【松戸散策②】松戸に残る旧陸軍工兵学校跡の戦争遺跡。軍用地境界標石、レンガ門を辿る…

【松戸散策②】松戸に残る旧陸軍工兵学校跡の戦争遺跡。軍用地境界標石、レンガ門を辿る…

松戸は、かつて日本軍唯一の陸軍工兵学校が存在していた。終戦から75年以上が経つ現在、千葉県には数多くの陸軍学校が存在していたことを知っている人は少なくなってきているのではないだろうか。佐倉、市川、津田沼、習志野、千葉…と各所に点在していた。現在もその名残は、戦争遺跡としてひっそりと残っている。

今回は、松戸の旧陸軍工兵学校跡を巡ろう。

 

松戸の旧陸軍工兵学校について

まずは、松戸の旧陸軍工兵学校についての知識をさらっとおさらい。散策するにしても、時代背景を知っているか知らないかでは視点が大きく異なってくる。

大正8年(1919年)に松戸に創設された工兵学校は、全国で唯一の工兵学校だった。歩兵、騎兵などの学校はあったが、戦争が激化する中で、創設されたものらしい。終戦までの27年間、松戸は「工兵の街」と呼ばれるほど、多くの工兵を輩出した。

工兵学校が存在した場所は、松戸駅東側にある相模台の台地。それ以前は、松戸競馬場があったが、中山へ競馬場が移転した後に工兵学校が開校した。そして、工兵学校の本部があった場所は、現在、松戸中央公園として整備されている。

戦後は、千葉大学工芸学部が工兵学校跡地に創設され、西千葉に移転するまで使われていたそうだ。現在残っているわずかな遺跡を辿って、工兵学校の雰囲気を感じよう。全部の遺跡を辿るのは、台地ともあって高低差があり大変な散策だったが、それもまた良い思い出だ。

 

①1つ目の軍用地境界標石

松戸駅東口を出て真っ直ぐ進むと、大きなイトーヨーカドーの建物が見える。

 

イトーヨーカドーが目の前に

その建物を左手に、道を進んでいると、右手に白いフェンス…その下に埋もれるように小さな石碑を発見。

 

白いフェンスの下に…

これが一つ目の陸軍地境界標石だ。

かろうじで、見えるのは「陸軍」の文字。こんなに埋まっているのに、その役目を果たしている健気さに感動。なぜ、ここまで埋まってしまったのか、当時の様子と比較してみたい。よく見ると、白いフェンス、階段の位置も不自然な気がする。

一つ目の陸軍地境界標石

②思わず見逃してしまう2つ目の軍用地境界標石

一つ目の陸軍地境界標石を発見し、興奮していると、聖徳大学へと向かう階段が見えてきた。ここが、大学の入り口なのか…とあっけにとられ、階段を進む。旧陸軍工兵学校があった相模台へと続く階段だ。

 

聖徳大学へ

そういえば、階段の入り口ら辺に陸軍地境界標石があったと聞いたが見当たらなかったな…階段を途中まで登って引き返すことに。二つめの陸軍地境界標石は、階段の左手、ビルの脇の階段の傍に存在していた。階段に意識がとられ、全然視界に入っていない。ここは見逃しやすい場所だろう。

階段の横に…

こちらも、かなり埋まっている。階段一つ分くらいの高さには「陸軍用」の文字。道路が整備された時に、道路の高さもだいぶ変わっていることがわかって面白い。

陸軍用…

③3つ目の軍用地境界標石

聖徳大学へと続く階段…この日が雨だったせいか、階段はじめじめしていた。おまけに階段が陥没しているところもあり、少々歩きにくい。この階段も相当古いものだろう。待ち構える戦争遺跡に相応しい道のり。

陥没している階段

かなり急な階段に、息を切らしていると、左手に石碑を発見。
三つ目の陸軍地境界標石だ。

三つ目の陸軍地境界標石

これは「陸軍用地」としっかりと確認できる。赤いペンキのような痕跡が気になるが、赤で塗られていたのだろうか。現在は、コンクリート製の壁に埋もれるように建っている。

陸軍用地

④4つ目の軍用地境界標石

階段が分岐に差し掛かったころ、四つ目の陸軍地境界標石を発見。分岐の右側に建っている。

 

