【東参道】成田山新勝寺の東門から東参道に広がる、田町商店街。通天閣って?-成田⑹

【東参道】成田山新勝寺の東門から東参道に広がる、田町商店街。通天閣って?-成田⑹

成田山の東参道探索!西参道の探索に続いて、今度は東参道!成田山新勝寺は表参道以外も素敵な道がたくさんあるのだ。観光客向けではないかもしれないが、そんなディープな成田山新勝寺の魅力を伝えていきたい。

東参道は、今は無い「東成田駅」からの乗客が成田山新勝寺を目指した道なのではないかと思う。東参道から参詣した人々はいったい何を見て来たのだろうか。

東参道と通天閣

東参道とセットで紹介したいのは、「通天閣」

え、成田山新勝寺に「通天閣」?!と思った方もいるかもしれないが、かつてあたりを見渡せる高い展望台「通天閣」が建っていた。5階に回廊があり、最上階の9階には八角形の展望台。成田山新勝寺境内だけでなく、筑波山、富士山まで眺めることができ人気だったそう。

しかし、昭和5年(1930年)に建てられた展望台の観光施設「通天閣」は、わずか10年で消えてしまった幻の建物に。それというのも、空襲の際の標的になるためという、時代背景が関係している。高い建物など、滅多にない時代、さぞ憧れの展望台だったのだろうなあ。

その様子は松井天山が昭和13年に描いた成田山新勝寺鳥瞰図で見ることができる。通天閣があった場所的には成田中学校の裏…

松井天山が昭和13年に描いた成田山新勝寺鳥瞰図
Advertisement

東門

東参道へ向かうには、成田山新勝寺の東門を探そう。今まで何度も成田山新勝寺には訪れたことがあったが、東門の場所は知らなかった。

仁王門の東側、立派な唐破風の入り口が目立つ建物は修行道場。1階は男子断食道場。1階は成田山修法師。その向かい側には女性の建物もある。

修行道場

東門は、その建物からすぐ近く。いかにも古い。昭和初期から残っていそうな…

東門

よく見てほしい。東門の文字。このフォントは何て呼ぶのかな?

東門から東参道への旅がスタート!

東門のフォントがすき
Advertisement

「はま屋旅館」

東門を出るとすぐにあるのが、「旅館はま屋」。木造の2階建ての建物、佇まいからして老舗旅館といった雰囲気。空き地になっている手前は「あづま屋」というはま屋よりも大きな旅館があった。

明治44年の『旅館要録』によると、東屋は宿料50銭以上とのこと。

旅館はま屋

昭和のレトロな電球と、看板が良い味を出してる…しかし情報が全然見つからない。

昭和な電球!

現在は、「食事処はまや」として営業しているのかな?千葉県のホームページには宿泊料が8000円~とある。

たばこも販売していたのが時代を感じる。

食事処はまや
オレンジのたばこ!

追記:2021年7月

今回は建物の入り口が開いていた!水曜日が定休日らしい。

2021年7月

”感染予防 個室仕様”と書いてあるのが安心。今回は時間が無かったので今度は絶対入りたい!そして旅館としても宿泊してみたいな。

2021年7月

奥ではお土産も販売されていた。こういう佇まいの旅館、成田でも少なくなっている上に情報が全然ないのでもし知っている方いたら教えてください~

また、現在は弘恵会田町駐車場になっているはま屋旅館の向かい側にある駐車場の場所に、「なべなだ北総会館」という5階建ての建物があったことを昭和60年の住宅地図から知った。なべなだというのは、現在も営業している「鍋店本店」が経営しているためであろう。

1階は寿司屋やお土産コーナー。3階にボーリングセンター。4階に会議場、5回に北総殿。という豪華なラインナップ?成田山新勝寺の東参道にボーリングセンターがあったとは知らなかった。どのような建物だったのか気になるが、ネットで検索しても見つからない。

