成田に残る煉瓦造りのトンネル!幻の「成宗電気軌道」の遺構・電車道 -成田⑻

成田に残る煉瓦造りのトンネル!幻の「成宗電気軌道」の遺構・電車道 -成田⑻

電車道。成田山新勝寺にはかつて、千葉県唯一の路面電車である「成宗電気軌道」が門前を走っていた。その道が現在も「電車道」として残っていると聞き、今回は成田山新勝寺と「成宗電気軌道」の歴史について迫りたいと思う。

電車道ってなんだかわくわくする。なんと、レンガ造りのトンネルも残っているのだとか!

 

成宗電気軌道の歴史

成宗電気軌道の成り立ち

成宗電気軌道は、1910年(明治43年)に開業。そして1944年に廃止され、約30年という短い間、多くの人に親しまれた路面電車であった。

明治43年に開業した成宗電気軌道は、千葉県で初めての鉄道。古くから参詣客の多い成田山新勝寺と宗吾霊堂を東西に結んだことから、「成宗電気軌道(せいそうでんききどう)」に。全線5.3キロ。成田山新勝寺から宗吾までは約17分。

最初は現在の表参道に敷設するなどの話もあったが、門前町の方からの激しい反対が起こった。一方で、東参道の方にとっては利便性が向上するため、鉄道開通を歓迎するなど、意見が対立した。

開業当初の停留所は、成田山門前、幼稚園下、成田駅前、論田、新田、大袋、宗吾の7か所。始発と終電以外は時刻は定まっておらず、利用客数などに合わせていたらしい。また、「チンチン電車」との愛称でも呼ばれ親しまれていた。

安定した経営が続いていたものの、乗合自動車(バス)や通行の妨げになるということから、地元から廃止論が出始め、1944年、不要不急線として廃線に。全線廃止に伴って、鉄を供出させられ、短い歴史に幕を閉じた。

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電車道(成宗電気軌道の線路跡)

現在、「電車道」と呼ばれる京成成田駅から成田山新勝寺までの道は成宗電気軌道の線路をそのまま道路に転用した道。当時のトンネルも2か所、そのまま残っており、かつての鉄道に思いをはせることができる。

電車道

また、当時の車両は現在、函館で利用されているとのこと。赤いチンチン電車の姿を、遠くの北の大地で「函館ハイカラ號(ごう)」として見ることができる。いつか訪ねてみたい。

かつての成宗電車のイラスト
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成田山新勝寺の鳥瞰図の電車道

松井天山が昭和13年に描いた成田山新勝寺の鳥瞰図にもその様子が描かれている。

松井天山が昭和13年に描いた成田山新勝寺鳥瞰図

が、しかし。ちょっと様子がおかしいとは思わないだろうか?

電車ではなくバスが走っている。昭和13年というのは、まだ成宗電気軌道が現役だった頃だ。

なぜ?と思い調べたところ、昭和12年に町と電車会社の間で廃線し自動車道にするとの交渉が決まったことから、時代を先読みして松井天山が描いたと思われるそうだ。廃線になったのは昭和19年。ちょっと先の未来を見ることができる。

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成田山信徒会館と蓬莱閣ホテル

電車道を探索する前に、成田山新勝寺の門前に大きく構える建物が目につく。「成田山信徒会館」である。

成田山信徒会館

実は、成田山信徒会館は深い歴史がある。

成田山信徒会館は、大正15年、東京の実業家が旅館を買収して新たに建てた成田最初の近代ホテル「蓬莱閣ホテル」の跡地である。この旅館の設立には、門前にあった「海老屋・阿波屋・小川屋」の旅館が合同で株式会社を設立。鉄筋コンクリート3階建て、大小30数室を備え、舞台付きの大広間、千人風呂・家族風呂などの施設だけでなく、階下には参詣客向けの大食堂も。

千人風呂など、門前には多くの老舗旅館が残っている中、画期的な旅館だったことがわかる。

戦時中は、海軍病院、その後は成田赤十字病院と利用され、昭和29年に成田山が建物と土地を買い取り、現在の成田山信徒会館に至る。

2004年の成田山開基1070年祭記念事業の総門建立の際、惜しまれつつ取り壊され、現在は広場に。総門の前の広場、やけに広いなと感じていたのだが、このような歴史があったとは…

