【松戸散策④】松戸宿、かつての繁華街「春雨橋」から徳川ゆかりの地も

松戸駅周辺には数多くの歴史が残っている。今まで平潟遊郭をはじめ、松戸散策として様々な場所を巡ってきたが、今回は松戸駅から少し離れた場所のディープスポットを巡る散策。旅館や、銭湯、眼科まで名所として知られていない松戸の魅力をこの記事で伝えたい。
松戸宿の中心は春雨橋付近
松戸宿は、鳥瞰図を見てもわかるが、当時の中心は春雨橋周辺であった。明治29年に開通した松戸駅であったが、昭和初期の頃は松戸駅前よりも、少し進んだ春雨橋のあたりに老舗が集中していたようだ。

一方で、当時の松戸駅の東口は一面畑でのどかな風景が広がっていた。
①宮前湯
前回の続きということで、松戸神社近辺から散策をスタート。
松戸神社の参道の南側に、鮮やかな黄色が目立つ銭湯がある。「宮前湯」は、昭和5年に松井天山が描いた鳥瞰図にも載っており、かなり老舗の銭湯だということがわかる。

銭湯のタイルについつい注目してしまう。

日替わりで薬用風呂が代わるらしい。レモン、よもぎ…どれも気になる薬用風呂。午後2時30分からの開店と同時に、地元の方々が入っていた。

実は、私の母の親戚が松戸に住んでいるらしく、母も一度連れて行ってもらったことがあるようだ。だが、小さいころの記憶で覚えていないらしい。残念。
②栄泉堂岡松
再び水戸街道、春雨橋の方面へ戻る。かつて繁華街の中心だった春雨橋の付近には、地区100年近い建物がある。その中でも、かなり古い木造二階建ての建物は、「栄泉堂 岡松」。
明治時代末期に建てられた和菓子屋らしい。季節ごとの上生菓子が好評で、ぼたんの練り切りは美智子様も召し上がったものだそうだ。

店内に入ると、タイムスリップしたかのような、木造の建物の温かさを感じる。

様々な方に愛されている和菓子屋であることが窺える。

今は使われていないのか、隅に重ねられている岡松の店名が入った木箱。明治から続く老舗の木箱は文化財級だ。

③レンガ建造物
春雨橋の隣に、一際広い敷地の古い木造建築がある。ここは、鳥瞰図を見ると、「福岡」とのみ描かれており、不思議な場所。建物を横から覗くとレンガ建造物であることがわかる。

敷地内には、大きな鳥居も少し見え、ますますどのような場所だったのか気になる。近くにあったらしい「フクオカ種苗店」との関係性もありそうだ。
④宝光院へ
福岡の敷地の外側をぐるっと回ってみることにした。敷地の外側は、背の高い木々に囲まれており、全体像がつかみにくい。敷地の方面へと続く橋、「きつね橋」を見つけた。

きつね橋を渡ろうとしたら、右手に寺があることに気づく。
「松戸四国八十八か所 弘法大師霊場 西参道」の石碑に目を奪われた。松戸にも四国八十八か所を巡る場所があったとは。今までに船橋、習志野地域で見てきたが、全国各地に存在するようだ。

宝光院では、お遍路体験ができるとして有名らしい。壁沿いにずらりと並んだ八十八体の大師像。これは圧巻。江戸時代に開山した宝光院は、当時は多くの参拝客で賑わっていたらしい。確かに、松戸にいながら四国八十八巡りを体験できる場所はかなり珍しいだろう。

江戸時代の剣豪、千葉周作ゆかりの地でもあるらしい。
⑤根本眼科への道
きつね橋へ戻り、福岡の敷地の裏手に回っていく。少々無理がある橋は、段差が大きいため気を付けてほしい。

橋をわたると、ここは昭和…?と思ってしまう、細い路地が現れた。土の地面、青いトタンの壁。うっそうと茂るこの路地を通る人はほとんどいないだろう。

木造の建物も放置されているようだ。
人が一人通れるほどの狭い路地を通り、福岡の敷地を一周したものの、新しい発見はなかった。

そして、道なりに進んでいると、魅力的に見える建物を発見した。以前の記事でも単独で紹介した「根本眼科」。最初はどんな建物か検討もつかなかったが、松井天山が描いた鳥瞰図に「根本眼科」と描いてあるため、間違いないだろう。ランプや透かしブロック…異色な建物だ。
【松戸】大正ロマン?元病院らしき美しい魅惑な建物~根本眼科~

根本眼科のあたりは細い路地が多くあり、散策していて楽しい。
「第一珠算書道學院」も古そうだ。昔はそろばんと書道が習い事の基本だった。時代とともに、習い事にも大きな変化があることを気づかせてくれる。

