旧馬渡宿の現在の街並み。正岡子規も立ち寄った佐倉市馬渡 -馬渡⑵

旧馬渡宿の現在の街並み。正岡子規も立ち寄った佐倉市馬渡 -馬渡⑵

佐倉市馬渡。旧佐倉街道沿いの宿場として栄えた馬渡は、正岡子規も立ち寄ったことがあるという交通の要衝であった。現在も国道51号の裏手にひっそりと古い街並みが残る。

前回の馬渡編の続きです!

田中酒造「旭鶴」

千葉県佐倉市馬渡918。前回紹介した馬渡の西側にある八坂神社から歴史散歩スタート。旧道を西から東へと歩きます。

八坂神社
旭鶴の煙突

八坂神社の東側にあるのが「田中酒造 旭鶴」。江戸時代末期に創業。佐倉市唯一の酒蔵である。

旧佐倉街道沿いに店舗入り口を構える。かつての宿場時代を彷彿とさせる良い景観が保たれていて好きだ。

直売所入り口

残念ながら日曜日が定休日のようで訪問した日は開いておらず。再訪確定だ…泣

杉玉が門扉前に。

閉まっていた

旭鶴(あさひつる)の歴史については、CHIBASAKE.COMにて詳しく紹介されている。

旭鶴は江戸時代の天保元年(1830年)に新潟県出身で酒造りを学んだ創業者・田中勘三郎氏によって旧・馬渡村(現・千葉県佐倉市馬渡)にて始まりました。

当時は土井利勝(どいとしかつ)が佐倉城を築き、その後、堀田氏の居城となり老中首座(ろうじゅうしゅざ)として事実上の執政として幕政の主導となった堀田正亮(ほったまさすけ)が11万石とし、佐倉は城下町として繁栄しました。

そんな中、馬渡村は当時宿場町であり、田中酒造店(現・旭鶴)は旅館の隣で酒を造り、旅人の憩いの地にて酒造りをしていました。

宿場町時代には、旅館の隣で酒をつくっていたという。その旅館こそが前回紹介した正岡子規も宿泊したという「上総屋」。その跡地に現在の旭鶴が存在すると思われる。

白壁と黒板壁が見事

明治22年に町村制施行に伴い、馬渡村は合併により「旭村」となります。昭和30年に、旭村の一部の旧・馬渡村地域は佐倉市へ編入となりますが、この旭村という名前が現在の「旭鶴」の由来となっています。
以来、千葉県地域とともに歩んできた酒蔵「旭鶴」。

7代目当主である田中孝一さんはモットーを「お酒を通して、人と人の縁や絆を結ぶお手伝いをすること」と語り、伝統的な製法を今も大切に守り続けています。

 

馬渡バス停

また、県内では珍しい女性杜氏が酒造りを手掛ける酒蔵で、酒蔵隣の八坂神社から流れるご神水を仕込み水に。昔ながらの佐瀬式もろみ圧搾機(ふね)で上質なお酒がつくられているという。

昔ながらの製法
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そして個性豊かな種類がたくさん!日本酒に慣れていない方にも手に取りやすい、日本酒カクテルも。ビターライム、蜂蜜レモン、美味しそう…

https://item.rakuten.co.jp/asahi-tsuru/720-samulime/

楽天市場、Amazon等でも購入できるので気になる方はぜひ。次こそは直売店で…!

直売店

建物については触れている情報があまり無いが、蔵は昭和初期に建てられたものだそう。酒蔵見学をしたら案内していただけるのかしら。

窓ガラスが綺麗
昭和初期の蔵?

