茂原市国府関の旧道沿いに残る商店街。旧二宮本郷村、大正期のレトロな病院建築が現存!
茂原市国府関。旧道沿いに残る巨大かつロマンティックな病院建築を訪ねると、廃校とかつての商店街の街並みがひっそりと残っていました。
茂原市国府関・旧茂原市立二宮小学校
千葉県茂原市国府関。前回の長南町から、最後の目的地へ。その途中に目立っていた建物はパチンコ店かな。
茂原市国府関(こうせき)。国府が置かれていたのかと思ったが、角川書店『日本地名大辞典』によると、はっきりとした証拠はないようだ。
地名の由来は、国府が置かれた所との説もあるが、西接する国府里(こうり)とともに国府との関係は詳らかではなく遺跡・遺物の存在も認められない。
道沿いに小学校の門への入り口の碑が建っていた。
「茂原市立二宮小学校」。調べても情報があまり無いが、令和3年4月1日に二宮小学校と緑ケ丘小学校は統合し、現在は茂原市立緑ケ丘4丁目38番地で「茂原市立二宮小学校」として開校しているようだ。→二宮小学校と緑ケ丘小学校を統合しました
体育館に、「真心 笑顔 郷土愛 伝統147年の絆 いつまでも」と垂れ幕が飾られていた。私が訪れたのはちょうど統合してから半年ほどだったので、2021年で創立147年ということは、明治7年(1874)!
明治から続いていた学校。郷土愛に溢れた素晴らしい伝統を知る事ができた。
旧道沿いの病院建築
引き続き茂原街道から一本細い道にはいる豊田川東側に位置する街へ。元々こちらの道が茂原街道なのだと思う。
街道歩きの本で病院建築が残っているという情報を見かけたので訪れたのだが、記事を書こうと思ったらその本がどの本だったのか分からなくなってしまった。分かり次第追記します。
そしてあまりにも大きな病院建築が現在も取り壊されずに残っているのか不安になったので、早くどうしても訪れたかった。そしてこちら板塀が街道沿いに続くのが目的の建造物。
旧道沿いのカーブの手前、現在は閉院しているがあまりにも見事な病院建築が目の前に!
板塀、門柱、ガラス戸、すべて昔と変わらない姿で現存していて感銘を受けた。特に入り口の上部、旭をモチーフにデザインをしたようなガラスに、建物の2階軒下の漆喰の彫刻が見事だった。
かつて病院の隣に薬局の店舗も併設していたが現在は建替えらえている。
「近代建造物調査一覧及び個別解説」に詳しくまとめられている。
旧及川医院
竣工年 大正3年玄関を中央に配してやや引っ込め,コの字型のシンメトリーに近い構成をとる。上げ下げ窓の開口部のうち,1階部分にはルネッサンスの建築に見られるようなペディメントを付け,また壁体を南京下見板張りとして全体のデザインをまとめている。部分的装飾の中に特に魅力的なものがある。軒下の小壁に施された植物の浮き彫り,玄関引戸の桟割りやその上の太陽を模したような欄間のデザイン,2階に付けられた鋳鉄製の手摺の金物の装飾も華麗である。[江口]
また、一部煉瓦造りの門柱も残っている。
大正期の病院建築。あまりの美しさに言葉を失うほどだった。保存活用されたら嬉しいなと思う…
茂原「二宮商店会」の街並み
その後は周辺の商店街を歩いた。
昭和27年(1952)に廃止されるまで、このあたりは国府関村等を合併した二宮本郷村であった。
現在も郵便局名や商店街の名前に、かつての二宮本郷村を感じる。
小学校の前にある元店舗は、文具店だったのかな。
蔵を併設している蒔田商店。よろづやといったところだろうか。
向かいには、出光ゼアスのガソリンスタンド。車1台分ほどのスペースしかないが機械は2台設置されている。
右手にあったのは稲荷神社。小高い丘の上に本堂があるようで下からは見えない。
消防団隣の電柱には控えめな鐘撞が街を見守っていた。
冬なので日が暮れるのが早い。二宮商店会は街灯は残っているがほとんどのお店が営業していない様子。学校も統合してしまった今後はどうなってしまうのだろう…
(訪問日:2021年12月)
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初めまして!茂原市在住の者です。茂原市国府関の古い建物がなんなのかずっと気になっていて、今日も車から覗く程度ですが見に行ってきました。そして、ダメ元で調べてみたらこちらにたどり着き、知りたかった事が知れて嬉しいし、明里さんの活動に感動しています。古い建物を見ると胸が苦しくなる様な、なんとも言えない気持ちになり、当時の人達に思いを馳せるのが好きです。なので私にとってこの場所は宝箱!最高です!!