津田沼「瀬山家住宅」。千葉街道沿い、大正10年建造のレンガ建築が眠る 

津田沼「瀬山家住宅」。千葉街道沿い、大正10年建造のレンガ建築が眠る 

国道14号沿い(千葉街道)にあるレンガ建築を気になっている人は多いのではないだろうか?以前、京成津田沼の商店街の記事で少し紹介したが、今回改めて詳細を記録しようと思う。

千葉街道沿いのレンガ建築

千葉県習志野市津田沼7丁目。

京成本線「京成津田沼駅」から南、国道14号(千葉街道)を西へ進むと緑の蔦に覆われたレンガ建築がある。

千葉街道
レンガ建築

この写真を撮影したのが、2020年6月。全体が緑の蔦で覆われていて、建物の外観がよくわからない…

蔦に覆われているせいで、てっきり新しい建物では?と勘違いしてしまうほど。しかし最近、「千葉県近代建造物実体調査報告書」のページを見ていたら同じ建物を見つけ、この建物が「瀬山家住宅」であることがわかった。

2010年のストリートビューではこちら

どう?全然違うでしょ…

写真をよく見ていると、文化財のページに載っている写真とあまり変わらない姿が浮かび上がってくる。蔦に覆われて細かい意匠がわからなかったが、まさしく「瀬山家住宅」だ。

かつては右にも同じようなレンガ造りの建物が存在したんだな。

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「瀬山家住宅」の歴史

先ほどの「瀬山家住宅」のページによると、大正10年(1921)建造とある。

谷津干潟にほど近い市街地に建つ,総2階建,煉瓦造の店舗兼住宅建築で隣接して切妻造の蔵が通りに面して建つ。建物は基礎を切石積み,四隅に隅石を置いてイギリス積み煉瓦で壁を積み上げ,1・2階境を仕切る胴蛇腹を石で,軒蛇腹を煉瓦でともに水平な線で造っている。窓の建具は変わっているが,石造の窓台とマグサ材はもとのままである。蔵は隅石の材質を変えてアクセントを付け,基礎・壁体・軒蛇腹ともすべて石造の防火建築としている。[事務局]

今年でちょうど100年の建物か~感慨深い。

往時を偲ばせる

ちなみに習志野市のホームページには大正12年(1923)築とあるので、どちらにせよ大正時代建造。

瀬山卓蔵邸
国道14号線沿いにある洋風建築。1923(大正12)年築。実業家・三代川長吉の自宅として建てられ、跡取り娘が瀬山卓蔵と結婚したため瀬山邸と呼ばれています。建設当時、大火事が発生しましたが、鋸(のこぎり)山から石を切り出して建てられた瀬山家の石倉が防ぎ止めたことから、石は火にも風にも強いと、建物にレンガや石を使ったということです。

入り口の上に「瀬山卓蔵」と書いてあった。

入り口

また、鋸山(のこぎりやま)の石を切り出してつくられた話はとても興味深いな~
千葉県の南暴走にある鋸山は良質な石材の産地として江戸時代から盛んに採石が行われた山。以前登山をしていたことがあるので、私も馴染み深い山なのだ。

土台
鋸山の石?

さらに、防火建築を建造したのにも理由がある。
大正6年(1917)の秋の台風で国道14号沿いの建物はほとんど流されてしまったという。そのため、災害に強い丈夫なレンガと石を使用したのだ。

2階部分
見えない

今度は夏以外の季節にいって、建物の外観をよく撮影したい。

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「瀬山家住宅」と津田沼の歴史

瀬山家住宅を建てた三代川家は、江戸末期から海運業を営み、その後は澱粉工場を始めたという。

国道沿いで海運業?疑問に思う方もいるだろうか?

千葉街道沿い

昭和40年代まで、国道14号から南は海だった。船で甘藷(かんしょ)を中心とした雑穀、米、薪、墨が東京へ出荷されていた時代。

今は埋め立てられて、海岸の面影はほとんどない。

津田沼街道を歩く」にて詳しい歴史が書いてある。

澱粉で儲けた人も多く、その人々が建てた家が「澱粉御殿」と呼ばれたという。

奥の建物も老朽化もひどい

今は個人宅。建物の内部はどうなっているんだろう?取り壊しになる前に、いつか内部を見学してみたいな。

 

(訪問日:2020年6月)