成田山公園に残る廃墟群。レトロな広告が残る商店、元料亭?道標も -成田⒃

今日は成田山公園に残る美しい建物を記録に残したいと思います。
もし、昔の様子をご存知の方がいたら教えてください。
成田山公園に残る廃墟
千葉県成田市寺台。成田山新勝寺の境内にある、東京ドーム約3.5個分にもなるという広大な公園、成田山公園。今回は、前回の続きで成田山公園の西側にある名取亭からのスタート。

名取亭は、大正9年創業の老舗料亭。前回、そこで一休みをしたが、この奥にもまだ古い建造物が並んでいるのが気になった。坂の奥だ。

正直、名取亭も素晴らしいのでそれだけを見て満足してしまいそうになるが、そのさらに奥が凄かった…
急な坂道を登ると、その先には…

坂に沿って、趣深い建造物が並んでいる。まるで異世界に迷い込んでしまったかのようなくらい、時が止まっている。グーグルマップ上ではどのお店も開いている様子は確認できないので、訪れてみて初めてこの場所の存在を知った。

手前にあるお店は「大満屋」。元飲食店だろうか。その隣は看板も撤去されている。元旅館のような佇まいでもあるが…

名取亭と時を同じくして創業しているのであれば、大正時代からの老舗だと思う。湖畔で景色も素晴らしいので、料亭か旅館か。
ただただ朽ちるのを待つのみ。そんな状態が寂しい。この雰囲気がとても好きなのだが、今は成田山公園の奥地までたどり着く人は少ないのだろうか。周りに歩いている人はほとんどいかなった。

レトロな看板と道しるべ
さらに奥には、元々茶屋のような木造建築。こちらは住んでいる方がいそうな雰囲気だった。

現在は完全に閉まっているが、ここで休憩が出来たらなんて風情があるのだろう。なんて思うのは私くらいなのだろうか。この空間にずっと彷徨っていたい。
しかも、その横にはレトロな看板が残っていた。これは興奮せずにはいられなかった!

冨士フィルム、アイスクリーム、コカ・コーラ、ジュース、サイダー、天どん、カツどん、玉子どん親子どん、おでんなど…
かつてはこのお店、家族連れで賑わっていたのだろうか。

すぐ近くには石碑。明治27年に造られた新勝寺への道しるべ。ということは、明治頃には既にこの一帯は人々の往来があったのだろう。

成田山新勝寺は、今まで何度も訪れているはずなのに、一歩外れた場所にはこんなにも静かで歴史を感じる場所が残っていたとは。再開発されずに、この空気感をこれからも伝えてほしい。

そして、名取亭の近くにある蓬莱橋の昔の親柱が保存されていた。東京の文字が見える。

池に浮かぶ、六角形の御堂。

成田山新勝寺の表参道は観光地化されていて、いつ歩いても賑わいがあるが、成田山公園の奥地まで行くと周りの人が気にならずに歩けるのでリフレッシュできる。
歴史を感じる建造物、さらに歴史が分かったら追記したい。
(訪問日:2021年11月)
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成田山公園は名取亭までは行きますがその奥までは行ったことはありませんでした。成田山図書館に行けば情報があるかもしれませんね
その昔、成田高校側まで道が続いていたそう。
今は敷地内になってしまい分断されてしまったと思われます。
https://www.narita.ac.jp/wp-content/uploads/2017/05/nkh2.pdf
その昔、成田高校側まで道が続いていたそう。
今は学校の敷地になり分断されたようです。
https://www.narita.ac.jp/wp-content/uploads/2017/05/nkh2.pdf