館山市富崎地区(相浜・布良)歴史と街並み|相浜神社~布良漁港へ -布良⑴
館山市、富崎地区(布良・相浜)を探索!
前回からの続きで、バスを降りて昔ながらの純漁村の街並みを堪能しました。
館山市相浜・布良の歴史
千葉県館山市相浜。前回は、安房神社のバス停で降りて、文化財の巴橋を見学。そのまま相浜地区から布良地区へ歩いていきます。
富崎地区について、分かりやすい解説が館山市立博物館のページに載っている。地図も分かりやすいのでぜひ。
太平洋に面した山際にある布良と相浜は耕地が少なく、海の恵みを生活の糧としてきた純漁村です。海岸段丘の上段と下段に展開する集落相と豊かな文化を探訪しましょう。(http://history.hanaumikaidou.com/archives/4811)
相浜(あいのはま)について、角川書店『日本地名大辞典』に由来や歴史が記載。
安房神社の例大祭に行われる浜出で神事に参会する安房国中の神輿が当地の海岸で相会するところからこの浜を相浜という(安房座社伝記)。
明治22年まで旧相浜村。江戸時代中期の元禄16(1703)年に起きた元禄地震では津波による溺死者86名、5m土地が隆起したという。関東大震災では元禄地震の経験を教訓に被害を抑えたことを2023年9月、産経ニュースが伝えている(「㊤館山大打撃 「元禄」教訓に被害抑えた相浜」)。
布良(めら)地域についてもここで記載。明治22年まで旧布良村、潮流が激しく古くから布良瀬は魚介類の宝庫だったという。地名の由来は、改装(布)が繫茂する浦の意味の「布裏めうら」が転訛した説など複数。
海岸段丘の高低差を楽しみながら相浜地区を探索してみよう。
とても静か…
右手、岩山には六地蔵。
また旅倶楽部の『安房散歩』によると、
六地蔵の向かいは、昔は「波切不動お滝行場」だったらしく水路と井戸が残っているそう。見逃した。
相浜神社(館山市)
大通りから一本入れば路地と路地。雰囲気としては銚子の外川に似ているかなと。
相浜神社へ。
江戸時代までは不動尊を本尊にする嚢莫山怛多羅院感満寺(のうまくさんだったらいんかんまんじ)という修験の寺だった。修験道廃止によって明治10年(1877)に波除(なみよけ)神社となり、大正6年(1917)に楫取(かんどり)神社を合祀して相浜神社に改名した。境内に江戸魚問屋などが奉納した文政13年(1830)の石灯籠(楠見の石工 田原長左衛門作)、慶応元年(1865)の狛犬、享和2年(1802)と弘化5年(1848)の手水石、天保11年(1840)の出羽三山碑、文政5年(1822)の青面金剛像の庚申塔のほか、複数の力石がある。(http://history.hanaumikaidou.com/archives/4811)
境内の木陰で少し休憩をした。
相浜漁港・安房節記念碑
房総フラワーラインの国道410号から記念碑までの案内図が建っていた。有難い。相浜漁港のほうへ進む。
国道沿いの大きな空き地、元々は古い家でも建っていたのではないかと思う。陶器のお手洗いが落ちているような…
源八の坂を下って海方面へ。
坂を下ると相浜漁港へ。
漁港内にお手洗いや広い駐車場があるのでファミリーフィッシングに向いているそう。
鮪延縄船・安房節発祥の地碑
相浜漁港の南側、海に面した記念碑が二つ。鮪延縄船(まぐろはえなわせん)と安房節(あわぶし)の発祥の場所だそう。眺望も素晴らしい。
江戸時代中期に富崎で鮪延縄漁がはじまり、明治時代にはヤンノーと呼ばれる大型の改良鮪延縄船を建造し、沖泊まりで操業して豊漁を続けたが、事故も多発し後家船(ごけぶね)とも呼ばれた。寒い時期の漁の士気を高めるために歌われた労働歌が安房節である。(http://history.hanaumikaidou.com/archives/4811)
小学生たちが歌と踊りを継承しているそう。
そして布良漁港へ。持参した戦前の絵葉書と現在。
(安房名所)富崎村布良漁港の絵葉書。
奥に見える男神山・女神山の風景は変わらず。さすがに建物や漁港は姿を変えているか…
布良漁港近くの布良郵便局。
ん??
郵便局の隣に蔵のような不思議な造りの建物ー!
布良郵便局は明治13年に創設されたと『日本地名大辞典』角川書店より。
元々は店舗だったのかな、それとも旧郵便局か、気になる建物だった。
次回は隣の旧富崎館旅館へ。
(訪問日:2022年11月)
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