【戸定邸】徳川昭武の別邸が残る「戸定が丘歴史公園」で水戸徳川家の歴史を感じる

【戸定邸】徳川昭武の別邸が残る「戸定が丘歴史公園」で水戸徳川家の歴史を感じる

松戸散策で最も欠かせない場所が徳川ゆかりの邸宅「戸定邸」。松戸駅東口から徒歩約10分の場所にあるとは思えない、国指定文化財の邸宅が残っている。徳川家最後の将軍である徳川慶喜の弟・徳川昭武が松戸に建てた別邸の美しさをぜひ堪能してほしい。

 

戸定邸の歴史

まず、戸定邸の歴史について、徳川昭武との関係性を絡めて見ていく。戸定邸で購入した『戸定邸解説シート』を参考にした。

 

戸定邸について

戸定邸は、とても見晴らしの良い戸定が丘の台地の上に存在し、元々幕府の直轄地であった。

 

丘の上に立つ戸定邸

江戸時代には、松戸宿が江戸から水戸を結ぶ水戸街道の宿場町として栄えていた。1884年に、最後の水戸藩主である徳川昭武の隠居場所として水戸徳川家別邸をこの地に構えたのが現在の戸定邸である。戸定邸には、現在も大規模な和風の主屋と美しい庭園などかが現存しており、見学することができる。

 

徳川昭武(あきたけ)について

最後の水戸藩主・徳川昭武は1853年に生まれた。兄の徳川慶喜とは16歳下になる。禁門の変をはじめ、幕末の動乱に参加。その後はパリに留学するも、明治維新により帰国して水戸藩主になった。そして1884年に戸上邸の建設を開始し、隠居生活に入った。自転車や写真、狩猟、園芸など多彩な趣味を持っている昭武は慶喜とともに写真撮影や狩猟などによく出かけていたそうだ。戸定邸から少し歩いたところにある坂川のほとりで撮影した写真も残っている。東京の隅田公園にあった水戸家本邸と戸定邸の両方に住み、隠居生活を送っていたと思われる。

 

戸定邸の間取りについて

戸定邸の間取り図を参考にしながら、イラストを描いてみた。

間取り図イラスト

1884年の創建から、1921年の間に増築や改造はあったものの、現在も創建当時の面影が残っている。時代背景の変化に伴って、大名屋敷から華族の屋敷へ、女中部屋が減少していることから窺えるそうだ。

 

戸定邸の見学

【入館時間】9:30~16:30
【休館日】月曜日、年末年始

【入館料】一般250円、大学生高校生100円、中学生以下は無料。

駐車場も完備されており、大型バスで訪れている方もいた。もちろん、松戸駅からも徒歩10分ほどなので、交通の便が良い。坂を上ると、入り口が見えてきた。

 

戸定が丘歴史公園入り口の門

戸定邸の隣には、松戸徳川家伝来品など数多くの文化財が展示されている戸定歴史館がある。しかし、数か月に一度、展示の入れ替えのため休館となるため注意。(私もちょうど休館日だった…残念)

 

戸定邸玄関から使者の間へ

 

戸定邸

玄関を入ると、そこは広い別邸の入り口。松戸にいるとは思えない和の趣を感じる。

右手には受付があり、左手には来客の従者の待機所として使われた「使者の間」がある。

使者の間

湾曲したふすまの意匠。繊細で美しい。さすが水戸徳川家の別邸。細部までこだわりが詰まっている。

ふすまの意匠

内倉

渡り廊下を渡り、奥へと進もうとしたらかなり重厚な土蔵が出現…!邸宅の中にこんなに大きい蔵が残っているのは初めて見た。

内倉

二階建ての土蔵造。刀剣類が収蔵されていた場所のようで、その名残が残っている。金色に光る徳川の葵の御紋がチラリ。

蔵の内部

内倉の横、トイレがある方へ進むと、暗闇の中に佇む黒い金庫が廊下にある。こちらも重厚な金庫で、よくテレビで見かけるような金庫。

金庫

「東京市 馬喰町」と書かれた金色のプレートは、文字もしっかりと確認できる。保存状態がとても良い。大事にされてきたものなのだろう。

金色のプレート

開かない金庫を開ける番組でよく見かけるダイヤルが目の前に…少し興奮した。

ダイヤル

 

御居間(八重の間)

昭武の後妻になった斎藤八重の居間。丸い窓から差し込む光が優雅なお部屋となっている。

 

御居間

浴室

細い渡り廊下を進むと、浴室へ。

 

浴室への渡り廊下

脱衣所から、湯殿が一段低くなっている。徳川家とその来客専用の風呂場として使われていたそうだ。広々としている印象を受ける。窓が大きいため、外からは入浴中の姿が丸見えのような気がするが…

浴室

タイル張りになっている風呂桶は、当初は木製だったようだ。真っ青なブルーが色あせずに残っているのが素晴らしい。

 

真っ青なブルーのタイル

天井を見上げると、一部分だけ開けられるようなつくりになっている。喚起をするため?

天井

浴室全体が離れのようになっており、まだ一般家庭に内風呂がなかった時代、とても贅沢なつくりだったのだろう。

離座敷(秋庭の間)

さらに渡り廊下を進むと、昭武の歳暮、秋庭の居間へとたどり着く。

 

離座敷(秋庭の間)へ

竹とスズメの意匠の欄間は、秋庭の実家の家紋を崩したものとされている。庭の景色がとてもよく、落ち着く空間だった。

離座敷(秋庭の間)

表座敷

玄関から正面にあたる場所に表座敷がある。この日はちょうど徳川家に関係のある方が撮影をしていたため、表座敷の見学は後回しにすることにした。この場所は公式の接客の間として利用されていたとらしい。

表座敷の客間

客間は戸定邸で最も格式の高い部屋。皇太子時代の大正天皇や徳川慶喜が客間の床柱の前に座ったともいわれている。開放的な空間は、緑が鮮やかな庭を眺めることができる。広すぎて、広角レンズで撮影してもその魅力が伝えきれないのが残念…

客間

当時は毎日、富士山を遠望することができたようだが…「関東の冨士見百景」にも選ばれているほど。

客間の床には、甲冑。なんとこれは徳川慶喜が持っていた甲冑を模してボール紙・ペンキ・ニス・威しいとなどで制作した手作りだそう。飾り金具など部品が手には入らないものもあるというが、ほぼ完璧に近い形。

豪華な床の間

右手の金箔の扉も気になる。黄金に輝いており、豪華絢爛な床の間。

昭武の書斎、ベッドも置かれていたと言われる「中の間」の近くには洗面所もあり、生活感を感じる。

 

書斎

床に膝をつき、かがんで顔を洗い、引き出しの中に入っていたタオルで顔を拭いていたようだ。洗面所にかがむスタイルが新鮮だった。外の景色を眺めながら、朝顔を洗ったら気分がよさそう。

洗面所

洋館?と庭

戸定邸年譜を見ていると、昭和19年(1944年)に「この年、戸定邸から洋館が撤去される」と記載がある。洋館?についての説明は見当たらなかったため、どこに存在したのか、またどのような建物であったのか気になる。

広々とした庭

松戸にこんなに素敵な邸宅があったとは…水戸徳川家の歴史を存分に味わえる邸宅。見ごたえもたっぷりあるため、時間に余裕をもって訪れたい。

※夏場は素足で観覧するのは避けたほうがよいかと思います。そのような規定はありませんが、重要文化財の邸宅を素足で汚してしまうのはもったいないからです…

(訪問日:2020年6月)