ちなみに海老屋旅館は、現在「ドライブイン海老屋」として電車道の途中で営業中。

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電車道へ

いよいよ電車道へ!電車道へは、成田山新勝寺の総門から、成田山信徒会館の脇にある大きな道を南へと進む。

電車道へ

表参道と比べるとかなり道幅も広い。しかし、とても静かな雰囲気。建物の間、山の上に階段が続いているのがおわかりだろうか?実はこれ、成田探索の記事で書いた表参道の裏にある階段の方面へと繋がっているらしい。

表参道の裏道って気にしたことある?成田山新勝寺、老舗旅館の裏側にあるディープな歴史 -成田⑴

電車道

表参道ではなく、電車道で見つけた海老屋旅館で鰻定食を食べても良かったなあと思ったりもした。外観は老舗の雰囲気はないものの、名物の海老天丼を食べてみたい。

奥が海老屋
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成田町役場

松井天山が昭和13年に描いた成田山新勝寺鳥瞰図を見ていると、電車道の周辺に「成田町役場」がある。

成田町役場は、海老屋旅館の裏手、本町に昭和9年に建てられた。現在建物は残っていない。成田市市役所として行政の中心地であったが、昭和33年には花崎町に新庁舎が完成したため、その後は印旛教育会館として利用された。

その影響もあってか、電車道の周辺は豪華な建物も多かったらしい。そうした視点を持って、電車道を探索してみよう。

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わたや旅館

電車道の途中で見つけた旅館「わたや旅館」。

わたや旅館は長期滞在も歓迎のビジネス旅館で、参考価格は3500円~となっている。安い!現在も営業している、はず。

わたや旅館

五月詣のポスターも発見。

五月詣

木製の電柱も。成田山新勝寺は、表参道は整備されているが、一本裏に入ると木製の電柱やレトロな街灯が多くて嬉しい。

木製電柱
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住宅街

電車道から少し離れる。電車道の東側にある道は成田市役所が存在した周辺の住宅地。何のために2階に扉があるのか謎な建物。

トマソン?

緑色の外壁も素敵である。

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洋館付住宅、諸岡邸宅

中でもとても気になったのは、洋館のような建物を持つ商店。

洋館?

クリーム色のような洋風な建物は、接待するための建物だろうか?

洋風な建物

窓のつくりもこだわっている。

窓も綺麗

門柱は、大小のブロックを組み合わせたモダンなデザイン。

門柱

和洋折衷型の住宅は、当時の中流家庭の憧れであったそうだ。和風住宅の一部に、洋風建築。玄関わきの目立つところに洋館を付設したという家庭も多かったらしく、この建物も玄関の脇にあるので同じ類だろう。つくられたのは昭和30年頃までとあるので、この諸岡家住宅も同年代のものと考える。

窓は、上げ下げができる縦長の窓。

上げ下げ窓

側面は、少しだけレンガ造りの土台が残っていた。

レンガ造り

そういえば、東参道の方にも和洋折衷の邸宅があった。

【東参道】見ないと損!レトロ建築!成田山新勝寺の東、田町商店街。-成田⑺

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諸岡市郎左衛門商店

諸岡市郎左衛門商店」と金色の文字と、青いスペイン瓦がマッチしている格式高い雰囲気の商店。

諸岡市郎左衛門商店

営業中だった。昭和42年の住宅地図を見ると、電車道の表に商店を構えていたようであるため、かなり古い商店かもしれない。坂道に沿うように並ぶ白い壁。

壁も圧巻!

壁から見える奥の建物の窓も素敵!これはかなりの豪邸だ。

窓にも注目!

