森鴎外ゆかりの旅館「水月ホテル鴎外荘」閉館。森鴎外旧居跡を見学

東京上野の森鴎外ゆかりの旅館「水月ホテル鴎外荘」。1年休業の後、2021年5月に再開しましたが、2021年10月に突然の閉館…
今度は本当に閉館とのこと。森鴎外旧邸は移築保存される予定ですが、2022年6月現在は何も動きが無い様子…
2021年10月、閉館前に訪れた旅館としての記録を残しておきたいと思いました。
水月ホテル鴎外荘の閉館
東京都台東区池之端3丁目3−21。上野公園の西側の通りに面した「水月ホテル鴎外荘」へ。

建物の上には大きな看板「明治の文豪森鴎外旧居跡 東京都第一号認定 天然鴎外温泉日帰りプラン」と記載されている。

2020年12月にクラウドファンディングが終了。
2021年5月に再開し、2021年8月に日帰り温泉が再開。しかし、そのわずか二か月後に閉館に。瞬く間にニュースになった。

実は、このニュースが話題になる以前から、私は閉館について勘づいていた。10月頃に、個人的に日帰り入浴をしようと考えてホームページを見ていたら予約停止のお知らせが書いてあったのだ。
水月ホテル鷗外荘のホームページ、2021年9月15日。
水月ホテル鴎外荘からお知らせ 拝啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。 さてこの度、諸般の事情により、令和三年十月一六日以降のご宿泊、鴎外温泉、その他のご予約、ご利用をお受けすることを中止させていただく運びとなりました。 ご迷惑をお掛けいたしますことを深くお詫び申し上げます。 何卒ご理解賜りたくお願い申し上げます。 敬具 令和三年九月一五日 水月ホテル鴎外荘
2021年10月15日をもって予約停止。
予約停止と書いてあった時点で、これは終わりだ…と思わざるを得なかった。日帰り温泉を再開しても、ニュースになるのはその時だけで継続して訪れる人は少ないのかもしれない。

「水月ホテル鴎外荘」のTwitterは2021年8月1日で更新が止まっている。
東京・上野の森に隣接する森鷗外ゆかりの宿「水月ホテル鷗外荘」です。2021年5月、再開の日を迎えることができました! 約1年休館しておりましたが、また皆さまに愛されるホテルを目指しスタッフ一同気持ちを新たに頑張ります。 2021年8月「鷗外温泉」日帰り入浴再開しました! 東京都第一号認定の天然温泉にぜひお越しください。
また、私は2020年9月、1年前に同じ場所を訪れていた。その際は休館中だったので、再開したら訪れようと思っていたのだった。→森鴎外旧居跡周辺。上野公園裏にある都電や「水月ホテル鴎外荘」の現在

森鴎外旧居跡についての説明。森鴎外旧居跡がホテルの中庭に残されている。今回は見学をさせて頂くことができた。

平日の夕方だったが、次々とお客さんが訪れ、最後の別れを惜しんでいた。

また、食器類の販売会も行われており、一式500円でホテルで使用されていたお皿が販売されていた。これはTwitterでバズっていたためか、お皿目当てに多くの方が訪れていた。

お皿や家具などを販売しているのを見ると、これで最後なんだな…と胸に迫るものがあった。女将さんは対応に追われ、日帰り温泉の予約もいっぱいいっぱいだったが、丁寧にご案内して頂き感謝で一杯です。
森鴎外旧邸の昔の写真
見学料220円と日帰り入浴1680円を支払って中庭の旧居跡へ。

水月ホテル鷗外荘は本館、新館、東館からなる。中庭に森鷗外旧居跡と蔵が残っており、今回は自由に見学することができた。

森鷗外旧居跡は、明治22年(1889)に海軍中将赤松則良の長女と結婚した森鴎外が、暮らした新居。下谷上野花園町11の赤松家の持ち家に新婚間もない5月末に転居したという。
建物自体は、明治19年(1886)とのこと。

古写真には、「鴎外荘」「水月旅館玄関」と看板がある。
1943年、旧邸の隣に「水月旅館」として創業したそうで、その3年後に売り出されていた旧邸を創業者が購入したそうだ。そう考えると1946年以降の写真だろうか。
並びの奥にある同じく旅館の「忍旅館」の建物だけは現在も健在で嬉しい。

