三門駅「日在海岸」へ。梅屋将吉別荘跡地&日活の保養所「三門日活荘」
外房の海岸「日在海岸」へ行ってみたくなり、外房線「三門駅」で下車。予備知識無く降り探索していると、この場所に別荘地があったことを知りました。
外房線「三門駅」
千葉県いすみ市岬町三門。外房線「三門駅」で下車。
電車が去っていく…1時間に1本しか電車が無いので、時刻表を見て探索へ。
三門駅は、明治36年(1903)に房総鉄道の貨物駅として開業し、昭和47年に無人駅に。無人駅になるのが比較的早い気がする。
また、以前は貨車を利用した駅舎だったそうだが、平成17年(2005)に全焼してしまったそうだ。どんな駅舎だったのだろう?
北向地蔵尊と幟旗
駅前通りには商店街は無かったが、気になる2本の柱が建っていた。
穴が開いたこの石柱は、「幟枠(のぼりわく)」というものらしく、旗などを掲げるために使われる。神社などの入り口に建っていることが多いが、駅前に建っているのはなぜだろう?
今まで特に気にしてなかったが、撤去されていることも多いらしく、今残っている幟枠を記録に残そうと思った。駅前を出ると、千葉市と館山を結ぶ「伊南房州通往還」に出る。
神社が無いのに、幟枠が建っている理由が気になる…と思ったら後に明らかに!
街道を北へ進み、国道128号との分岐の角に「北向き地蔵」があった。整備されていて地域で大切にされている様子。
しっかりと説明看板もあるので助かる。
大正12年の関東大震災の直後に、日在海岸に北向きのお姿で漂着していたのを村の青年が発見し、村の三叉路に安置したものだという。現在は移設されたものだという。
1月24日と8月24日に縁日が開催され、幟旗が建てられる。駅前の幟旗は縁日で使用していたものだったのだ…!昔は屋台や盆踊りなどで賑やかだったという。写真など残っていたら見てみたいな。
別荘地として人気だった街
国道から伊南房州通往還の細い道へ、そして東の日在海岸へと向かう細い道を歩いていると立派な門のある邸宅が並んでいて情緒があるように感じた。
調べると、日在(ひあり)海岸は、森鷗外、梅屋庄吉、賀古鶴所、若山牧水、井伏鱒二、山本有三、林芙美子などの別荘跡もあり、以前は文化人らの別荘地として人気があった場所だそうだ。「鴎荘跡地」は現在も残っているらしいが見逃してしまった。
また、日活の保養所「三門日活荘」も興味深い。後程紹介する。
三門の別荘地関係の記事は意外と情報が多いので有名なのかな?私は降りるまで全く知らなかった…
梅屋将吉別荘跡地の石碑
そして日在海岸手前に「梅屋別荘跡地」の石碑が建っていた。梅屋庄吉愛用の井戸はどこ?!と思ったら、石碑の裏の木が生い茂っている高台にあるらしい…夏はダメだ。
梅屋庄吉さんとはどのような人物だったのでしょうか?
梅屋庄吉(明治元年~昭和9年)は日本の事業家で、革命家だった孫文のパトロンとして知られる人物だそうだ。この別荘において孫文らと秘密の会議をしばしば行ったという事実に驚き。
別荘跡地は少し離れた南側で、「サンシャインヒル江場土」として分譲されて住宅街になっているらしい。人知れず消えた歴史…いすみ市にこんな歴史が残っていたとは。
また、日活の創業者の一人だという。
「いすみスタイルドットコム」に周辺の探索地図が載っているので次回参考にしたい。
日在海岸へ
日在海岸へ…日在潟という入り江湿地が広がっている風景は、国定公園・鳥獣保護区だそうだ。
まるでジャングルのような細い砂利道を進んだ先に絶景が待っていて感動した。車ではこの場所までたどり着けないので、私の他に観光客はいなかった。
文人らに別荘地として人気だったのもうなずける素敵な場所だった。心が落ち着く。陽が落ちるのを眺めていた。
日活の保養所「日活荘」
冒頭に紹介した「日活荘」が気になったので、調べていると実際に幼少期に思い出があり、訪問している方の興味深いブログがあった。→「(52枚)★2015年8月 いすみ鉄道国鉄型気動車見学&趣味人生原点の旅 」
かつて砂利道だったという細い道を進んでいくと、壁に囲われ、迎賓館のような洋館風の建物が!写真をぜひ見てほしい。また、現在も使用されているようだ。
昔は国道沿いに看板があったらしいが無くなっている。
日活荘を建てたのは外房線をつくった有力者・大野丈助が建てたものだという。鉄道施設を国鉄に売却した収益で、三門駅近くに2000坪の邸宅を建てたことが「大野丈助の旧宅」に書いてある。
三門駅近くにある白壁の煉瓦塀に囲まれた広大な邸宅は,日活映画の健保組合の施設などとして利用されましたが,現在は「三門荘」という名前で管理されています。豪華な洋館が外からうかがえます。近くには大野丈助が眠る大野家の大きなお墓があります。
白壁のレンガ塀…千葉県にはまだ知られていない別荘建築があるのだなと実感した。
また、三門駅構内には白土採掘の工場が存在し、現在も東小高にかけて「白土採掘抗跡」が残っているという。三門駅、掘れば掘るほど面白い歴史が出てきてびっくりだ。また行きたい。
ここが観光地として有名ではないのは、静かにしてほしいからなのだろう。周りの方に迷惑になるような見学はお控えください。
追記:ロケ地として
Twitterで調べていたらロケ地として使われていたことが書いてあった。
『インモラル 淫らな関係』/ロケ協力に日活三門荘。日活の健康保険組合の施設であり、『女地獄 森は濡れた』をはじめ数々の神代映画の舞台となった場所。上垣保朗監督は「あそこをいちばんうまく活かしたのは神代さんでしょう」と語っていたが、神代辰巳は最後の作品までここを使ったんだなあ。
この映画は1995年上映、邸宅内は庭園付きで和室と洋室らしい。邸宅の様子を見たいが、映画が映画なので悩むところだな…汗
(訪問日:2021年8月)
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