茂原「大和屋旅館」。明治元年創業の老舗旅館、閉業前の記録 -茂原⒁
2021年8月、茂原の老舗旅館が閉業するという情報を地元の方から頂いた。
ぜひ最後に記録に残してほしい、とのことだったのと、私も以前から気になっていた旅館だったのですぐに宿泊の予約の電話をし、閉業前に大和屋旅館の歴史を伺うことができた。
茂原の老舗旅館が閉業…
千葉県茂原市茂原519。外房線「茂原駅」南口から、西へ榎町通りと伊南房州通往還が交わる交差点の角にある旅館が「大和屋旅館」である。
私は2021年3月に茂原を探索した際に、榎町商店街に入り口を構える大和屋旅館に惹かれ、近々宿泊してみたいな…と思っていたところだった。「茂原榎町商店街」の現在。「まちの顔」だったアーケード商店街は… -茂原⑷
まさか、記事を公開してすぐに旅館閉業の情報が入ってくるとは思っていなかったのでびっくり。
コロナ禍で閉業する旅館は数多く、今まで宿泊しなかった後悔が募っていたので、今回こそは!!という強い想いが叶って素泊まりで宿泊できることになった。
大和屋旅館のホームページには、次のように紹介されている。
ご宴会:小人数から最大120名までの各種ご宴会に
ご宿泊:出張に、ゴルフコンペ前後に
お料理:四季折々の新鮮な素材を生かした自慢料理を
交通:東京から特急でわずか1時間の近さ
周辺案内:周辺にはゴルフ場、名所旧跡がたくさん純和風の雰囲気、全12室(和室)、定員40名、離れもあり
24時間入浴可能2食付き(6~18畳) 8,000円~12,000円/1人
朝食付き 5,800円~/1人
ご宿泊のみ 4,800円/1人
閉業前だったので、私は素泊まり、1泊5,500円で宿泊した。
予約の電話をした際に、「最後だから地元の方が利用していて混んでいる…」といった話を聞いて、地元の方に愛されてきた老舗旅館だったのだと実感した。
大和屋旅館の歴史
以前の記事を書いていた時に、大和屋旅館の創業が明治元年(1868)であることを知った。
茂原には他にも、同時期創業の老舗旅館「武田屋旅館」「鈴木屋旅館」が健在なので、ぜひ宿泊してみてほしい。
今回私が最後に宿泊した理由の一つが、大和屋旅館や茂原の歴史を伺うということにあったので、チェックイン後、2時間近くにわたり時間を設けていただいた。
廊下に展示されていた、昭和26年の「大茂原観光商工会案内絵図」にも大和屋旅館の姿が描かれている。
元々、藻原寺の門前町として発展した茂原で、江戸時代末期、明治元年に大和屋は創業。現在6代目になるとのこと。割烹を営んでいたが、昭和12年に漏電で建物が全焼してしまった。
その後、昭和12年に建替えたのが次の写真である。
その際に蔵も燃えてしまったため、十返舎一九が立ち寄った?ときの書など収集していた貴重なコレクションも手元には残っていないという。残念。
廊下に「大名火鉢」が展示されていたが、これは火災の時にたまたま知人に貸していたので、残っていたものらしい。
また、昭和12年3月、火災後につくられた「大和屋見舞金名簿」が残っていた。地元の方々からこうした見舞金があって、お互い助け合う時代だったんですね…
全焼する前、戦前の旅館を写した絵葉書がこちら。
「千葉懸茂原町大和樓旅館」とある。
木造2階建ての旅館。下の絵葉書は旅館の周辺の道を写したものではないかと話していた。
こちらは、李王殿下が大和屋旅館に立ち寄られた際の写真らしく、貴重なものだ。李王家は、「元朝鮮の王族。明治42年の日韓併合のとき、韓国皇帝・李王を皇族の待遇として設立した王家」と説明が書いてある。
大和屋旅館の昔の広告も。昔は旅館のことを”樓”と表現することが多く、大和屋旅館も「大和樓」と呼ばれていたことが分かる。電話番号は14番。