森鴎外居住之跡、と看板が出ているので写真は昭和初期頃のものだろうか。現在は旧居跡の玄関部分がホテルの入り口となり、部屋の一部だけが保存されている。

教科書にも載っている『舞姫』。それが、この森鷗外旧居跡で執筆されている。時代は違えど同じ空間に存在できるって凄いな…

森鴎外旧居跡の見学
入り口とは反対側に森鷗外旧居跡の入り口がある。



ホテルの中とは思えないくらい自然豊かな中庭。ここだけ明治時代にタイムスリップしたかのような落ち着いた空間だ。

門を入って左手に旧邸の玄関。

玄関先には樹齢250年のくろがねもちの木。建物以外も歴史が詰まっているが、どうなってしまうのだろうか。

旧邸は築130年の木造家屋。「舞姫の間」として多くの方に愛されてき建物は閉館後、移築が検討されている。


2020年5月、新型コロナウイルスで宿泊客が激減し、閉館。しかし、旧邸を維持するためにクラウドファンディングを実施し、約1200万円が集まったそうだが、それでもこれだけの文化財を維持するのは難しい。

女将さんから旧宅内でお話を伺う事ができたが、「クラウドファンディングを実施しても泊まりに訪れるお客さんが来なかった」「修繕費が高い」と聞いた。
私がブログを始めるきっかけとなった、船橋の老舗旅館「玉川旅館」もコロナがきっかけに閉業となったが、コロナに関係なく古い建物は修繕費が高く、維持が難しいことを物語っている。
「移築先を探しているが、なかなか見つからない」「想いをしっかりと受け継いでくれるところがあると嬉しい」
半年以上経った現在、移築先が見つかったという話を聞かないので難航しているのだろうか…心配。

震災の影響が気になって質問したところ、地震は特に問題が無かったそうだ。なぜなら、建物の下に岩盤があり、地盤が強固になっていると女将さんが誇らしげに話していた。
閉業後、水道やガス、電気が止まるので池の水は抜いてしまう。そのため、鯉をどうするか悩んでいると言っていた。でも鯉は環境の変化に敏感らしく、建物と同様に悩ましい問題。


部屋内に飾られていた森鴎外遺言書。大正11年7月6日とある。

下の写真左が森鴎外。10年ほど前に、テレビ番組「笑っていいとも!」に出演した際に、女将さんはこの写真を抱えて向かったと思い出も話してくださった。


「東京新聞は8回ほど、取材に訪れて前向きな記事を書いてくださっていて有難い」とも話していた。私が訪問した後、10月14日にも東京新聞の記事が発表されていた。→台東の旅館 「鷗外荘」あす再び閉館 「舞姫」執筆 旧邸は移築を検討 5月に営業再開も…コロナ禍で客足戻らず
果たして移築先は見つかるのでしょうか…
鴎外荘に残る蔵
そして、奥は予約で貸切状態だったので日帰り入浴後に見学をさせて頂いた。

ファミリアダイニングの「於母影」とミュージアムホールの「蔵の間」。



蔵も建物に隣接していて、入口には重厚な扉。

『山手線圏内 蔵めぐり散歩ガイド』に鴎外荘の蔵が詳しく紹介されているので気になる方はぜひ。
この蔵も、屋敷と同じ明治19年に建造されたもので、現在も改修されつつ綺麗に保存されている。

2003年に二階建てだった蔵を大改修し、吹き抜けにしたそうでレストランとして使われていた。

扉には、「東京 河田商店 日本橋」。


日帰り温泉「福の湯」
見学後、本館にある日帰り温泉へ。

館内は一部の客室が開放され、お風呂上りの休憩スペースになっていた。

先ほど岩盤が丈夫だった話があったが、その岩盤の下から温泉が湧きだし、鴎外温泉として「福の湯」「檜の湯」が楽しめる。


脱衣所にはアメニティやウォーターサーバーなどがあり、とても清潔な空間だった。これがそのまま取り壊しになるのは勿体ないくらいだ。

水月ホテル鷗外荘、今後の運命やいかに…
(訪問日:2021年10月)
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鴎外荘舞姫の間で食事をしたことがあり、建物の雰囲気を楽しめました。
この紹介文は細かい所まで説明があって、とても参考になりました。
ここまでよくまとめられていて感心しました。
ホテルの方は早めに店じまいをすると後から人伝てで聞いていたので、寂しいですが仕方がないでしょう。
立石の飲んべ横丁の記事も読ませていただきました。地元なので馴染みの場所で、昔はぼんちでも飲みました。今は昔の半分しか残っていないので、雰囲気をもっと楽しめないのは残念です。
駅近くの仮設線路用枕木とレールの準備も最近進みだしたので、間も無く解体されるでしょう。
以前はこのようなサイトを読みにいきましたが、しばらく途絶えていました。今回は水月ホテルで食事ができるかなと思い検索して行き当たりました。今後も時間を見つけて楽しませてもらいます。
コメントありがとうございます!
鴎外荘は残念でしたね。移築されるようなので完成が楽しみです。
立石もいよいよ再開発が迫ってますね。数年後には好きだったお店も無くなってしまうのかと考えると胸が痛いです。出来る限り記録に残していきます。