラスト。バンドマンが集まりそうなライブハウスとか、そんな雰囲気。

かっこいいイラスト

「郷部橋」は、JR成田線が良く見える。撮り鉄の人にとっては撮影スポットかも。

郷部橋
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木製電柱

橋の脇道を歩いてみると、木製の電柱を発見。

木製の電柱

この先は、茂みが多いので木製の電柱なんて無数に残っていそうだが…

木製電柱見つけて嬉しい
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みづほ旅館

橋の隣に「みづほ旅館」。長期滞在成田格安ホテルと、ネットには書いてあるけど建物の内部は綺麗に整備されていて驚き。

みづほ旅館

「仕事終わり宿についたら我が家のような雰囲気を…」

わあ、惹かれるキャッチコピー。みづほ旅館のホームページから。なんと、食事も毎日変わり、飽きないような心遣い。

入り口は裏

1泊食事付き 和室4,500円~

綺麗だし、アットホームな旅館は一度泊まってみたくなる。

安い!

以前は、みづほ食堂も営んでいたみたいで、隣には建物が残っている。入ってみたかった。

みづほ食堂

食堂については情報が見つからなかったので、かなり前に閉店してしまったのかと。

みづほ食堂正面
看板が残っている

成田山新勝寺からは少し離れているけど、喧騒から離れて落ち着いた参拝がしたい方にはおススメです。周りもとても静か…!

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埴生神社

みづほ旅館の正面に、丘の上に伸びる階段。茂っているが、登ってみよう。

階段が伸びている
地蔵
浅間神社

埴生神社

埴生神社(はぶじんじゃ)。

これが「西三の宮通り」の所以である。埴生神社は、通称「三ノ宮様」と呼ばれている神社。三ノ宮、二ノ宮、一ノ宮と辿ると利根川へたどり着くらしい。

そして埴生神社が建っている場所は、自然発生的に成田で最も高い場所。古墳の跡地らしい。

 

埴生神社拝殿

西三宮通り、表参道から距離があり、とても遠く感じた。埴生神社がそんなに歴史的価値の高いものだとは思わず、また三宮通りの由来であることも後から知った。昔の人にとっては、歩くことが当たり前。いかに私たちが楽をしているのかを実感した。

成田山新勝寺へお参りに来た際は、ちょっと足を延ばして西三宮通りも行ってみてはいかがだろうか。

追記:神代二業地、西参道の花街

松井天山が昭和13年に描いた成田山新勝寺鳥瞰図で、「神代二業地」という場所が目についた。

昭和13年、成田山新勝寺鳥瞰図

上記の地図に映っていない、手前の道が西参道三宮通りである。現在のNTTの建物の裏に広がる山道のような一本一が、二業地を突き抜ける道ではないかと考えている人が多いようだ。NTTの建物の裏には、「三竹山道祖神」という歴史を感じる鳥居や石碑が残っている。ここは江戸時代の旧道。もしかしたら、関係があるかも。

二業地」というのは、待合茶屋と置屋をまとめた言葉と言われる。地域によって表現が異なるが、「三業地」は料理屋、待合茶屋、置屋のことを指す。

成田山では、花崎町の赤線、花街の歴史だけでなく、西参道沿いにも花街が存在していたことを示している。また、ある文献では「二業地曙荘」と表記されているものもある。

しかし、「常盤町検番」以外は発達していないように見える。今度、成田に訪れた際に調査をしよう。

 

西参道を探索したら、次は東参道へ!↓

【東参道】成田山新勝寺の東門から東参道に広がる、田町商店街。通天閣って?-成田⑹

 

 

(訪問日:2020年7月)

 

 

 

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