下の広告は現在も営業中の武田屋旅館。
また、こちらは「茂原職業別電話番号表」。今みたいに電話が当たり前ではなかった時代。各地で電話番号のホーロー看板を見かけるけど、町ごとにこうした電話番号表が発行されているとは知らなかった。
大和屋旅館以外にも、旅館が多数存在したことが分かる。温泉旅館もあったのですね~
TBSドラマの「あなたには帰る家がある」(2018年)の撮影に大和屋旅館が使用されたらしく、撮影の時の写真が展示されていた。
一度全焼してしまっているので古い資料は残っていないが、貴重なお話を伺うことができて良かった。次の項でも引き続き聞いた話を紹介していきます。
旅館の現状
最近の旅館の宿泊客はほとんどが団体で、一人客は泊めていなかった。
だから新型コロナウイルスが流行してからというもの、宴会が開催できず…閉業を決めたという。
地元の方には「宴会ができなくて困る」と言われるが、「それもそのうち忘れるでしょう」と話していたのが切ない。個人的見解だが、茂原の人はあまり商売上手ではないらしい。確かに、歩いていても長閑だなと感じたのであながち間違っていないかもしれないが…
茂原で1番古い旅館だが、2021年9月をもって閉業と決めたと話していた。
(記事を書くときに検索したら、年内をもって閉業したらしく閉業の時期は遅らせたようだ)
閉業後は娘さんが旅館の建物を使ってカフェをオープンさせる予定とのことだったので、とりあえず旅館の建物は壊される心配は無さそうだ。
個室の部屋がたくさんあるので、コロナ禍であっても上手く活用できそうで楽しみ。
話はさらに濃い話に。
大和屋旅館では特攻隊の幹部の方々が飛び立つ前に最後、宿泊に訪れていたこともあるらしく、「母が絵を描いて見送った」と話していた。
茂原で特攻隊…あまり聞いたことが無かったので、茂原でも特攻隊を見送る方の話が残っているとは驚いた。九州で同じような話があるのをテレビで見たことがあるが、千葉県からも多くの方が出発していたんですね…
調べたら、茂原海軍航空隊は第252航空隊として発足、「神風特別攻撃隊 第三御楯隊」として茂原から九州の基地へ移動後、出撃したという。
現在も茂原には飛行機の格納庫である掩体壕が多く残っているが、それはその頃の名残だろう。特攻隊の部隊があるためか、茂原では空襲も酷かったという。
また、特攻隊の方々のための慰安所も設けられ、芸妓は木更津や佐原から呼んでいたという。酌婦やコンパニオンの時代も。
さらに映画は茂原に6軒、銭湯は4軒、覚えているという情報を得た。
宿泊するとゆっくりお話を伺えるので助かる…旅館の話だけでなく、戦時中も軍隊の方々が宿泊して賑わっていた旅館であることが分かったのは発見だった。こういう歴史も残していかなければ…
大和屋旅館に宿泊
とりあえず今回宿泊した様子を…15時頃にチェックイン。2階の部屋に案内された。
旅館自体昭和50年代に建替えられているため、今回宿泊した部屋も清潔感があり新しく感じた。
こんなに綺麗なのに閉業してしまうのが勿体ない…というのが正直な感想だった。
部屋内に洗面所、冷蔵庫あり。お手洗いは部屋を出て近くの共同だが、他にお客さんがいなかったので気にすることもなく。
大和屋旅館の写真は検索してもあまり出てこないので、今回の私の記録が最後になるだろう。いつも以上にしっかりと記録に残そうと誓った。
宿泊した部屋は右側の「蘭」。
同じ場所にあったのは、配膳用と思われる小さなエレベーター。これで部屋にご飯を運んでいたのだろうか。
浴室
浴室は1階。24時間入浴可能とのことだった。
脱衣所。エアコン付きで嬉しい。
