「那古船形駅」周辺の商店街。歴史を感じる”内陸の商業都市”郵便局跡地や道標 -那古⑴

「那古船形駅」周辺の商店街。歴史を感じる”内陸の商業都市”郵便局跡地や道標 -那古⑴

今回は「那古船形駅」で下車!この駅は、漁港の船形と那古寺の門前町として栄えた那古の地名を合わせた駅名となっています。

古くからの門前町には、かつて名の知れた旅館が存在、花街などの歴史もあり、図書館で資料を収集して歴史を深堀しました。そのため、全部で4記事。合わせてご覧ください~

「那古船形駅」美しい木造駅舎

千葉県館山市船形227。内房線「那古船形駅」へ到着!美しい駅舎だ~!

那古船形駅

大正7年(1918)開業。木造駅舎は開業当時のまま。外壁は塗装され白色に、屋根は水色になっているが、駅名のホーロー看板も残っていて貫禄がある佇まい。

青空に映える

私と同じタイミングで降りた同年代の若い男性も駅舎を激写していた。同じような趣味の方かな?なんだか嬉しい。

那古船形駅 ホーロー看板
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那古船形の歴史

那古船形(なこふなかた)は周辺の2つの地名から由来している。
駅の東側にある那古寺(なごじ)の門前町でる”那古(なご)”と、古くからの漁師町である西側の”船形”。今回は駅を降りて2つの地域を3時間ほどかけて探索しました!

駅名は、”なこ”だが、地名は”なご”と読むので注意。

美しい駅舎

角川書店『角川日本地名大辞典』から那古の歴史をざっと調べる。

まず、那古(なご)について。(船形は、船形の探索記事の時にまとめますね!)

館山平野の北部に位置し、西は館山湾に面する。元禄の頃まで、那古山のふもとは海岸であったといわれる。

元禄、江戸時代までは海岸線が今よりも近かったことに驚き。
その後、江戸中期頃からは那古観音が観音の霊地として庶民の信仰を集めた。

明治22年東京湾汽船株式会社が設立され、那古桟橋は汽船の発着場としてにぎわった。大正8年国鉄北条線(現内房線)が町内に開通の後、旅客輸送の中心は鉄道に移ったが、薪・炭・竹材の積出しは行われていたという。

明治時代には、”内陸の商業都市”として栄え、那古寺の門前町として多くの参詣客が訪れた。その門前町の賑わいについては、次回の記事で詳しく紹介します!

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那古船形駅前の街並み

最初は、那古を目指します!その前に、那古船形駅周辺の街並みを記録に残しておきたいです。

駅前は売店などは無く、ここは本当に観光地…?と目を疑ってしまった。私が訪れた時は、駅前の県道185号沿い、駅近くの土地は更地になっていたのだ。

駅前の県道185号

2014年のストリートビューを見ると、建物が並んでいる様子が見える。

大正時代に鉄道が開通してから、電車で那古寺へ向かう人が多かったと思われるので、駅前にも飲食店があったはず…

ストリートビューに写っている、定食屋や居酒屋「停車場」、長谷川ふとん店、その他古い建物が一掃されている。再開発を行う予定でもあるのだろうか?

駅前のとおりはこれといったお店が無く、那古船形駅入り口の交差点まで出てきた。

那古船形駅入り口の交差点

交差点の角、更地になっているが古そうな石畳と門柱が残っていた。これは何か近代建築の名残では…?!

近代建築の名残?

2014年のストリートビュー

郵便局のような白い建物が映っている。きになったので、昭和35年の住宅地図で調べると「船形郵便局」が存在したことが分かった。 当時、さらに向かいには警察の派出所も。

郵便局も石畳だけ残っているが、元々は古い建物がそのまま残っていたのかもしれない。写真などが残っていないか探そう。

そして、交差点から東へ。

元酒屋?
コカ・コーラのレトロな看板

窓も開いていて老朽化が激しい建物。次訪れた時は無くなっているかもしれない。

ビニールシートで覆われていた

昭和35年の住宅地図では、隣は魚店。向かいには薬局、洋品店などがあり、駅前の商店街として栄えていたことが分かる。現在はお店は一軒もない。

朽ちるのを待っているようだった
船形駅前のバス停

左手にある「和田洋品店」。こちらは昭和35年の時も営業している老舗。現在も営業中。

和田洋品店

さらに東へ進むと、「甘太郎あおき」といったお店も存在したようだ。現在は取り壊されている。

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川名の角にある石碑

那古寺へ向かう途中、丁字路の角に石碑を見つけた。ここは、館山市川名。

丁字路の角

縦長の四角い石碑。4面に文字がびっしりと描かれている。

右から

安房郡北条町一里八町??間
平郡勝山村 二里五町?間
朝夷郡和田村 四里廿一町五間

平郡(へいぐん)勝山村、現在の安房勝山駅周辺。平群郡と呼ばれていたのが、江戸時代以前の話なのでこの道しるべも江戸時代以前に作成されたものだろうか。

こちらは、距離について。

千葉懸廳 廿三里廿…
東京 三拾四里
印旛郡佐倉町 廿八里…

懸廳=県庁。ここから千葉県庁までの距離が描かれているのが興味深い。

距離について

こちらは、那古町・勝浦村・八束村への距離が描かれている。

グーグルマップで見ると分かりやすいが、石碑が設置されているのは小川が流れているちょうど暗渠部分。そう考えると、この石碑は昔は橋の近くにあり、多くの旅人の目印になったのではないだろうか。

井戸

さらに那古寺方面へ。2019年のストリートビューに銅板が美しい建物が映っていた。現在は無い。

山側をよく見ていたら、大きな穴が開いていた。防空棒の跡かなと思ってしまうほど。

大きな穴が並んでいた

那古船形駅周辺は一旦ここまで。ここから先は、那古寺の門前町として次回紹介します!

 

(訪問日:2021年9月)

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