成田市「滑河観音」重要文化財の仁王門を見に。消えた菊水台古墳 -滑河⑵

JR滑河駅から歩いて、滑河山龍正院へ。その途中に、人間の手によって消えた文化財を目の当たりにした。
消えた菊水台古墳と富士祠
千葉県成田市滑川。JR成田線「滑河駅」から南へ徒歩20分の場所にある、滑河観音を目指す。
県道103号をひたすら歩くだけの道のり、何もないと思っていたが、左手にぽつんと鳥居が建っていた。神社…?

ホームセンターの向かい側あたり。鳥居の奥は少し高台になっているものの、建造物はなく真っ白いコンクリートの床面にお行儀良く、碑が並べられていた。なんだここは…

あまりにも不自然だ。人の手が加わっているに違いない。初めて見た場所なのに、強烈な違和感を覚えた。
帰宅してから調べると、ここはかつて「菊水台古墳群」だったそうだ。浅倉当吾さんのブログで2018年頃の写真が載っている。→菊水台古墳群
砂利採取のために台地が大幅に削られ、古墳は見るも無残な姿に…
2012年のストリートビューと比べると一目瞭然。

3分の2ほど削られ、階段と石碑、鳥居が残るのみに。

2018年頃にショベルカーでほとんど崩され、現状の姿になったようだ。あな恐ろしや…

とある看板店の門柱が素敵だった。

街灯には「下総町街路灯組合」。平成18年に合併した旧下総町時代の街灯だった。


滑河観音(龍正院)へ
千葉県成田市滑川1196。滑河観音脇丁字路まで来たらすぐ滑河観音(龍正院)。

南側に、見てみたかった茅葺の仁王門がある。

その前に、忘れてはならないのが電柱脇にある「滑河町道路元標」。

仁王門の南側はバス停があるからか道路が広く、奥にはフルヤ牛乳の看板が見える。現在は商店等が無いが、かつては参拝者向けのお店があったに違いない…

また、滑河観音の東側には旧滑河小学校の跡地に「滑河文化財保存展示施設」がオープンしている。私が訪問した後の令和4年4月にはじまったのでまた再訪しないとな~

茅葺屋根の仁王門。重要文化財である。諸説あるが、室町時代に建立されたものと考えられているそうだ。

正式名称は「竜正院仁王門」として千葉県教育委員会のホームページ上で紹介されている。
この仁王門は、三間一戸といい、正面3間でその中央1間が入口となる八脚門である。本柱や控え柱は、一見円柱にみえるが、よく見ると十六角柱である。門左右にある脇間の正面は縦格子、周囲は横羽目板張りで、柱上の斗は出組で軒桁を受け、各柱間に間斗束を設けている。内陣の柱上組物は三斗組、つなぎ虹梁(こうりょう)を架け板蟇股(いたかえるまた)を用いる。和様を主体としてそれに禅宗様が加わった折衷様式で、屋根は寄棟造の茅葺であり、全体に落ち着いた雰囲気をもっている。

身が引き締まる重厚な茅葺だ。これを見るために駅からはるばる歩いてきたのは正解だった。

龍正院(滑河観音)は、滑河観音の名称で親しまれている。平安初期の承和5年(838年)に慈覚大師が開基したと伝えられている。
滑河山龍正院は、坂東三十三観音霊場の第二十八番札所にして、利根川の本流足下に洗い、西北遥かに筑波の秀峰を望む水と緑豊かな田園にかこまれた霊地である。(公式ホームページ略縁起より)


本堂は、元禄9年(1696)の建立で千葉県有形文化財。

本堂の階段を上ると外陣であるが、正面入り口に扉はなく、四本の大紅梁がかけられ、天井は化粧屋根裏に続いて内側を鏡として、左右に天人を、中央に龍を飾り、ゆったりとした大空間をつくり、いつでも観音の慈悲にすがれるようになっている。
本堂正面を上がると、左右の軒下近くに二頭の木彫りの馬が奉納されている。もとは青と白の馬であったというこの馬は、左甚五郎の作ともいわれている。(境内ご案内より)
そして滑河駅へ戻る途中、県道沿いで見かけた石碑…
半分に折れ、草木に埋もれてしまっている…
文化財の近くにあるというのに、碑や古墳の姿は注目されていないようだった。
(訪問日:2022年1月)
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出るか出るかと期待してたのですが、話が成田に飛んでしまったので筆を執りました。
今回は勿体ない事をしましたよ。滑川観音まで来てたのに立ち寄らなかったとは、後200m程だったんです。場所としては滑川観音から利根川方面に200mです。
それは「朝日が淵」で利根川図志巻五の滑川観世音の次に記載されています。
挿絵では8本程度の柳の木と身長の倍はありそうな石碑が描かれていますが、実際は身長の半分程度の高さの石碑と1本の柳の木しかありません。
柳の木は減っても仕方ありませんが、石碑は明らかに誇張されて描かれていますね。
タモリがブラタモリで江戸時代の絵は如何に見せるかで現実とは違うと言ってましたが、正にそれですね。
建物なども低いのに高く描く傾向があったので、石碑も大きく描いたと思われますが、実際に見てない可能性もありますね。
ガッカリしたく無い人は実物を見る前に挿絵は見ない方が良いのかも?
朝日が淵の実物を見ないと話しにならないので見て来たのですが、観音応現碑の石碑は思っていたより大きくて、身長程の高さがありました。しかし写真に撮ってみるとやはり小さく見えます。
不思議ですが後ろに柳の木があるから小さく見えるのかな?
寛政九年(1797)の石碑ですが、彫も深く固そうな石ですので文字の確認も容易に可能です。