「本町通り商店会」明治創業の老舗旅館揃い!「茂原人車軌道」が通っていた道 -茂原⑹

茂原の「本町通り商店会」。現在は国道となっており、交通量が多い道。調べると、鉄道のレールが敷かれていた時代もあるそうだ。
昔から、茂原では欠かせない道なのだろう。
茂原「本町通り商店会」
千葉県茂原市茂原352。前回の「銀座商店会」の南側に東西に伸びる道だ。現在は国道128号線。

随分と前に閉業してしまった雰囲気の「人形のマキノ」。窓から見える洋風なカーテンがかつての賑わいを感じさせる。

隣の小さな建物は元クリーニング屋?看板だけ残っている。

車の往来は盛んだが、狭い歩道を歩いている人は少ない。排気ガスを間近で感じながら好んで歩きたい人はいないよなあと。

街灯の文字もほとんど消えてしまって見えない。2012年頃までは街灯の装飾飾りも見られたが…

金物を扱う商店は営業していた。

隣は鮮魚店「堀民」。建物の傍を歩いていると、外観が見えないのが残念だな~

いつもだったら、両サイドを移動しながら撮影するのだけれど、交通量が多くてそれも叶わない。
ビューティー&ヘルシーとおしゃれな看板だが、奥に見える「星堅薬舗」が昔の店名では?

気づいていない老舗も多いかも。店頭にはファミリープランも発見。

過去の画像と比較していたら、最近新しくデザインが変わっている。需要があるんだろうな。

右手前は寿司屋「古多仁鮨」。

茂原人車軌道跡
茂原の本町通りを調べると、トップに出てくる記事「茂原人車軌道跡」が興味深いのでご紹介。
現在の国道128号線(茂原本町通り)を映した戦前の絵葉書に、路面中央に「茂原人車軌道」のレールが敷かれていたことがわかる。
明治42年(1909)に茂原駅前~台向の間(約8㎞)で開業。しばらくは、旅客と貨物で盛況だったが、大正末頃から乗合バスやトラックが台頭し、大正14年(1925)に全廃になったという。
「茂原市郷土資料館」に当時の客車が展示されているらしい。地元では割と有名な話かもしれないが、初めて知ったので驚いた。
ちなみに、100年近く前の話であるため、現在は遺構は残っていない。
レンガ壁のある建物
普通の民家かと思ったら、建物を囲むようにレンガ壁が。

レンガ壁は敷地の半分ほどまで続いている。奥には出入口もありそうだ。とても立派!

建物は新しいが、元々歴史のある建物が建っていたのだろう。左側には勝手口のような空洞がある。

レンガ壁の隣の建物も綺麗な状態で残されていることに感動する。
村田屋本店
レンガ壁のある建物の向かい側、商店らしき建物がある。

現在は営業していないようだが、出入口がとても広い。

電話番号八番が残っている。先ほど紹介した明治時代の鉄道の時代の面影を残しているような気がした。


建物の横に「村田屋本店」と看板が。陶器から銘茶、ふすま紙など様々なものを扱っていたようだ。

検索しても創業年など詳しいことがわからないのが惜しいな…
同じ並び、焼失した場所があった。つい最近の様子に見える。

過去のストリートビューでは、2軒古い建物が並んでいた。古い建物を放置することは危険性も高まるんだろうな…
旅館「鈴木屋」が奥に
道を歩いていると、目の前に旅館「鈴木屋」の看板が!

どうやら、本町通りの一本裏側にある旅館のようだ。ホームページには「創業明治年間 トロン温泉くつろぎの宿」と紹介がある。
榎町商店街にも明治創業の旅館があったが、明治期の茂原は想像以上に栄えていたのかもしれない。

天然トロン温泉は、今から約2000年前にドイツのバーデン・バーデンで発見されました。
中世になって当時の貴族たちから
闘いで傷ついた体を治す湯 美肌をつくる湯 痛みを取り去る湯
として珍重され世界一の名湯と言われるようになりました。この大自然の名湯を近代科学の英知によって再現したのが、この準トロン温泉です。
トロン温泉、気になるな~茂原は老舗旅館がまだ多く残っているのでいつか宿泊したい。

本町通り、斎藤肉店は店内がもぬけの殻になっていた。
2012年のストリートビューを見ていたら、隣に「中村時計店」の緑色の看板建築が映っていた。
こんな建物あったっけ?と思ったが、2015年に新しい家へ建て替えられたようだ。人知れず、近代建築がまたこの世を去った。
廃墟?「今関病院」の建物
向かい側には巨大な廃墟が。「今関医院」と看板が残っている。

看板だけ見ると、営業していそうな雰囲気だが、2012年のストリートビューを見ても同じような廃墟状態だ。

こんなに巨大な廃墟病院が国道沿いに残っていることに驚き。

病院の手前には「扇屋菓子舗」、向かい側にはレストランが存在したようだが、いずれも病院の衰退とともに閉じたのだろう。

武田屋旅館
本町通りにはもう一つ老舗旅館がある。こちらも明治年間創業の「武田屋旅館」。

新型コロナウイルスの影響で閉業しなければ良いが…各地の老舗旅館の大変さを目の当たりにして、茂原の旅館も心配である。

茂原の赤線について調べている方の記事に、茂原の花柳界について記載がある。そこで料理旅館「武田楼」に芸妓や酌婦がいたと書いてある。武田楼は現在の武田旅館。
明治以降、いくつかの料理店で童謡に芸妓や酌婦がいたらしい。思わぬところに発見があって面白い。
なぜ、茂原を注目している人が少ないのだろう。こんなにも老舗や木造建築が残っているのに。

渋い!「遠山商店」
本町通りの西端、強く印象に残っている建物があった。まず、横から見てもハムソーセージと書かれて看板が渋い。

うっすらピンク色に黄緑いのテント屋根。この組み合わせから連想するのはどんなお店だろう?

2012年のストリートビューでは、側面に看板が残っていた。果実や蚊爪の詰め合わせセットの広告看板である。
そして、車からでは見えない景色。歩いているからこそ見つけることができるのが、テント屋根に隠れた看板だ!

しかもガラス看板!!巨大すぎてカメラに収まらない…

海産食料品缶詰…右読みってところも素晴らしい。

自然災害の影響を受けずに、こんなにガラス看板が綺麗な状態で残っているところは珍しいと思う。でも、なぜ誰も注目していないんだ…

向かい側にも商店らしき立派な建物。

茂原駅から歩いてここまで探索するのはちょっと遠く感じた。
だが、それ以上に素晴らしい名もなき建築がまだまだ茂原には残されている。出会えて本当に良かった。今度、鳥瞰図を手に入れたらまた詳しく追記しよう。
(訪問日:2021年3月)
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