鴨川「波の伊八誕生の地」見学・ 円筒の八色分水工 -鴨川⒀

鴨川「波の伊八誕生の地」見学・ 円筒の八色分水工 -鴨川⒀

鴨川のサイクリング旅続編!次は、房総の有名人・波の伊八の史跡とその手前で見かけた土木遺産・八色分水工についてまとめます。

円筒の八色分水工(鴨川市)

千葉県鴨川市八色。県道181号を西南方向へ自転車で移動していると、左の視界に何かある!と少し戻って下を覗いてみる。

土木遺産マニアの間では有名?な鴨川の円筒状の八色分水工とのこと。

八色分水工

八色分水工について、歩鉄の鉄人さんがまとめられている。円筒分水、今回初めて見たのだが、一般的に農業用水を一定の割合で分配するための利水施設とのこと。

県道からは見下す位置にあるので今はひっそりとしている。

県道からみた図

右手に設置されている碑によると「県営加茂川左岸用水改良事業 八色分水工 昭和42年3月竣工」。

ちなみに、円筒分水工は全部で三つ鴨川にあるらしい。こちらの向かいにある「大日分水工」も気になる。また次回行ってみよう。

 

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波の伊八誕生の地(屋敷・工房跡)

千葉県鴨川市打墨220 西条小学校裏。大日交差点の西側、小学校の裏手にある史跡「波の伊八誕生の地」。通りに看板が出ているので分かりやすい。

波の伊八誕生の地

表に説明看板が設置されている。看板には「彫刻家武志家の屋敷跡」と本名が紹介されている。

「彫刻家武志家の屋敷跡」

関東に行ったら波を彫るなと躍動感溢れる波の作品を彫り、葛飾北斎の「富嶽三十六景」「神奈川県沖裏波」などの画風に強い影響を与えたという話も残っている、波の伊八こと初代・武志伊八郎信由の誕生地。

伊八の名前は初代から約200年、5代にわたり昭和29年まで受け継がれていき、屋敷跡では代々の墓を見学することができる。

屋敷跡までの道
50m行くと看板が見えてくる

次の看板には「波の伊八屋敷・工房跡」とある。

波の伊八屋敷・工房跡

武志家はここ大塚台周辺一角の地主だったそう。現墓地の辺りに屋敷、前の水田の辺りに工場を構えて小規模な作品はここで、大規模な彫刻は現地に泊まり込みで制作に没頭したとのこと。

現在の墓地

こちらは平成17年に設置された「武志伊八郎(波の伊八)旧居跡」の碑。

武志伊八郎(波の伊八)旧居跡

江戸中期の建築様式の欄間等を彫る。ことに(関東に行ったら波は彫るな)と恐れられていたと伝えられている。鴨川市貝渚永泉寺(曹洞宗)の檀家で、寺の過去帳によると(了安道全居士)を祖とし、代々名主を勤めていた。大東亜戦争を境とし、彫刻家五代目、高石武一郎を以て絶える。一時、墓を鏡忍寺に移したが、子孫も遠方に移住したため、家代の供養を念じ、四代目仙蔵二女越雪マサの意志により、旧居住跡の旧墓地に戻す。

太平洋戦争を期に伊八としての歴史は途絶えたが、平成に入り現墓地に5代全てが集められたようです。現在も綺麗に整備されていた。

工場など建物は残っていない。まさに小学校の裏手にある。
日曜日、他にもこの場所を見学している方々がいた。

高台にある小学校

また、大日交差点にある金乗院で、波の伊八による向拝の龍を拝観できるそうだが見落としていた。しかし最近は荒れている状況とのこと…

金乗院

また同じく大日交差点の角にある石碑を見かけた。

大日交差点にて

「千葉県庁 東京 印旛郡佐倉…」各地までの距離が刻まれた道標。明治26年のもの。

また、鴨川市郷土資料館にも立ち寄った。入館料200円!

波の伊八に関する彫刻の展示や鴨川の昔の生活が分かる看板や珍しい郵便ポストも展示されていて興味津々!

鴨川市郷土資料館

こちらの建物入口にも道標がある。明治44年の六面?刻まれた道標。

「あまつみなと かつうらみち…」

資料館で気になっていたことを質問したり郷土史本を購入。偶然であった地元の方からは「大きな旅館が三つあって県内一の宿泊地だった」と。地元の方と話すのは楽しい。

 

(訪問日:2022年4月)

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