浴室は家族風呂のサイズ。ピンク色と水色のタイルが可愛らしい雰囲気。
素泊まりで宿泊したが、とても快適に過ごすことができて大満足だった。
旅館自体に問題があるのではなく、茂原に宿泊する人が減っていて、さらにコロナも追い打ちをかけているに違いない。こうした泊まりやすい老舗旅館が、ビジネスホテルのリーズナブルさに取って代わられてしまうのも惜しいな…
大広間
そして、同じく1階には広い大広間があるとのことで案内して頂いた。
襖を開けると目の前には大きな大広間…!うわあ…美しい。
収容人数を聞いたけど忘れてしまった。地元の方の宴会はここで行われていたのだろうか。
さらに小さめの広間も。館内は広く、流石茂原で一番古い旅館だなと実感した。
大広間の隣は会議室もある。
先ほどの和室とは打って変わり、洋風な会議室。
旧館の趣を残す館内
昭和50年に建替えられているが、昔の趣を残す一角が1階の会議室の奥に残っている。
踏み入れた瞬間、今までの館内とは違う時間が流れている気がした。
木や石、自然の美を感じる造りで今まで宿泊したことがある戦前の旅館と似た雰囲気。
”御手洗”の文字が浮かび上がる木製の扉…良いなあ。
”もみじ”の間。奥にある部屋は3部屋ほど。
部屋の入り口の壁、引き戸が凝っている。芸妓さんを呼んでいた時代を彷彿とさせる佇まい…
1階の旧館の方でも良かったなと思う雰囲気の良さ…私が泊まったのはこの部屋の上の部屋だが、全然雰囲気が違ってびっくり。
廊下の天井、よく見たら舟形天井だ…中央には桜の木?素敵だな~
奥には浴室も。浴室は2か所。
鏡には「宮崎酒店」。地元の酒店から頂いたものだろうか。
旅館の鏡に残る文字はいまは無きお店を知るきっかけになるので、有難い。
庭園の面影
旧館の面影を残す庭園が外にあるというので案内して頂いた。暑い中ありがとうございます。
大きな池で鯉が泳いでいる…先ほどの客室から見えるので風情があるなと思った。
こうした庭も綺麗に維持するのは大変だと思うが、訪れた時は整備されていて景色が良かった。
客室つづき
今まで玄関から入って左側を紹介したが、右側にも客室が多数ある。
下の写真は1階の客室の廊下。
そして2階へ。
2階は旧館の趣がある。
階段を上がってすぐの部屋の細工が美しい。
試しにある部屋を覗いてみたら、窓際に「広縁」があった。私が宿泊した部屋には無かったし、部屋の雰囲気も全然違う。
1つ1つの部屋の造りが違うらしい。
こちらの鏡には、中田商店の「正元」の名前入り。
調べたら、昭和59年に「梅一輪酒造株式会社」として合併したらしい。
合資会社中田商店は、創業大正元年。合併する前の貴重な資料だと思った。
電話番号のところに”大網”と見える。
口コミで鍵が…と書いている方がいたが、昔は襖一つ隔てて隣の部屋だったのだから、昔のままのつくりなので、鍵は簡素なのは仕方がないと思うのだけど…
こういう所も今の若い人が老舗旅館を敬遠する理由の一つなのかもしれない…
新型コロナウイルスが流行してから、各地の老舗旅館が閉業している。
老朽化の問題で建物に問題がある場合は仕方がないと思うが、大和屋旅館の建物は老朽化を感じさせない、まだまだ綺麗な建物だった。どうかこれから新しい活用がなされて、新たな歴史が積み重ねられることを願いたい。
また、茂原には明治創業の旅館があと2軒あるので、そちらも近々宿泊に行きたいと考えている。ただ外から眺めるだけでは、旅館を応援しているとは言えない。今年もたくさんの旅館に宿泊する年にしたい。
(訪問日:2021年8月)
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