今は無き、玉川旅館を彷彿とさせるような豪華な窓。台風などの被害に遭わないで残ってほしい。

大きな窓

壁沿いには、井戸が残っていた。

井戸
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坂を登って

坂を登っていると、成田山新勝寺のにぎやかさが嘘のような、昭和感のある風景に。

坂を登る

入り口が2か所あるように見えるが、旅館か何か経営していたのだろうか。

入り口が2か所
石碑なども大事にされているようだ
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レトロ街灯

大きな円盤を持つレトロな街灯。

写真だとわかりにくいが、かなり大きい。表参道の裏でも発見したのと同じタイプ。この一本だけこの道では残っていた。

レトロな街灯!
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レンガ造り!成宗鉄道第一トンネル

坂を登ると、レンガ造りのトンネルが上から見渡せる。これが「成宗鉄道第一トンネル」。

成宗鉄道第一トンネルを上から

下は交通量が多く、写真撮影はちょっと危ないため、じっくりと鑑賞したい方は上から見るのもおススメ。

上からよく見える

明治43年(1910年)につくられたとは思えないくらい、当時の技術力の高さに驚く。第一、第二トンネルとも2014年に「土木学会推奨土木遺産」に認定されている。

成宗鉄道第一トンネル正面

トンネルを間近で見たかったので、電車道を戻り、トンネルへ。

第一、第二とも同じようなトンネルに見えるが、どうやら全く異なった方法でつくられたらしい。

電車道へ

第一トンエルは、「開削方法」
全体の土砂を取り除き、トンネルをくみ上げてから戻す方法

第二トンネルは、「トンネル工法」
地山を掘削し、煉瓦を積みながら裏込を行う方法

変色している部分もある
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積み方としては「イギリス積み」だろうか。

団子とに長手と小口を繰り返しているように思う。煉瓦の積み方は、まだ勉強中だが、松戸のレンガの記事で見分け方のイラストを描いたので気になる方は見てほしい。

【松戸散策①】松戸はレンガ建造物の宝庫?!松戸のレンガ探しの旅へ

イギリス積み?

トンネルの長さ12mほど。トンネルというほど長くはないが、状態も良く残っている。

トンネル内部へ
これは何の痕跡?

トンネルを抜けると、成田幼稚園下という駅が設けられていたという。

幼稚園下駅

また、成宗電車のトンネルという表示も設置されている。説明もあるのでここで休憩。

説明付き

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レンガ造り!成宗鉄道第二トンネル

ちょっと進むと、第二トンネル。こんなにも短い間隔で残っているとは思わなかった。

看板

土木遺産としては千葉県内で10か所目の登録らしい。

土木遺産の看板

明治、大正、昭和、平成、令和。

変わらずこの街を見守ってきたレンガ造りのトンネル。

第二トンネル

内部は、煉瓦がはがれてしまったのか、コンクリートで覆われている部分も。

コンクリートで補強?

第二トンネルの長さは40メートル。こちらはしっかりとトンネルという重みを感じる。

第二トンネル駅側から

電車道を辿って

電車道は、このまま京成成田駅の方面へと続く。

電車道から見下ろす形で、SLが見えた。栗山公園だ。周囲にはミニ鉄道の運行の線路も。

栗山公園とSL

至って普通の道路を歩いていて、電車道の表示があるのは嬉しい。

電車道の表示

京成成田駅の裏側は初めて来たが、まだ昭和感が漂っていて良い感じ。

京成成田駅裏側

写真に撮っていなかったが、駅から参道の方へ赤い橋が架かっている。「開運橋」と呼ばれる橋だが、松井天山の鳥瞰図にも載っている。京成成田駅からの参詣客はこの道を利用したらしい。

たばこ屋さん

電車道とレンガ造りのトンネル。思った以上に移行が綺麗に残っていて見所があった。

ここで成田山新勝寺の周辺の探索シリーズは一旦終了。また追加で調査に訪れたいほど、とても濃い歴史が残っている成田山新勝寺周辺。

ぜひ、成田山新勝寺へ観光に訪れた際には、表参道以外にも立ち寄ってみて欲しい!

 

まだ探索シリーズ見ていない方はこちらからどうぞ↓

表参道の裏道って気にしたことある?成田山新勝寺、老舗旅館の裏側にあるディープな歴史 -成田⑴

 

(訪問日:2020年7月)

 

 

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