昭和で時が止まった駄菓子屋。中山法華経寺の近くにある隠れ店を探して 中山⑹
船橋市中山の知る人ぞ知る、歴史ある駄菓子屋さん。中山といえば、中山法華経寺が有名だが、参道以外にも神社がある。
「中山のおひなまつり」を見学しながら見つけた、レトロな駄菓子屋へ。「こんな駄菓子屋を探してた!」と懐かしくなる人も多そうだ。
「中山のおひなまつり」安房神社
2021年2月20日~3月3日。毎年恒例「中山のおひなまつり」が開催されていた。
法華経寺、地域の商店会、町会など、中山がおひなまつり一色になり、地域の方々が作ったつるし雛を飾ります。
歴史ある中山の街並みを巡りながら、おひなさまを鑑賞してみませんか。
京成本線「京成中山駅」から参道を歩いていると、ひな祭りに関するポスターや飾りがあり楽しい。
法華経寺を参拝し、西側にある「安房神社」へ。千葉県市川市中山4丁目。
偶然立ち寄った神社だが、とても可愛い吊るし雛が飾られていた。他にも撮影をしている方がいたので有名なのかな。
奥には立派な雛人形。新型コロナウイルスがまだ収束していないけれど、こうして少しでも行事を感じることができるのは有難いな。
さらに、折り紙でつくられた雛人形をいただいた。無料で!最後の一つだったらしい。
折り紙なんて触ったのいつぶりだろう。人の温かさを感じて、訪れて良かったと思った。
帰宅して、家の雛人形のそばへ。
中山の駄菓子屋
神社の近辺、住宅街の中に駄菓子屋があるという。場所はあまり公開していないようなので、自分で探してみてください。といっても地図には載っているのですが…
ある情報によると、ガラス戸のポスターが見えたら営業中だとか…
あ!営業してる!
ポスターのところが入り口かと思い、ガタガタ…
横の扉から店主が出てきた。正面ではなく、横から入るのですね。失礼しました。
「中山かわら版」さんでも紹介されている。
中山に昭和時代からの駄菓子屋、場所は秘密なので探してみてね
これぞ、昭和の駄菓子屋!
小屋のような建物の中に入ると、タイムスリップしたみたい。令和の時代で、こんな素敵な空間が残っているなんて…感動。
壁には様々なポスターが貼ってあり、にぎやかだ。時代を感じるものもある。
しかも天井にも!タッチだろうか、昔のアニメのポスター?親の世代かもしれない。
今はどのお店も綺麗になっていて、こういう雑多なお店って少ない気がする。長年積み重ねてきた人々の想いが詰まっているような、心のふるさとのような駄菓子屋さんだった。
撮影し忘れたけど、冷蔵庫にもシールが大量に貼ってあり、びっくりした。ドリンク販売しているのかしら。
なぜか、お店の雰囲気が良すぎて駄菓子を購入する手も止まらない。奥の座敷では猫がいてこちらを見ていた。
あまりお話を伺えなかったけど、50年は営業していると聞いた。
駄菓子屋ってあまり広めてほしくないお店が多いが、このお店もあまり公開されたくないらしい。
マナーを守って、気になる方はぜひ訪れてください。
(訪問日:2020年12月)
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よくぞ!ここまで・・・。
このお店の奥を走る木下街道に大正期から明治初期にかけて7年間だけ敷設されていたという葛飾人車鉄道の痕跡を探しております。木下街道に接する小路に残る煉瓦造りの構造物が開業時の終着駅前にあった岡田酒造のものであることと、敷地内に井戸の痕跡を確認しました。この付近は池が多数点在していた過去があり、うずら台と呼ばれる隣接の台地からの伏流水が存在しているようです。
こちらの駄菓子屋さんの前も長らく広い原っぱであり、少しの雨でもしばらく水浸しになったことから、もしかしたら池だったのかもしれません。
お仕事もお忙しいでしょうからお体に気を付けて取材をなさってください。
ブラタモリに出演される日を心待ちにしております。
ぐわー!間違えてる・・・。
明治から大正にかけて9年間だけ敷設されていたという東葛人車鉄道
ですね。お詫びして訂正します。
コメントありがとうございます!
先日、ご紹介いただいた煉瓦造りの建造物を見てきました。こんな裏路地に大規模な跡地が残っているとは…と感心しながらじっくり見学しました。
他にも面白い場所がありましたらまた教えてください!
ブラタモリ、お声がかかると嬉しいですね笑
こちらはかつて木下街道沿いの豪奢な和風建築でボタン店を営まれてらして、40年以上前に伺った際には微かな疑問を感じたのですが、造り酒屋をされていた事が判明して、その謎が解けました。木下街道の終着には中村味噌さんの煉瓦造りの建屋が存在し、鬼高にはかつて醸造酢を活用したソース工場も存在していたことから、うずら台を含む若宮台地からの伏流水を利用した醸造所が点在していたのかもしれません。新川(真間川)沿いに巨大なチョコレート工場が存在し、その後にチョコレート色のマンションが建っていることも今や覚えている人が少なくなった土地の記憶です。