JR内房線長浦駅周辺の史跡|蔵波城跡&つげ義春ゆかりの食堂やなぎ屋跡
JR内房線「長浦駅」。袖ヶ浦市蔵波に初めて降り、周辺を探索。
駅近くに蔵波城跡、そして漁業組合解散の碑に遭遇し、想像以上に地域史に触れる探索となりました。
JR内房線「長浦駅」と歴史
千葉県袖ケ浦市蔵波。JR内房線「長浦駅」にて下車。
駅舎自体も新しく、駅前も開けている。南口にはイオン、西口にもロータリーとホテルがあり、長浦駅周辺は古いものが残っているか…?とそんなに期待はしていなかった。
長浦駅の開業は昭和22年。当時の長浦村長が調査に来た進駐軍に駅の解説を請願したことがきっかけだそう。
北口、駅前にはヤマザキショップ、飲食店、ホテルタカザワ、ゆたか旅館。ビジネスホテルがあるのは、海側に京葉工業地域の工場群があることに関係していそうだ。
そして駅近くには、としまや弁当長浦店。
追記:としまや長浦店は閉店されたようです。
その奥にある国技館のような建物は、袖ケ浦市臨海スポーツセンター。
スポーツセンターの奥、大通りは国道16号線。埋め立て前は駅から200m程先が海という近さだったことが分かる。
蔵波、という地名は、「行基菩薩が当浦に上陸した際、波の蔵(おさま)る所といったことによるとも、崖の多い地形によるともいう。」(角川書店『日本地名大辞典』)。
長浦港に流れ出す蔵波川流域に位置する旧蔵波村。
江戸時代には、五代力船の出入りが盛んとなり、薪を江戸へ積み出すことで近国へ名が知られていたとか。今の姿からは想像もできないが…!
大正13年海岸で浅草ノリの養殖が始められた。その海岸は昭和28年から同38年にかけて農林省により干拓され、239haが耕地化されたが、地元の要望で工業用地化した。同43年漁業権の放棄、翌年からの埋立によって一層促進された。
漁業権の放棄、後ほど記念碑と遭遇する。
また、工業地帯の発展とともに、長浦駅周辺の丘陵地帯には住宅団地が造成され、その団地入口にイオンが建っている。
長浦駅周辺の商店街?つげ義春ゆかりの地も
今回は、長浦駅南口から県道287号を袖ヶ浦駅方面へ、少し歩いてみることにした。県道287号は房総往還でもあり古くからの道なので一部商店が残っている雰囲気。
県道沿いにあったビジネスホテル汐美は閉業した様子。
現在は駐車場になっていて解体されているが、2015年のストリートビューに古い店舗群が映っていた。木造二階建て?戦前からありそうな雰囲気。
その隣、シャッターが閉まっているが元食堂だったみたい。2012年のストリートビューでは暖簾がかかっていた。
『よろずや」10年ほど前までは営業していたのか…
そして、つげ義春ファンであればご存知の「やなぎ屋主人」という作品の舞台。よろずや→やなぎや。
作中でも「N浦」と表現されている長浦。しばざ記「長浦の「よろずや」へ行く つげ義春の世界(あの名作の舞台へ」が詳しい。まさか作品と同じようにつげ義春氏も宿泊場所を求めて長浦駅長に「よろずや」を案内されていたとは…
2014年頃まで営業していたのが分かる→「長浦駅とやなぎや主人の聖地巡り」
また、長浦の名物が豆大福ってこと、初めて知ったな…駅前に和菓子屋さんあったっけ。
ふとん屋、薬局屋、写真屋さん…いずれも閉じている。
蔵波漁業協同組合解散の地
交差点から県道145号線へ。2012年のストリートビューに県道145号線へ「川魚料理てん勇 20m」とあるのが気になる。
ストリートビューを見ると「うなぎ 天ぷら 鍋料理」の看板が出ていたが今は改装されて民家に?時代が変わった感がある。
蔵波川傍なので川魚、豆腐屋もあったようだ。
その向かいには「蔵波会館」。
その敷地内に記念碑があったので近寄って見学した。
「蔵波漁業協同組合 解散記念碑」
記念碑の横にその歴史等が展示されていた。始まりは明治35年、漁業法が制定され法的に認定を受け、昭和16年に統合により長浦村漁業会に。昭和43年に補償妥結の調印式、昭和46年に解散式が行われている。
蔵波会館碑文。令和5年の地震によって倒壊したため石碑に代わって展示しているものだそう。
「朝な夕なにさざ波打ち寄せ霊峰富士を西に仰ぎ東に緩やかな丘陵を形成するここ蔵波は海山の幸に恵まれ…」
海苔の養殖が盛んだったころの埋め立てられる前の蔵波の情景が思い浮かぶ美しい碑文。近代化、便利さとともに失った景色をもう見ることは叶わない。そして、ネットには蔵波のこの漁業権放棄については情報があまりない。この場で記しておこう。
蔵波八幡神社と蔵波城跡
県道145号沿い、蔵波八幡神社へ。
少し前に大雨が降ったので湿気が凄い夏。ちょうどお参りを終えた地元のおじさんが「左側の道が良い運動になるよ~、見晴らしが良いよ」と虫よけに笹の葉をくれた。
蔵波城址に建つ八幡神社。現在の社殿は昭和49年頃に再建されたもののようだ。
なんと、道はいくつかに分かれている。地元の方が左側が良い運動になると薦めた道は少し急だった。
神社から標高28mの蔵波城址へ。軽くハイキングしている感じ。
確かに見晴らしは良さそう。この日は曇っていたが、かつては海が一望できたに違いない。
長浦駅側は崖となっている。なんと、長浦駅と駅前の開発によって城址は一部削られたとのこと…
城址に建つ蔵波城址の説明展示。今回、蔵波川の八幡神社から登ったが、半分?以上?城址が削られている印象。
そういえば、訪問後に蔵波城が新聞記事に取り上げられていたな… 東京新聞「袖ケ浦・蔵波城から離れた小山 舟だまり 見張った高台か 新たな関連施設の可能性」
築城年代が不明の蔵波城。その高台跡地がこの山ではなく、少し離れたところで見つかった?というニュース。今になって新事実、やはり歴史は面白い。私が調べていることもいつか価値が認められると良いな。
その後、蔵波川を下り、長浦駅の北口から内房線に乗車した。
(訪問日:2022年8月)
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