四つ目の陸軍地境界標石

「陸軍用地」としっかりと確認できるのだが、一つ気になることが。
階段側ではなく、外側に向かって文字が書かれている正面が建っている。ということは、右手にある山の斜面は陸軍用地ではなかったのかもしれない。複雑な陸軍用地の地形が浮かびあがってくるようだ。

外側を向いている陸軍用地の文字

⑤軽油の倉庫跡

階段の分岐の正面に、扉がいくつかついている巨大な壁のようなものが立ちはだかっている。
これは、陸軍工兵学校の倉庫跡と言われている。当時の陸軍工兵学校の地図を見ると「軽油庫」との表記。

扉は全部で四つ。コンクリートで完全にふさがれてしまっている場所もある。戦争遺跡に伸びる新緑。終戦から75年経つが、その姿を変わらず留めてくれていることに感謝。

ふさがれた扉

倉庫跡を抜けると、聖徳大学、団地のような建物が連なっている。人気はあまりないように見えるが、公務員住宅のようだ。

聖徳大学と公務員住宅

⑥千葉大学工学部跡、陸軍工兵学校跡

松戸中央公園へと入ると、右手に説明書きがある石碑を発見。「千葉大学工学部跡」と書いてある。創立80周年を記念し、平成13年に作られたものだそうだ。

その隣には「陸軍工兵学校跡」の石碑。昭和42年につくられたようで、景勝の地として相模台に工兵学校がつくられた経緯が書いてある。説明書きがあると、予備知識無しで散策していても勉強できて有難いです。

千葉大学工学部跡、陸軍工兵学校跡

旧陸軍工兵学校跡につくられた松戸中央公園。何の変哲もない公園のように思うが、ところどころ気になる部分がある。石碑の近くの道、土で埋められているかのようなレンガ。まさか陸軍工兵学校の名残だったりしないよね、考えすぎかな。少しレンガが飛び出していて、歩行者にとっても危険なような気がするが、なぜ埋まっているのか気になる。

レンガが見える

公園の中央部分には、一段低い場所が。原っぱが広がっているが、ここは池だったのだろうか?

池??

そして、謎の建物。自転車置き場とかでもなさそうだが、舞台のように見える。

なにかの舞台?

⑦旧陸軍工兵学校正門

松戸中央公園の見所は何といっても、旧陸軍工兵学校正門だろう。立派なレンガの正門がしっかりと現存している。

松戸中央公園から見た正門

松戸に残る、レンガ建造物については前回の記事でまとめたので合わせてぜひ↓
【松戸散策①】松戸はレンガ建造物の宝庫?!松戸のレンガ探しの旅へ

そして、正門の右手には歩哨舎の跡。これは公衆トイレかと思ってしまうが、正門の警備に使われていた歩哨舎。中に入ることが出来るのは一人ほど。ここで見守っていた人の気持ちを追体験してみるのも興味深い。

歩哨舎

⑧5つ目の軍用地境界標石

松戸中央公園に残る正門を出て、左の道を進む。五つ目の軍用地境界標石は、松戸市立第一中の裏手にあるようだ…距離が離れている。相模台小学校のフェンスには、山崎直子さんの垂れ幕が。松戸の出身だったのですね…

山崎直子さんの垂れ幕

道を進むと、交差点近くに良い感じのたばこ屋さん。ジュースなども販売していた。たばこのTOBACCOの文字が素敵。

たばこ屋

分岐を左に進むと、赤い鳥居がある。これは、馬頭観世音だそうでグーグルマップにも表示されている。馬頭観世音がグーグルマップに表示されているのは珍しいが、それだけ馬との関りが深かったことがわかる。