Advertisement

田町商店会

東参道のこの辺りは、「田町商店会」と呼んでいるらしい。街灯にちゃんと表示がある。

しかし、東門近くだというのにこの廃れ具合…本当に観光客向けの道ではなくなっている。

廃れた建物

「台湾喫茶 憩(てん)」。

ここで台湾喫茶?以前は「すずらん」だったのか、上塗りされている様子がわかる。

台湾喫茶

コンクリート製ゴミ箱!すっかり風景に馴染んでいる。成田では一体いくつ遭遇するのだろう。

コンクリート製ゴミ箱

東門を遠くから眺める。昔は門前に田丸旅館、東旅館、はま屋が並んで参詣者を迎えていたのだろう。今も残っているはま屋もいつまで残っているかわからない。

東門を眺める
Advertisement

竹久夢二、長谷川カタの居住地跡

成田市成田公民館の前に、「東参道」の標識を発見。と、その隣に名所案内のような看板。

「竹久夢二・叙情詩『宵待草』のヒロイン長谷川カタの居住地跡地」

どうやらノンフィクションの話らしく、実際に登場人物が成田の田町に住んでいた場所が残っているとのこと。竹久夢二と長谷川カタが出会ったのは明治43年(1910年)の時。100年以上も前のエピソードが語り継がれているのって凄いなあ。

東参道の看板と長谷川カタ

「この路地直進80m、付属小学校右隣にあります」

80mならばと、成田市公民館の脇道を進むことにした。成田市公民館の建物も、昭和60年の時点では「成田郵便局」。その後ろは「ひまわり家政学院」だった。

成田市公民館

途中には「トモ美容室」。昭和48年の住宅地図からも確認できる。目が回りそうなぐるぐるが美しい。

トモ美容室

はて、道沿いに歩いたが、どこが居住跡地なのだろう?

ここ?!

調べてみたら、見切れているが左の建物の場所がかつて成田高等女学校の寄宿舎があった場所らしい。寄宿舎に長谷川カタさんが住んでいた。しかし、これではどこが居住地跡なのかよくわからない。観光化しているのかそれほどやる気がないのか…

Advertisement

田町商店会続き

再び田町商店会を歩く。

昔からある商店

金色のシャレた「エビスヤ」は、昭和48年の住宅地図では「えびすやたばこ」。たばこ屋さんにしてはハイカラな気がする。もともと、隣と合わせて一つの建物だろう。昭和48年の住宅地図では「吉村銃砲店」。銃砲店というのは、今まで探索してきて初めてであった。成田が山だからだろうか?

えびすやたばこと、吉村銃砲店

田町商店会の街灯は、クリアな透明の宝石みたいだ。

田町の街灯

和菓子屋の「山城屋」も「富井呉服店」昭和48年の住宅地図で確認できる。

山城屋

日用品だけでなく、祭りで使うはっぴなども販売していた。

富井呉服店

富井呉服店の向かい側に、水子地蔵と子安地蔵が並ぶ高台。色とりどりの風車に誘われて、訪ねることに。

田町の水子地蔵と子安地蔵

水子の霊を弔うため、昭和45年に安置。

大量のお供え物があり、地元の方から大事に守られている場所であることを実感。

カラフルな風車

なんと、「新四国八十八か所 四十七」の石碑。成田でも八十八か所巡りを実行してみたいなあ。

新四国八十八か所巡りもできる

昔の写真を見ると、このあたりに火の見櫓があったそうだけど…

さらに奥には、「白鬚庵」「三橋鷹女の句碑と墓」。白髪(しらばっけ)と呼ばれる墓地の先に、成田では有名?な女流俳人の石碑があるのだとか。

三橋鷹女の句碑と墓へ

今回は、成田山新勝寺で茂みの中進んでいったときに母が蜂に刺されたので、ここは断念。冬になったリベンジしよう。階段の奥は成田山公園に繋がっている。

成田山公園へ

再び田町商店会の道へ。

なんと、成田の観光名所がこんなにもあるとは…しかも劣化で文字が見えづらくなっている。ほとんど知らなかった。

多すぎ!

映画とかに出てきそうな、食堂のような建物。もう開くことはない入り口。東参道に参詣者が押し寄せた時代もあったのだろう。昭和48年の住宅地図では「縫月堂」と思われる。

縫月堂?

田町商店街について全体のMAPがあった。これは有難い。先ほどの水子地蔵のところに火の見櫓があるということは、ちょっと古いものなのかもしれない。

田町商店街のMAP
Advertisement

赤富士

赤い富士山。その名も「赤富士」。

焼き鳥などを楽しめるお店だったのかな?昭和48年の住宅地図では載っていないので、近年営業していたお店かもしれない。

赤富士

また、駐車場には「MARUZEN」とツバメ?のようなイラスト。これはガソリンスタンドだったのではないか。

ガソリンスタンド?

成田山新勝寺の東門から思い立って探索。意外と東参道の名残を感じれて良かった。通天閣、現在も残っていたら一大観光スポットだろうなと、想像しながら東参道の探索前編を終える。

 

(訪問日:2020年7月)

 

error: このコンテンツのコピーは禁止されています。