土屋通り裏にある老舗旅館「成田屋」(休業中)とレトロ街灯に出会う ―成田⒆

旅館「成田屋」。成田山新勝寺の西側、土屋中央通りの裏道にひっそりと構える老舗旅館は現在休業中。市川團十郎にもゆかりのある旅館だそうですが…
さらに、探し求めているレトロ電柱(コンクリート街灯)も発見しました。
旅館「成田屋」 現在休業中
千葉県成田市土屋。成田山新勝寺の西側にある裏門、南北に伸びる「土屋中央通り」を探索中。商店街の現在については前回の記事をご覧ください。

土屋中央通りから成田山新勝寺の奥山広場へと行ける裏道がある。その裏道沿いに、老舗旅館が健在だった。
その旅館については、「成田裏道歩き」というサイトの2019年5月に行われた街歩きで、「7代目市川團十郎ゆかりの旅館成田屋」として紹介されており、現在も残っているのか確かめようと思って訪ねたのであった。

最初、場所が特定できずウロウロとしていたのだが「成田山近道」の看板が出ている裏道を進むと右手に存在した。
旅館中食成田屋。

調べても全く情報が無く、裏道なのでGoogleストリートビューでも表示されない。果たして現在は営業しているのか?
旅館の脇には、水路が流れていた。

成田屋の正面。うーん、素晴らしい佇まいだ。胸の高鳴りが収まらない。正面の看板にも成田屋、うなぎ、屋根にも成田屋と見える。

戸がすべて閉まっている。しかし、左手前には成田名産の漬物や羊羹、又兵衛(宗吾霊堂)の佃煮などが販売されていた売店がそのまま。
これは休業中なのか…
恐る恐る扉を開けてみると、現在も漬物が販売中だったのでお土産を購入しながらお話を伺った。

市川團十郎ゆかりの旅館、というのは間違いないらしい。屋号の成田屋を貰ったという。現在何代目かは分からないほど歴史がある旅館だが、コロナが流行してから2年ほどお客が来ないので休業中。残念すぎる。
土間、階段、昔の旅籠そのまま残っている。正直、成田では一番の旅館建築ではなかろうか。なぜ、ここまで知名度が低いのかと思っていたら、常連さんが毎年来ていたからだと思われる。

昔は茨城県の方から南下して、成田山新勝寺に参拝に訪れる人が土屋中央通りの成田屋を利用していたのだろう。
館内には2畳ほどの狭い部屋もあるらしい。廊下の奥にちらっと見えた洋風な雰囲気、年代を感じる顔みたいなデルビル電話機など、館内の全貌が気になる。再開することがあるのか不明だが、このまま記録できずに消えてしまうのが惜しい。老舗旅館好きとしても一度は泊まりたい旅館だった。
成田山の裏道でレトロ電柱(コンクリート街灯)
さらに驚いたのが、成田屋から成田山新勝寺へ向かう階段で見つけたレトロ電柱!うわ…これも知らなかった。右手に2本ある。

状態も良い。昔は同じレトロ電柱が、裏道沿いに並んでいたのかな~
昭和初期の鳥瞰図を見ると、この裏道沿いにも茶屋があったのでそれなりに人通りがあったのだろう。

今まで見たことが無い、鉄製の部品が付いていた。「冨士」とある。

さらに階段を登るともう一つ。現在は街灯としては使われてない。

こちらも先ほどと同じく冨士の部品付、「成田市」とある。成田市となったのは戦後の昭和29年なのでこちらの部品はその頃のものだろうか。

今まで注目されることが無かったのか、調べてもネットに写真を載せている人は見かけず。そもそもこの裏道を通る観光客も少なそうだ。
さらにレトロ電柱の反対側には道標も。

行先は、成田山新勝寺。旅館成田屋、レトロ電柱、人知れず残る歴史を記録に残せて良かった。
(訪問日:2021年11月)
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やりましたね❗️
地道な活動がこうやって身を結ぶのですよね。
興奮冷めやらぬ様子がよく分かります。
これで旧いお宿に宿泊出来たら最高ですよね❗️
成田屋さんは空港二期工事でお世話にないました。一年の殆どは、旅館と空港の往復で、毎日、お母さんの手料理が楽しみでした。外人さんも多く泊まっていましたね。お寺の裏参道の場所にある旅館は、地区百年ほど経過した、母屋は明治の頃に建てられたそうです。 近くに共同墓地があって、宿泊中も何度か、心霊現象に遭遇して、とても楽しい経験をしました。
懐かしい写真を有難うございました。
最後に、お母さんお元気で!
コメントありがとうございます!
宿泊された方からコメントを頂けるとは…嬉しいです。今は宿泊が叶いませんが、ご主人も元気そうでした。