直売店の並びにある蔵は、赤い屋根に軒下のV字の意匠などちょっと洋風な雰囲気で異彩を放っていた。

また、「さくらの景観まちづくり賞’18 No.4」に選出されている。ポイントが複数あるので抜粋。

宿場町の面影を残す(馬渡・店舗住宅)

《特に優れているポイントなど》
・馬渡宿の歴史を今に伝える随一の景観資源であるとともに、現在も酒造を営み積極的な商品・販路開発を行うなど、生きた資源として、歴史的にも、将来的にも地域の景観まちづくりを先導する役割を担っている。
・ファサードのリニューアルが、景観を壊すことなく継承する方向に発展させているところを高く評価したい。

2012年頃の田中酒造。確かにリニューアルされた様子。

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旧宿場・馬渡の歴史散歩

旧宿場町の馬渡の現在へ。2012年のGoogleストリートビューと見比べながら記事にまとめます。

酒蔵周辺から

御大典記念碑

旧佐倉街道沿い、消防団の向かいの邸宅の角で見つけた小さな石碑。コンクリートで下部が埋まっているが…

「御大典記念」とあるではないか!!

御大典記念

中央には「正面坂戸?」読めないな…

御大典記念

西側の側面には「左 馬渡」とある。道標にもなっていたのかな。

道標

1928年、全国各地で事業や記念碑等が設置されている。ここ馬渡でも小さな碑から読み取れるのは嬉しい。

千葉県内でもちょくちょく見かけるので、まとめて記事にしたい(いつか)。

碑がある邸宅

引き続き旧佐倉街道沿いを東へ。宿場町時代の建物は既に失われている。

旧佐倉街道沿い

酒造隣の民家にあった白壁の蔵は最近無くなったようだ。2012年ストリートビューより。

裏道に誘う入り口にポツンと佇む石柱…何かの入り口だったのだろうか。

石柱が

2012年のストリートビューを見ると右手には元商店?のような建物があり、国道へと通じる横道は鬱蒼としげる雰囲気のある道だったことがわかる。

また横道の入り口には、石畳跡も。今は埋められてしまい無くなっている。

横道を進むと国道51号が見えてきた。

奥が国道51号

手前にあるのは古い墓地。そして、看板等は無いがこちらに「阿弥陀堂」がある。阿弥陀堂への入り口の門柱だったのだろう。

阿弥陀堂
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馬渡郵便局

旧佐倉街道沿いへ戻る。レトロな佇まいの馬渡郵便局があった。

馬渡郵便局

日曜日だったので営業時間外。

可愛い持ち送り

白い外壁に薄い水色の持ち送り、赤い屋根…

郵便マーク?!

こちらの建物について調べても情報が少ないが、1967年築。

脇の倉庫

隣には立派な門扉のある邸宅。元特定郵便局の香りがする。元特定郵便局は、明治政府が郵便制度を始めた際に地域の名士に業務を任せたことに始まった制度。

邸宅の敷地に隣接して局舎が建っている。

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善養院

お隣にある、真言宗の善養院。

善養院
1740年の宝篋印塔

佐倉市教育委員会による説明看板が設置されている。先ほどの阿弥陀堂と合わせて案内図があるのは助かる。

説明看板

善養院本堂は、もと八坂神社の北東にあった薬師堂を現在地に移築したもので、江戸時代後期の建造物である。境内は台地の中腹に位置し、大師廻りの札所である大師堂や地域内居住戦没者の慰霊碑、江戸期の墓石群がある。
また、阿弥陀堂には文化元年(一八〇四)寄進銘の木造阿弥陀像が安置されており、周囲の墓地には戦没者の墓碑などがある。下総まわたし宿の他の文化資産と共に地域の歴史を知る上で貴重な文化資産である。

国府台合戦

旧佐倉街道沿いは立派な門扉や生垣がある邸宅が並んでいる。

門扉や壁等は取り払われているようだが、名主の邸宅のような立派な民家。

そして少し歩くと小さな神社。

旧道沿いの神社

現在は営業しているお店自体が、旭鶴のみで観光地としては弱いかもしれないが、歴史や旧道沿いの雰囲気が好きな方はふらりと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

 

(訪問日:2022年2月)

 

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