「中山骨董市」中山法華経寺で年二回開催&「日祐上人 墓所」 -2022年春
この日は、年に数回の中山法華経寺の骨董市へ参戦!2022年春。
法華経寺周辺の探索も合わせてまだ歩いていないところを記事に残します。
小栗原蓮池公園~中山法華経寺参道
千葉県市川市中山2丁目10−1。目的地は、中山法華経寺!
その前に京成中山駅~法華経寺までの道のり。駅南側にある小栗原蓮池公園、名前からして昔は蓮が綺麗だったんだろうなと。
石碑によると昭和36年に開園した児童遊園とのこと。
「中山かわら版」さんの記事によると、昭和40年頃までため池が存在していたそう。石碑の土台の岩はその名残かな?
かつて小栗原稲荷から多聞寺のあたり一帯に「小栗原城」があったそうなんです。
そこから「小栗原」と、
昭和40年頃までこの公園内に蓮の花が咲く溜め池があったという事から「蓮池」
の名前がつけられたようです。
一本裏道を入ると古い照明や看板が残る家も残っている。
また、中山法華経寺の参道の風景も少しづつ変っていた。蕎麦屋「玉家」の店舗と奥にあった井戸が無くなっていた。
中山法華経寺 春の骨董市
中山法華経寺の骨董市。春と秋に開催している。
開催日:4月15日~18日/11月15日~18日
出店数:80~100店舗
私も社会人になったが可能な限り初日に参加、難しい場合は母が参加している。この日は休日だったので無事に参加できた。
石畳の参道から本堂の前にかけてお店が沢山!
今回は私が欲しい紙物類が少なく、母がレトロな先割れスプーンと石蹴り等を購入していた。
時期やタイミングによっても出逢えるお宝が異なるのが骨董市の魅力!春と秋の開催が待ち遠しい。
周辺探索 祐師山・洋館など
また、中山法華経寺周辺の探索も。参道西側にある遠壽院(おんじゅいん)は桜が舞い散っていて春爛漫!荒行で知られている。
仁王門の傍にある智泉院。河津桜が満開!
智泉院から安房神社、神社の裏手に閉鎖された墓地のような広い空間があり気になった。グーグルマップでは「祐師山」「日祐上人 墓所」「大田乗明及び日高 墓所」等記載がある。
レファレンス協同データサービスに解説があった。https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000088593
中山法華経寺の黒門左側の前方後円墳状の台地一体を「祐師山」といい、日祐(1298~1374千葉胤貞の養子で後の法華経寺第3世)の廟所が置かれたところからその名がついたとのこと。その他、大田乗明(1222~1283 日蓮の有力な檀越、富木日常・會谷教信らとともに早くから日蓮に帰依)及びその子である日高(1257~1314 法華経寺第2世)の墓も「祐師山」にあることが分かった。
なお、『中山史 増補版』(法華経寺/編集 1978)p62に日祐の墓所として祐師山が写真入で紹介されている。
現在は立ち入り禁止となっており外からの見学のみ。祐師山の石塔も遠目から確認できた。『江戸名所図会』にも載っているとか。
裏手には石段も残っている。
山門の石碑、石段、石畳等残っているが参拝することが出来ない上に管理されているのか不明な状態…
中山法華経寺のほど近いところにこんな場所があるなんて知らなかったな。
また、中山法華経寺の方に引き返して東側の道を北上して若宮地区へ。
中山法華経寺に隣接しているピンク色の洋館が気になるんだよな~手前のシュロの木から戦前の雰囲気も感じるが…
五重塔の東側にあるのは、泣きイチョウ。
説明看板も設置されている。法事に遅刻したため父親が勘当… 今の時代にも通じそうな話であった。
(訪問日:2022年4月)
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小栗原蓮池公園・・・市川市中央図書館にあった書籍で写真を見たのですが、かつてはそこそこ大きな池で、隣接して小栗原公会堂が建っていたそうです。日本毛織の女工さんたちを楽しませるような演劇が開催されていたようです。京成電鉄との間に建っていたようですが、その痕跡も探しきれてはいません。
中山法華経寺の骨董市・・・私も散策ついでに掘り出し物を探すために寄るのですが、もしかしたら明里さんとすれ違っていたのかもしれませんね?笑
祐師山・・・よくぞここまで(笑)ここは子供たちの間では間違って夕日山と呼ばれていました。確かに夕陽が綺麗だったのかもしれません。でも『処刑場』だったとか『首狩場』だったとかの噂もあって、遊びに行くのも神妙な面持ちだったような気がします。実はですね、中学の社会科の先生に『君達の通学路の範囲内に前方後円墳があるのだが今はその場所を言わない。ここぞと思う場所があったら聞きに来て欲しい』と言われて以来ずっと探しているのですが、祐師山が前方後円墳なのではないかと思っておりました。やっぱり、そうなんですかね?その先生は、ちょっと話しかけずらい方だったので正解は聞かずじまいで終ってしまったのですが・・・。
コメントありがとうございます!
小栗原公会堂?!それは気になります… どんな建物だったのでしょう?今度確認しなければですね。
中学生の社会科の先生なかなかキャラが濃くて笑ってしまいました。地元の方では有名な場所なんですね!
小栗原公会堂の画像をネット上で探したのですが探せませんでした。モノクロームの写真でして、池の向こうに黒々とした工場のような横長で長方形の建物が灰色の空を背景にして写っていたという記憶があります。図書館奥の誰もいない郷土史コーナーにあった複数の書籍で確認しました。最近お疲れのようですので人からも物からも離れた空間で過ごされつつ、ネット上にはない情報を収集するのも一興かと思われます。
ツイッター(今はX?)上にありましたが、『なんでこんなことするんだい?』とかって言ってくる方がいらっしゃるのですか?怒
本当は我々の世代がやらなければいけない素晴らしい偉業を明里さんは達成しようとなさってらっしゃいます。本当に頭が下がります。郷土史のジャンヌダルクですから傷つくことも多いことかと。そんな時は本当にゆっくり休んでください。頭も心もスイッチオフです。図書館、もってこいです。
中学の先生の、その言葉が郷土史探求へのきっかけとなったかもしれません。それまでは『この煉瓦造りの蔵ってなんだろーなー?』くらいにしか思ってませんでしたから。
祐師山は数ある小学生の遊び場オプションの一つなのですが、急な坂に囲まれている場所なので、すぐにオプションから外れて忘れ去られてしまいます。ですが、隣接する大豪邸の大森林といい、河岸段丘の跡と思われる急な坂といい、入り江に突き出た岬のような地形といい、あそこらへんには絶対、何か過去の記憶があるはずです。真間の手児奈のような古代史における小さいけれども実は重要な出来事があったような匂いがプンプンしてます(笑)。