青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅|明治20年代の漁村を代表する建築 -布良⑷
館山市布良にある青木繁「海の幸」記念館へ。明治時代の古民家「小谷家住宅」を記念館にしたもので、館山市の有形文化財です。
青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅
千葉県館山市布良1256「青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅」
前回からの続きで、館山市布良にある小谷家住宅を見学。土日&季節によって営業時間が違うので訪問する際は注意を。バス停からも近いので安心してゆっくり見学できます。
ホームページ:https://awa-ecom.jp/aoki-shigeru/
営業時間
4〜9月:土~日曜日 10:00〜16:00
10〜3月:土~日曜日10:00〜15:00
定休日
月~金曜日(お盆時期・年末年始を除く)
料金
一般 300円、小中高150円アクセス(車)
富浦ICから約30分
アクセス(鉄道)
・JR館山駅からバスで約25分、「布良埼神社」下車徒歩約3分
・JR館山駅からタクシーで約25分
駐車場(乗用車/台数)
2台
小谷家住宅は、館山市指定有形文化財。明治22年の大火後の再建。
明治時代以降のの布良の漁村を知ることができる建物です。現在、個人の所有となっているため見学の詳細は青木繁「海の幸」記念館を保存する会が管理している。
小谷家は江戸時代から続く漁家で、昭和19年に廃業するまで船主でした。布良は明治9年、明治22年、大正12年に大火があり、多くの家が焼失しました。当時の家屋はほとんどが茅葺きであったと思われますが、次第に屋根を瓦葺きにするなど、不燃化を考慮した造り方に変化していったものとみられます。
小谷家住宅は、建ちの低い平屋建てで、内部に土間はなく、下手に差し掛けの土間・炊事棟を建て、安房地方に多く見られる分棟型民家の系統をひいています。屋根を桟瓦葺き、一部を大壁造りとするなど、防火を考慮した造りとなっています。間取りや、垂木止めに洋釘を用いている点など、明治初期の造りよりも新しい傾向を示しており、明治22年の大火後の再建と考えられます。
また、洋画家青木繁が明治37年にこの住宅の「オクフタマ」に約2か月近く滞在しています。青木は布良の海を題材に、数多くの海の景色を描きました。その中で最も力を注いだのが、裸の漁夫数人が大きなフカ(サメ)を背にして夕日を浴びて戻ってくる、有名な油彩画「海の幸」でした。小谷家住宅は「海の幸」製作に係わった家としても広く知られています。
平成26・27年度に、全国の画家等による「NPO法人青木繁『海の幸』会」、地元の「青木繁≪海の幸≫誕生の家と記念碑を保存する会」、小谷家当主が連携し、屋根の葺き替えやなまこ壁の復元など修復を行いました。
平成28年4月29日から、『青木繁「海の幸」記念館』として、一般公開を開始しました。(館山市ホームページより)
平成28年(2016)より一般公開が始まったそう。館山市の地元だけでなく全国の画家等による「NPO法人青木繁『海の幸』会」など多くの方の協力を得てこうした建物の一般公開が続けられていることに感謝したい。
小谷家住宅を見学
坂を下って小谷家住宅へ。奥に布良の街並みが見えるこの景色が印象的だった。
ご当主の方が奥から出てきて、受付と建物の説明もしてくださった。
客は私一人なので贅沢なガイド時間…しかし若いのに私一人で訪れたことにとても驚いている様子だった。
間取りは正面中央に式台付き玄関を設け、その奥にザシキとナンドを前後に並べ、これらの隣に客座敷として二間続きのオクフタマ、下手に板の間2室がそれぞれ前後に並び、ザシキと板の間前面に横長の小部屋が配置されている。天井は客座敷を棹縁天井とするが、ほかは根太天井としている。また、イタノマ後室には中二階が上がり、階下は漁船員の宿泊、階上は漁具置き場に利用された。(説明より)
いぶされて黒々としているザシキには神棚(江戸時代のものだそう)、仏壇、床の間、そして立派な柱時計に目が行く。
説明によると、明治期のドイツ製のものではないかと思われるそうだ。時計は最近壊れてしまったそうで針が止まっていた。
ザシキから客座敷として二間続きのオクフタマ。
ガラス窓から漏れる光が美しく見入っていた。明治期に活躍した画家、青木繁氏も同じ目線だったのだろうかと思いを馳せる。
平書院欄間彫刻。こちらの立派な彫刻は、後藤義光の門人である「安房郡国分村/後藤喜三郎/橘義信作」と刻まれている。
廊下の雨戸の鍵が今まで見たことが無いタイプだったので実際に鍵を閉める様子を拝見した。
奥のお手洗いは流石に新しく改装されている。
ザシキの北側にナンド、イタノマが続き、作品の複製画、写真パネルや解説パネルが展示されている。現在は見学はできないが、中2階があり、2階では舟を置いたり蚕を飼っていたこともあると伺った。
そのほか、玄関に真っ黒な漆喰塗の壁がありこちらの漆喰の色も初めて見るものだった。建物が反射するほど状態が良く残されている。
前述のように布良では大火もあり、火事が多かったため、海風が強く台所がある西側は海鼠壁で防火対策の造りになっている。震災時は、地盤が岩だからあまり揺れず、向かいの竹林に避難したという。
昔のままの古民家を画家らが集って保存することになったとご当主の方から話を伺った。まだあまり有名ではないと思いますが、館山駅からバスでも訪問できるので、興味がある方はぜひ。静かで良い街です。
(訪問日:2022年11月)
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むかしの日本家屋のよさが写真からも、よくわかりますね…。
館山市に、こんな素晴らしい記念館があるとは知りませんでした(それも、公的な文化施設ではなくて、言わば有志による保存活動だと知って、なおさら感動します)。
※文中の「海の幸」の絵は、…レプリカですか?(えーと、原画はどこにあるのでしたっけ?上野の藝大美術館?)