⑥松戸宿本陣跡
松戸宿の本陣跡が残っていると聞いたので、江戸川沿いを道沿いに。

あった、あった…「旧松戸宿 本陣跡地」。
わかっていはいたけれど、記念碑が残るのみ。跡地はアパートに生まれ変わっている。2004年に解体されたらしい…さぞかし立派な建物だったのだろう。

⑦料亭富吉
気を取り直して、水戸街道を東京方面へと進む。
お弁当の販売…と思い、看板を見ると「創業100年 料亭 富吉」とある。松井天山が描いた鳥瞰図にもバッチリ同じ場所に描かれている。
明治38年頃に料亭として開業。それ以前は、旅籠だったそうだ。最近は和食レストランとして時代の変化に対応しつつ、老舗の良さを残しているらしい。

⑧松龍寺
水戸街道から伸びる参道。一直線に伸びる石畳の参道に惹かれて、立ち寄ってみよう。

参道の途中には、鳶に関する建物も。そのまま時が止まっているかのような。

石碑を発見…と思ったら、右側に四国八十八…の文字。この場所も松戸四国八十八か所巡りに関する場所のようだ。

松龍寺は、ちょうど大規模な改修工事の途中であった。がらんと開けており、あっけない。

松龍寺は、慶弔8年(1613年)に開創し、徳川将軍家の宿所として、三つ葉葵の使用を許された寺だそうだ。かなり由緒あるお寺…
奥には、「高木筑後守正次の墓」。高木筑後守正次は、松龍寺を創建した方で松戸宿最初の旗本領主である。同じ場所には松戸宿代々の名手の墓が立てられている。

⑨橋本旅館
松龍寺から、JR沿線に向かって北、住宅街の中を進む。以前の記事でも話題にしたが、なぜこんば住宅街にあるのかわからない旅館を発見した。その旅館へは、「地震だ!」の古びた看板を目印に進むと良い。

「はし本」と表示された「橋本旅館」。住宅街の行き止まり、一目につかない場所にひっそりとたたずんでいる。インターネットで検索すると、橋本旅館に関する情報が少し出てくるが、果たして営業しているのだろうか…

【松戸】こんなところに旅館?!「はし本旅館」は住宅街の迷路の中で
⑩あなたも慶喜公気分
坂川沿いに、東京方面へと進むと、坂川沿いに新しい看板が設置されていた。
「あなたも慶喜公気分」…面白い!

江戸時代、徳川家最後の将軍である徳川慶喜も同じ場所で撮影をしていた写真が残っているそうだ。それに倣って、同じ場所で慶喜公の気分になって撮影をしてみてはどうだろうか?という看板。
古写真から観光案内へと誘導するのは珍しいと思った。とても興味深い。

⑪レンガ橋
レンガ橋として知られている「小山樋門史跡」。明治31年(1891年)に建設されたもので、千葉県でも残っているもので最も古いレンガ造水門らしい。坂川を少し覗いて、小山樋門史跡の歴史を感じてみよう。

⑫交差点の看板建築
レンガ門からすぐ近くの角町の交差点には、看板建築?とも考えられるかなり古い建物が揃っている。現在も交通量が多いが、松戸宿として栄えていた当時も、東京からの入り口として機能していたのではないかと思う。

時が止まってしまった美容室。電柱の傍にある石製のごみ箱もどこか懐かしい。

丸い筒のようなものは、昔のたばこの吸い殻を捨てる場だろうか?今は植物が育っている。

食事処に見える和風な建物。後日訪れたら工事をしていたが、昔はどのような建物だったのだろうか?住宅地図を手に入れたら確認したい。

これは看板建築…!緑色が良い感じに色落ちしており、そのまま残っているのが嬉しい。

間に挟まれた生花店は、少し傾いているようにも見えるが、感覚が狭いため、改修工事も難しいのかもしれない。
⑬松戸宿に関する石碑
松戸宿に関する石碑は、江戸川沿いの道にも再建されている。本来は木製で、位置も反対側にあったようだ。「是より御料松戸宿」の石碑は、江戸川を船でわたり、松戸宿に入ってくる人々を迎える意味もあったのだろう。
⑭船運関係の人々が住んでいた町
江戸川の近くということもあり、船運関係の方々が住んでいたと思われる街並みが川沿いに今も少し残っている。
江戸時代には魚市場などもあったそうだが。現在はシャッターが下りているお店も多く、悲しい雰囲気。交通量が多いが、歩道は狭いため、散策には注意が必要。

「梅沢洋服店←」と示した看板。この住宅の隙間に果たしてあるのだろうか?

