茂原駅近くの”浮世風呂女々”。赤線から茂原グリーンセンターとは -茂原⒆
茂原には赤線は存在しなかったのだろうか?以前から気になっていたテーマを今回は地元の方に伺った。すると、茂原グリーンセンターという場所が昭和の頃まで存在したという。茂原の大人のお店を求めて探索へ。
茂原駅近くの浮世風呂女々
千葉県茂原市千代田町1丁目、外房線「茂原駅」南口を下車すると右手に大きな建物が見える。ここはかつて「茂原そごう」だった。以前、2021年3月頃に茂原は一度訪問している。→茂原の歴史を探る。「外房の中核都市」を目指していた茂原そごう、野巻戸商店街~千代田通り -茂原⑴
正面入り口には針が撤去されている、SEIKOの大きな時計も残っていた。右下には”Tokyo Disneyland”と描かれていてなんだか寂しい気持ちに。
遊郭や赤線といった大人の繁華街は、街の発展と切っても切り離せない。私は各地のそういった場所を調べているが、以前歩いた時、茂原ではそういう場所が見つからず不思議に思っていた。
だが、茂原には海軍飛行場が設置され、現在も掩体壕が日本一の保存数というほど軍との関わりも深い。軍隊のために遊ぶ場所が設けられてもおかしくないはず。と思っていたら、現在も駅近くにソープ跡が残っていると地元の方が教えてくれた。
ロータリーの東側に存在したイオンの跡地は囲われている。
イオン跡地を横目に、駅前南通りを南へ進む。2018年に閉業したイオン茂原跡地には、「イオンスタイルも薔薇」が2022年開業予定らしいが、ついに今年オープンするのだろうか。
浮世風呂女々
茂原ドライの隣にある、その名も「浮世風呂女々(めめ)」。
かつては「茂原トルコセンター」として営業していたという。いつ頃まで営業していたか分からないが閉店してからは随分と時間が経っているらしい。
女々というネーミングセンスも何だか惹かれるものがある。
建物は隣の茂原ドライと同じ建物で、左側の茶色の格子がある側がソープだったという。現在は扉が完全に閉まっていて、撮影をするのも恥ずかしいので素早く立ち去った。
格子を少し覗くと、?!
格子の奥の壁に、浮世絵調の女性が描かれていた。
ネットで調べると2007年時点で閉店しており、「浮世風呂女々は閉店」という歌?があった。
この浮き世で 束の間風呂にあたたまった
あたたまったのちに一杯飲んで
ほろ酔い加減の 千鳥足で家路を辿った
でも 黒塀 格子戸は もう開かない
茂原駅前 駅ビル周辺ハイカラ建築 強風にめげず
でも 浮世の風は消えて行く 浮世風呂女女は閉店
特殊浴場は茂原から姿を消した。が、茂原の大人の歓楽街はこれで終わりではなかった。
茂原グリーンセンターとは?
今回、2021年8月で閉業する茂原の老舗旅館「大和屋旅館」へ宿泊した。その際に館内に昭和26年の茂原を描いた「大茂原観光商工界案内絵図」というものが展示されていた。
昭和初期の鳥瞰図とはまた違った絵図である。それを見ていると、地図の右端に♨の大きなマークが描かれているのが目に留まった。
昭和期には「茂原グリーンセンター」と呼ばれ、大衆温泉として賑わった場所らしい。
位置は、地図を見ると落合橋に架かる旭橋を渡り、西側の川沿い。現在の茂原市早野新田、線路と街道の間に存在した。
地図には、いくつかのお店が描かれている。上段左から、松梅川、長谷川、若松、ふか川、松竹、梅の家、大岩。どれも妖艶な屋号。これは赤線の匂いが漂ってくる。
また、旅館の方に「茂原グリーンセンター」について話を伺うと、一般の観光客も多く利用しており、茂原は特に日立で大きく成長を遂げ、日立への通勤客で賑わっていたという。先ほどの絵図にも、駅の北側に日立製作所や寮が描かれている。しかし、その日立の工場も撤退してしまったことに嘆いていた。
2006年に操業を始めた、「日立ディスプレイ社」。2012年に撤退した。かつて茂原は日立だけでなく、東芝やパナソニックなど大手―メーカが進出する企業城下町だったという。
現在、グーグルマップには日立跡地に建つジャパンディスプレイ茂原工場の周辺に「日立通り」「日立安房神社」といった名残が見られる。
工場で働く人々が宴会などでも、茂原グリーンセンター、大人のお店を利用したのではないだろうか。
昭和43年の広告。旅館部として「長生閣」という旅館があったことが分かる。
観光案内より
昭和43年に発行された「郷土資料事典 千葉県・観光と旅」に茂原グリーンセンターが紹介されていた。
茂原グリーンセンター
室数 22
収容 65
宿泊料 12~30(※宿泊料は100円単位)
私が宿泊した大和屋旅館の室数が15。茂原の他の旅館よりも広大な施設だったことが分かる。
イメージとしては、船橋市に存在した「船橋ヘルスセンター」に近いものと想像できる。茂原は天然ガスの産地としても有名であり、温泉を観光の目玉にしようとしたに違いない。演芸場や食堂、遊園地など家族連れでも楽しめる場所だったのだろう。だが、昭和の終わりとともに姿を消した。
現在は住宅街になっており、またネットにも情報が少ないので謎が多い施設である。パンフレットとか残っていないのかな~
茂原の赤線
まとめると、茂原には遊廓は無いが、花柳界は存在した。それは大和屋旅館の方も「芸妓は木更津や佐原から呼んでいた。また、酌婦、コンパニオンもいた」と話していることからも、老舗旅館は料理旅館として花柳界を支えていたようだ。
「特攻隊の慰安所から赤線温泉へ。「茂原新地」の歴史!」によると、海軍航空隊飛行場が茂原に置かれるとともに、特殊慰安所が設置された。茂原グリーンセンターの北側、それが昭和26年に描かれた6軒の飲み屋街だったという。昭和19年に開業、特攻隊の方々の慰安所として賑わいを見せていたのだろうか。
終戦後は、一般の人にも開放され、赤線に。そしてもう一軒開業し、7軒になった。売春防止法までそのまま営業をつづけ、その後は「茂原グリーンセンター」として大衆温泉を南側にオープン。
軍専用の施設から大衆向けの娯楽施設へ…駅から少し離れた場所に大人の夢の国は存在したのであった。茂原グリーンセンターで遊んだことがあるという方がもしいたらコメントお待ちしております!
(訪問日:2021年8月)
-
前の記事
茂原「大和屋食堂」大正3年創業!地元で愛される老舗食堂へ -茂原⒅ 2022.02.23
-
次の記事
三門駅「日在海岸」へ。梅屋将吉別荘跡地&日活の保養所「三門日活荘」 2022.02.24
コメントを書く