銚子「松岸遊廓」”利根川に浮かぶ竜宮城”と称された遊廓を探して ー松岸⑵
銚子を探索する前に、一つ手前の「松岸駅」で降りた。その目的は、「松岸遊廓」を調べるため。
「利根川に浮かぶ竜宮城」と紹介されている松岸遊廓。他にも記事を書いている方がいるので参考にしながら遊廓跡を辿ってみた。
松岸遊廓とは
千葉県銚子市松岸町。銚子の郊外なので、用事が無かったら降りることもないであろう静かな駅である。だが、かつては遊廓があり賑わっていた街なのだ…
『赤線跡を歩く』より
それを初めて知ったのが、お馴染みの木村聡著『赤線跡を歩く』。遊廓・赤線を知る上で欠かせない一冊。
「利根川に浮かぶ龍宮城」と表現しているのが素敵。
龍宮城と形容された二軒の妓楼があったのはやはりここで、旅館の前の空き地になっている場所に、昭和四十年頃までは建物が残っていたのだという。戦後の一時期、赤線の一つになっていたということは『全国女性街ガイド』に書かれているが、ひと頃、演芸ホールに改装されて、芝居や歌謡ショーの興行が行われていたこともあったという。
本が出版されたのが2002年。今から20年近く前であるため、川岸の近くの旅館の姿は残っていない。
演芸ホールはその後温泉になったりしたそうだが、廃業。今は空き地になっており、かつての遺構は期待できなさそうだ。
『全国女性街ガイド』より
『全国女性街ガイド』にも銚子の次に紹介されている。
『利根川図誌』にも淫肆の地として書き残されたほどの、その道では親分級の廓。松岸遊廓といえば、一軒先の銚子より名が通っていて…
淫肆の地?初めて聞いた言葉に興味を覚え調べてみると、「淫肆(いんし)=遊女屋。また、その集まっている地区」とのこと。肆は店のことを指しているそうだ。
親分級の廓…どんな妓楼だったのだろう。
遊郭の時代は終わり、赤線時代には22名の女性が働いて居たそうだ。
『全国遊廓案内』より
『全国遊廓案内』には「銚子町松岸遊廓」として、長々と紹介されている。(旧字体は今の字体に直してます)
昔は銚子往来の人々は、この川岸から揚り又利根川の水路が江戸と常総方面を結び付ける唯一の交通線であった時代、松岸は最終港だったので当時は非常に繫昌して居たものであるが、未だ気分だけは残つて居て、芳流閣、龍宮城等言ふ大きな立派な妓楼のあつた所以である。
水運が栄えていた時代、松岸が最終港だったという。以前、銚子の港は小さくて大きな船が入ることができなかったと聞いたことがあるので、松岸で降りて銚子へ歩いて向かっていたのだろうか。
また、利根川の河畔に突出している妓楼は浮島のような美しさだったという。
第一開新楼、第二開新楼の二軒。
また、2018年に「知の冒険」さんが記事に詳しくまとめているので事前に参考にさせていただきました。松岸と銚子の中間あたりには「本城遊廓」も存在したらしいです。記事には貴重な絵葉書など資料が多く載っているので、気になる方はぜひ!
現在の遊廓跡を訪ねて
遺構などは期待できそうにないけど、とりあえず歩いてみることに。新たな発見があるかもしれないし…
前回紹介した、松岸駅から続く商店街を抜けて利根川の方面へ。
ふと、電柱を見ると「渡船場」。こんなところにかつての賑わいが…とびっくり。
遊郭へ向かう途中の道。現在は閑静な住宅街でお店の姿も見えない…
いよいよ、松岸遊廓跡。東西に大門があったという。
たばこのホーロー看板が良い味を出している…
「松見屋たばこ店」。かつては小間物屋だったそうだが今は営業している雰囲気は無し。遊里内で必要なものが揃っていたのかな。
他にも酒屋などお店があったようだけど、民家になっていて他にお店は見当たらず。
第一開新楼は結婚式場に
左手に、大きな洋風の建物が見えてきた。
ここが、第一開新楼跡地。現在は「キャルネ・ド・サントゥール」という素敵な結婚式場に。
天気が良い日だったら、銚子にいるとは思えないほど美しく輝く写真が撮れたかもしれない~ヨーロッパの宮殿みたい…
妓楼の跡地をそのまま利用していると考えると、かなりの広さ。
右側、駐車場の奥に、赤い鳥居が見えたので近づいてみた。
第一開新楼の敷地内かもしれない。遊廓の時代との関係性は不明だが、歴史を感じる。
鳥居の周りは鬱蒼と茂る竹藪。ここだけ時間が止まっているようだった。
また、結婚式場の敷地内に残る庭園が、絵葉書に映っているものと同じ?という話が書いてあるので壁から覗いてみた。
結婚式場は定休日だったのかとても静かでだった。
第二開新楼は駐車場
結婚式場の向かい側は広大な駐車場。ここが、龍宮城と評された第二開新楼跡地。
広い、広すぎる…!妓楼の広さを肌で感じる。
手前が駐車場で、奥は…無法地帯。だがその奥に見える赤い鳥居が気になった。
草むらをかき分けて鳥居へと近づく。ここも関係性は不明だが、もしかしたら女性たちも手を合わせたのかもしれない。
また、その近くには井戸跡も。
演芸ホールの跡、温泉旅館になったという話があったが、東日本大震災前までは「青野屋旅館」という温泉旅館が建っていたそうだ。
東日本大震災の時に廃業。2012年のストリートビューで跡形もなく更地に。
青野屋旅館について。情報ほとんどないだろうな~と思い調べると、意外とネット上に記事が残っていた!
結婚式場の経営者と同じらしい。公衆浴場としても使われていたようで、一度入ってみたかった…
その向かい側も更地。引手茶屋や検査所などが並んでいたという。
更地になった地面を見ると、貝殻の多さに驚く。
松岸川岸跡。ここの船着き場から遊廓へ…そんな賑わいは微塵もない。
遊廓跡の周辺
思っていた以上に遺構はなく、寂しい探索に。西の大門があった辺りには鳥居があった。
民家の門柱に残る陶器製のプレート。珍しい気がする。
遊郭・赤線跡を調べていると、もう少し前に訪れたかったと思うことが多々ある。それほど、無くなるスピードは速いし、記録している人も少ないから。
松岸遊廓は思っていた以上に何もなく、かつての賑わいを想像することしかできなかった。
(訪問日:2021年6月)
-
前の記事
銚子・松岸駅。商店街と老舗の田杭商店・小林酒造場 -松岸⑴ 2021.11.06
-
次の記事
銚子駅前の商店街「シンボルロード」看板建築とアーケード屋根 -銚子⑴ 2021.11.07
コメントを書く