茂原「浜町商店街」で見かけた”皇紀二千六百年記念”「御塚観音堂」 -茂原⑿
茂原の商店街をいくつか周ってから旅館へチェックインすることに。「浜町商店街」へ。皇紀2600年記念の戦前の門柱を発見したのは嬉しかったですね~
茂原「浜町商店会」
千葉県茂原市茂原600−4。外房線「茂原駅」南口から南へ進み、京葉銀行茂原支店のある国道128号沿いを歩く。
その前に、駅前南通り、篠崎商店の向かいにある建物が気になった。
店舗にしたら広すぎる…昭和26年の絵図を見ても書いてなかったので、篠崎商店の倉庫かもしれない。
また、この通りの交差点には2015年頃まで食堂に併設した「清水屋旅館」が存在した。
和風旅館、宿泊してみたかったな…その奥にあった河野旅館は建物が残っている。
駅前南通りを南へ歩き、国道128号を西へ西へ。京葉銀行茂原支店が見えてきた。
あいさつ通りと書かれた街灯には「千代田公園」と表示がある。右側の公園が千代田公園。
この通りは「浜町商店会」だ。以前、2021年3月に探索した際は「浜町商店会」は歩かなかったので、今回歩いてみることにしたのであった。
”あいさつ通り”とあるのは、右手に茂原市立茂原小学校が存在することから由来しているのかな~と。
茂原市立茂原小学校の創立は、明治6年(1873)。
現在は新しい門になってしまったが、2012年頃のストリートビューには古い門柱と壁が残っていた。
小学校の向かい側は消防署。高い火の見櫓のような管制塔が残る消防署は遠くからでも目立っていた。
皇紀2600年記念「御塚観音堂」
消防署の隣、グーグルマップには載っていないけど歴史的なものが残っていた。街灯には「御塚観音堂」とある。
御塚観音堂の入り口にある門柱が立派で驚いた…しかも左側には「皇紀二千六百年」と記載あり。
たまに各地で見かける、皇紀2600年記念もの。
これは、昭和15年に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事の際につくられたものと推測する。だから他の神社の門柱とは違ったパワーを感じるのですね…
右側の門柱には「御塚観音堂」とある。藻原寺の境外寺らしいが詳しい情報は分からず。手前に公民館のような建物があり、本堂は奥まった場所に位置しているので良く見えなかった。
浜町商店会
国道128号沿いにある浜町商店会を西へ進む。
ジャノメミシン茂原店。この看板を左折すると、国登録有形文化財に登録されている「茂原昇天教会」にたどり着く。
時計店、電器店に酒店、かつてはこの通りで一通り買い物ができたのだろう。
この道は、千葉市浜野から外房を通って館山市北条を結ぶ「伊南房州通往還」なので、古くから人の往来がありお店も並んでいたと思うが、閉店したお店ばかり目立つ。
サンラジオ電工の隣に「榎町商店街大駐車場」の看板が。
榎町商店街は、浜町商店会の北側、かつてアーケード屋根があった巨大な商店街。今はシャッター通りになっているが、大きな駐車場が存在したのですね…
ダイニングバー長浜は、路地の奥にあるみたい。
指圧療法関口治療院。コノヨコニハイル…
商工会議所手前にある建物も元々は何か商売をされていたのだろう。柵ががあるが、広い入り口が印象的だった。
T字路の正面にある「リップスティック」という見るからに怪しげなサロン。
軽食、サロン、LOVE2000と消えかかっている文字が何かを語っているようだ…
2015年頃はまだ営業中だったようで、店頭の看板には「帰るか寄るか興味津々とりあえず寄ってけ」と誘いのメッセージが…
大通りに面した、こんなところにキャバクラが一軒あるのに驚いた。入りづらいのではないだろうか?と余計な心配までしてしまう。
さらに西へ、小倉歯科の看板の奥に手摺の美しい木造建築があった。
この建物は松本書店の隣、弁当惣菜などを扱っていたらしい。昭和26年の絵図を見ると「村山商店」とある。松本書店も閉店済。
向かいには、印刷会社の木造建築があったが更地になっていた。
交差点の角にあった松野屋の建物も取り壊され、ガレージが設置されていた。解体されると元々の風景が全く分からなくなるな…
かろうじて残った反対側の松野屋分店の建物。洋品店だったようだ。
方神神社(通町市神神社)
浜町商店会の探索を終え、最後に裏道を通って旅館の方へ。今日は銭湯「桜湯」にも入ろう、そう決めた。
かつての銀座通りを歩いていると、閉店した建物が並んでいて圧巻の景色。油屋米店の建物をちらっと覗くと、裏に蔵らしき建物が見えた。
米蔵として使っていたのだろう。建物は正面だけでなく、裏にも歴史を感じるので見逃せない。
その蔵の横道を通り、裏道へ。
神社の境内に公園が併設している、「方神神社(通町市神神社)」に遭遇した。
コンクリート造の鳥居と塀は戦前から存在するものなのではないだろうか。雰囲気があって好き。
通町市神様の由来については説明看板にまとめられている。昌平町を中心に市場が開催され、その市の長続きと繁栄を願って市の守護神としてこの場に神を祀ったという。
境内の右手には、昔、危険視された箱ブランコが存在したらしい。
裏道を北へ抜けると、大和屋旅館はすぐ近く。
この辺りも銀座通りだったというが現在はひっそりとしている。
暑かったので早めにチェックインをし、旅館で歴史を伺うことにした。閉館する前にギリギリ宿泊することができて良かった。また次回の記事で詳しくまとめます。
(訪問日:2021年8月)
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