大洗遊廓から赤線になった那珂湊。現在も残る4か所の飲み屋の路地-茨城⑶

大洗遊廓から赤線になった那珂湊。現在も残る4か所の飲み屋の路地-茨城⑶

かつて関東三大遊廓と言われ繁盛した「大洗遊廓(祝町遊廓)」が茨城県にあった。江戸の吉原、潮来、そして大洗。それほどにまでに人々を惹きつけた大洗遊廓は、どのような歴史を辿ったのだろうか。今回は、祝町の方へは行くことができなかったが、ほど近い那珂湊の現状を紹介する。

関東三大遊廓・大洗遊廓

水戸をはなれて東へ三里、波の花散る大洗

全国女性街ガイド』(昭和30年、渡辺寛)に表現されている大洗は、関東三大遊廓としての賑わいを表すものだ。

大洗町の北に位置する祝町は、かつては沖の洲村と呼ばれる貧しい漁村だった。そこへ、延宝2年(1674年)に水戸黄門でも知られる水戸光圀公が願入寺を久慈郡久米村から移し、洲村から巌船町へ。巌町の呼び名から祝町と転じたという。

その後、元禄8年(1695年)に、水戸城から丑寅の方角にある祝町を人の気を盛んにするために祝町に遊廓を設置することを決めた。※丑寅の鬼門(きもん)は、北と東の間の方角。古来より災いの起きやすい場所として重視されてきた。

鬼門を意識して遊廓を設置したというのはここ以外で初めて聞いたが、昔の方がいかに方角による縁起を気にしていたかがわかる。

対岸にある那珂湊に出入りする船頭や水主が主な客であり、願入寺その影響で潤ったらしい。街並みも整備され、三階建ての楼が映る写真が残っている。

しかし、その後、元治元年(1864年)に水戸藩の内紛に巻き込まれ、祝町は全焼。遊廓は跡形もなく消えてしまったのだとか。

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文献から

『全国遊廓案内』

全国遊廓案内』(昭和5年、1930年)

磯濱町遊廓 は茨城懸磯濱町字祝町にあつて常磐線磯濱驛に下車するのである、軒樓約五軒娼妓約三十人位居り全部居稼ぎ制である

1930年の時点で、軒数は5軒、娼妓は約30名ほどということがわかった。

『全国女性街ガイド』

全国女性街ガイド』(昭和30年、渡辺寛)に那珂湊と大洗の項があるので引用する。

大洗は江戸時代、吉原、潮来、大洗と関東三大遊廓を誇り、その格式は天下に響いていたが、現在は那珂湊と久慈浜に分散。それでも百軒に四百余名の、肌は狐色、箒眉毛にそっくり鼻の、女、女が屯している。

箒眉毛という表現が気になった。箒(ほうき)のように広がっているというのは、江戸吉原と違ってどこか垢ぬけない女性ということだろうか。

また、長田幹彦が書いた『祇園夜話』に磯浜の娼婦のことが書いてあると全国女性街ガイドに書いてある。

…兵隊さんに唄われた頃がヤマで、その磯浜も大洗といっしょになり、飲み屋のパン助二十名ほどの小さな集落になってしまった。

磯浜町という地名は現在なく、昭和29年(1954年)に大貫町と合併し大洗町になっている。

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『公娼と私娼』

『公娼と私娼』(1931年、内務省警保局)

東茨城郡磯浜町
営業者数:2
娼妓数:5
雇人数:4

かつて関東三大遊廓と呼ばれた風格は感じられないほど、軒数が少なく感じる。

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令和の現在も残る飲み屋の路地

那珂湊駅周辺を探索した際に、路地に残る飲み屋街が4か所、気になった。大洗遊廓の北側、那珂川を挟んだ那珂湊は昭和30年頃、『全国女性街ガイド』に紹介されるように、賑わっていたのかもしれない。

一つ目の場所は、那珂湊おさかな市場から、みなと観光ホテルの横の道を通り、北西へ。西側に小高い丘のみなと公園がある通りに面した居酒屋がある。

右手の茶色の建物

だいぶ看板なども外されているが、居酒屋相棒、ENVYなどの看板がかつての写真から見えた。

営業しているのかは不明

グーグルマップだと居酒屋の「八田」は表示されているものの、他のお店は営業しているのか不明。

手前が八田

広めの入り口が印象的なお店。

和風

さらに奥へ進むと、丸い入り口が見えてきた。

丸いカーブの入り口

IKKOパブハウスNT…店名が凄い。

IKKOパブハウスNT

フォントから感じる昭和感。

フォント好き

IKKOと書かれているが、グーグルマップでは一光とある。

反対側から眺めた

路地を反対から眺めると、「総合飲食店ニュー小藤屋」と書いてあるがもう少し多くの飲食店が入っていたのだろうか。

ニュー小藤屋

先ほどの道へ戻り、さらに北側へ。

道へ戻る

旧町名は南水主町という。

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カラフルなスナック小屋

那珂湊天満宮の隣にあるバラック小屋が向い合せで並んでいるような場所。

那珂湊天満宮の隣

ここや有名らしく、他の方も記事に書いていた。

しかし、2011年の情報であるため、私の訪れた時には既に無い看板が…2011年くらいまでは活気があったのかもしれない。

風景が変わっている

手前の「かとれあ」はグーグルマップにもあるので営業しているかも?

かとれあ

両サイドにバラック小屋のように並ぶスナック小屋は初めて見た。再開発が迫っていないからか、こうした建物が残っているのが凄い。

残っているのが凄い

細い扉だけが残る子のお店はスナックみどり。当時は赤い看板と緑色の文字が映えていた。

細い扉は一体

スナック久美は、なんだか木の棒で壁が和風テイストに?以前は何もなかったという。

スナック久美

そして奥にある三色。実は紫ではなく、真っ青だったらしが、なぜかパステルな紫になっていた。奥に車があったため、黄色は撮影できず。

なぜ紫に?

黄色の入り口は、スナックパスポート。

↓は和風スナック嶋子だった場所。

和風スナック嶋子

よく見ると、入り口から奥待った場所に扉が設置されている。

扉は奥に

土のお店も看板が撤去されているが、営業しているお店は果たして…

営業しているのか?

年季の入ったいらっしゃいませが残っていた。

かつての賑わいを感じる

これだけスナックが密集していたら大勢の客が押し寄せていたのだと思うが、もしかしたら高齢化で需要もそんなに無いのかもしれない。

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那珂湊天満宮前

那珂湊天満宮前にある建物。

スナックがある建物

こちらもかなり看板が亡くなり、廃れているが、GoogleEarthでは看板が確認できる。

パブスナック美雪、唄と憩いのラウンジACB(アシべ)、スナックゆうこ、ぽいんと…

看板が無い!

看板が無いとこんなにも寂しいのか…歴史ある那珂湊天満宮の周辺には、人が集まり、歓楽街が形成されていたというが…

那珂湊天満宮
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密集している路地

少し離れて、一本東側の通りにある路地にもスナックが密集していた。

良い感じの路地

こちらも不意に現れる路地。気を抜いていると見過ごす。

急に現れる

スナック和は営業しているようでグーグルマップにも載っている。

スナック和

隣のピンク色の壁のお店は営業していなそうだ。

ピンク色の壁
窓の木枠も外れている

お店は一つの建物の中に複数存在するらしい。

1つの建物
いらっしゃいませ

かつて関東三大遊廓と呼ばれた大洗、那珂湊の周辺。現在はその名残かわからないがスナック街の形跡が残っていた。かつての歓楽街はこれからどうなるのだろうか。

 

(訪問日:2020年8月)

 

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