覗いてみると、道から一段下がった場所に「テーラーウメザワ」。
これはかなり渋い…!営業しているようだった。

追記:2021年5月
1年後、訪れてみると…

閉店してしまったようだ。1年前、撮影しておいてよかった。コロナが影響しているのかな…

大きなYAMAHAの看板建築。現在は花屋として生まれ変わっている。ピンク色の雰囲気がかわいらしい。

⑮松戸学園
小山橋を向けて、南の住宅街へと入ってみる。小山橋からもレンガ橋が綺麗に見え、撮影スポットだ。
そして住宅街に突如現れる「松戸学園」。青い看板と白い文字は、比較的新しく思う。学園?とは?

白い塀からして、隣の家が気になったが、料亭?のような庭だった。松戸学園と関係性はあるのか。木造の建物が残っているものの、手前の部屋からはテレビの音が聞こえる。奥の建物が気になるものの、聞き込みできる勇気はない。
裏に回ってみることにした。全面クリーム色をした建物は、住宅街の中で異質な存在に見える。

松戸学園は幼稚園だったのだろうか?と思わせる某遊園地のキャラクターの落書き。うーん、この落書きは古そう。ますます松戸学園が気になる。

空地になっている裏には、門の跡。インターネットで検索してもなかなかヒットせず。この狭い場所に幼稚園があったとは考えにくいのだが…
⑯小山かじや
ふいにガラスケースを見ると、「千葉県指定伝統工芸品 指定品目下総打ち刃物」の看板が目に入った。なんと創業は文政年間と、江戸時代から続く「小山かじや」。何も無さそうな住宅街の中に、千葉県が誇る伝統工芸品が製造されている場所があるとは驚いた。

小山かじやの近くには、いかにも古そうな蔵。

蔵がある表の建物は、商店だったのだろうと思われるつくり。今は入口さえも分からなくなってしまっている。

同じく街道沿いにあった気になる建物。こちらは旅館だったのではないかと推測した。なぜなら、同じ敷地内にある奥の白い3階建てほどの建物が、ビジネスホテルにような感じがするからだ。一般住宅にしては、異様すぎる。

⑰ガソリンスタンドと燃料店
ガソリンスタンド「KYGNUS」が廃墟として残っている。最近ガソリンスタンドが廃墟化している場所が多い気がする。時代の移り変わりを実感した。

ガソリンスタンドの裏に、偶然なのかわからないが「渋木燃料店」という建物があった。燃料店からガソリンスタンドへバトンタッチされたのだろうか?現在は燃料店の建物に人影はなく、木製のレアな電柱や倉庫がそのまま残っていた。

「火気厳禁」の看板から、燃料店の名残を感じる。燃料店に対して馴染みがないため、どのように営業していたのかが気になる。
⑱浅間神社(小山)
少し足を延ばして、松戸駅東口をさらに南下した浅間神社(小山)まで散策することにした。東側へは、燃料店の近くから地下通路がある。

浅間神社は、松井天山が描いた鳥瞰図にも載っており、富士山を模した富士塚の頂上に本殿がある。

本殿までの参道には、一合目、五合目の石碑が建っていて、富士登山を楽しむことができる。誰でも富士参拝ができるように、富士信仰が江戸時代に全国各地に広がった。

また、レトロ電柱も数本残っているため、目を凝らしながら参拝したい。地元の方だろうか、階段を使ってトレーニングをしている方がいた。
浅間神社の隣にある渡邊新聞店はかなり立派な看板建築。新聞店でここまでレトロな建物は初めて見た…

他にも気になった建物
松戸散策をしていて、ほかにも気になった建物。「岡村商店」のコカ・コーラの看板。コカ・コーラと商店の組み合わせの看板は、統一されたものなのか、よく見かける。

岡村商店の入り口には、「MERIT」と書かれたたばこのホーロー看板。MERITは初めて聞いた種類だ…錆びているがなんだかおしゃれ。

一階部分が大きく開いた家。後付けされたもの?もじゃハウスになりかけているが、建物のデザインがおしゃれ。
水戸街道沿いには、マンションの名前に松戸宿の名残があるものが。「松戸宿 風雅24」。松戸宿は意味があって残しているのだろうか?

松戸散策MAP
松戸宿周辺の散策MAP。順番通りにたどり着けなくても、気ままに歩いていると面白い場所に出会ったりする。松戸の坂川周辺は良くも悪くもそのまま残っている建物が多く、散策にはぴったりだった。

松戸全体の歴史散策MAP

(訪問日:2020年6月)
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