馬頭観世音

馬頭観世音がある道を下っていくと、松戸市立第一中学校の裏手に到着。その斜面に傾くように軍用地境界標石が建っていた。

五つ目の軍用地境界標石

しかし、右からは迫りくるショベルカー…
斜面を切り崩している真っ最中だったが、軍用地境界標石はどうなってしまうのか。ガシャンガシャンと工事しており、一歩遅かったら見ることが出来なかったかもしれない。

工事中だった

⑨6つ目の軍用地境界標石

六つ目の軍用地境界標石は、松戸中央公園の正門まで戻り、右へと進んだ道へ。
かなり急勾配な坂を下るのだが、「地獄坂」と呼ばれていたのも納得。松戸市街地からも近い場所に、こんな自然があるなんて…

地獄坂

歩道がない方、電柱の傍に軍用地境界標石があった。

今までで一番濃く「陸軍用地」の文字が見える。

⑩7つ目の軍用地境界標石

地獄坂を下ると、左手にはまた鬱蒼と茂る高台が見える。相模台公園にも遺跡が残っているとのことで、この茂みの階段を上っていくことに。開園昭和31年と書かれた看板はとても年季が入っている…

階段にも伸びっている雑草。梅雨の時期のじめじめ感と相まって、虫が多く、長いはでき無さそうな場所。しかし、その階段の途中に、軍用地境界標石がある。

7つ目の軍用地境界標石

手すりの向こう側にある軍用地境界標石は、正面が見えない。仕方ないので、カメラの手を伸ばして撮影してみると、陸軍用地の文字。少し赤い部分が気になる…

陸軍用地の文字

⑪8つ目の軍用地境界標石

鬱蒼とした階段を登りきると、開けた公園に辿りつく。ポツンと設置されているベンチの奥の場所に、端でもなく真ん中に軍用地境界標石が建っていた。

相模台公園

半分ほど埋まっているが、陸軍用地の文字が見える。子どもが遊んでいて、引っかかったりはしないのだろうか。

また、その近くにも何やら怪しい石の痕跡。電柱が建っていたとか?知らないと引っかかって転びそうだが…

痕跡?

他にも色々ある

相模台公園には、他にも色々な痕跡?らしきものがある。下には遊具があり、子どもの遊び場として機能しているおうだ。

相模台公園の遊具

軍用地境界標石があった場所とは反対側へ。水が溜まっている石。これは何に使われていたのだろう?

水が溜まっている

「松戸市忠魂碑」も奥にひっそりとたたずんでいる。なんと、「総理大臣吉田茂謹書」と書かれている。松戸の戦争遺跡を巡る上で欠かせない場所だ。

松戸市忠魂碑

 

高台になっている場所から、下の遊具がある方へ。この階段も、令和とは思えないほど年季がある。そして急勾配な階段。相模台公園がつくられたときのものだろうか。

急勾配な階段

相模台公園と隣の土地を隔てる仕切りにもなんだかただならぬ雰囲気を感じる。

仕切り

そして、円盤状のコンクリート製の遺構?中央部分には、鉄線の名残も見える。公園の遊具にしては疑問を抱く…陸軍に関係するものだろうか?ネットではこれについて言及している方は少ない。文献から探すしかなさそうだ。

円盤状のコンクリート

円盤以外にも、四角いブロックのようなものも。建物が建っていたとか?

この場所を調べてみると、工兵の訓練場近くにあった馬場とある。馬の飼葉桶の跡ではないかとも言われているが、謎な痕跡が多数存在している。

不思議な気持ちになりながら、相模台公園を後にする。先ほどとは違う階段から降りたが、こちらも急な階段。下から、子どもたちが階段を上ってくる声がした。地元の子どもにとっては、普通の公園なのだろうか。

またしても急な階段

松戸旧陸軍工兵学校跡散策MAP

松戸に眠る旧陸軍工兵学校跡。イラスト地図にしてみたが、かんり広範囲にわたって残っている。気になる方はぜひ散策してみてほしい。

 

松戸旧陸軍工兵学校散策MAP

 

(訪問日:2020年6月)