「平潟遊郭」のレトロ電柱10本と遊廓史。松戸平潟遊郭散歩②~総集編~【レトロ電柱沼】

「平潟遊郭」のレトロ電柱10本と遊廓史。松戸平潟遊郭散歩②~総集編~【レトロ電柱沼】

松戸、平潟遊郭の10本のレトロ電柱。何回かの訪問でやっと見つけることができたレトロ電柱たちだ。平潟遊郭時代の名残を残すものは、柳の木のみと紹介されることも多いが、それは勿体ない!よく目を凝らして、松戸平潟遊郭に今も残る「レトロ電柱」に注目してみて欲しい。

 

イラスト地図を交えて、松戸、平潟遊郭に残る10本のレトロ電柱をご覧あれ~

 

そして、松戸駅周辺には13本のレトロ電柱がある。なんと平潟遊郭と合わせると23本!
こちらも合わせてご覧ください。

【レトロ電柱沼】松戸で見つけたレトロ電柱13本~総集編~

松戸・平潟遊郭のレトロ電柱との出会い

私が最初にレトロ電柱と出会ったのが、ここ千葉県・松戸の平潟遊郭だった。上下に特徴的な装飾がついたレトロ電柱。花街の関係するところでよく見られるものだと知った時、既に虜になっていたのかもしれない。レトロ電柱はコンクリート街灯などとも呼ばれ、正式名称はわかってないです。(今のところ)

 

最初に松戸の平潟遊郭に訪れたのは、2020年3月。この時は何気なく散策して5本のレトロ電柱を発見した。
水運で栄えた松戸の赤線地帯「平潟遊郭」歴史を語る、5本の柱

想像以上にレトロ電柱を多く見つけ、満足して記事を執筆したのも束の間、レトロ電柱が9本近くあるという話を聞いた。

 

自分の力不足を嘆くとともに、ひっそりと佇むレトロ電柱をさらに調べたいと思うようになった。そして、GoogleEarthを使って平潟遊郭の場所を予習し、万全の準備で再訪した。

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松戸・平潟遊郭の歴史

レトロ電柱の紹介に紹介に移る前に、平潟遊郭の歴史についておさらいしておこう。

平潟遊郭について

『全国遊廓案内』に松戸の平潟遊廓についての記載がある。平潟遊郭とはどんな場所だったのだろう?

松戸町遊郭 は千葉懸東葛飾松戸町字平潟に在つて、常磐線松戸驛へ下車して西北へ約五丁の處に在る。
東京都と千葉懸の境に在る町で、江戸川の川岸に臨んだ濱街道の要路に成つて居り、水陸の弁が善い。松戸の相模臺には競馬場があり、懸農事試験場があり、又日本唯一の園藝學校もある。川岸は魚釣りには善い場所がある。寛永年間には沢山の飯盛女が居たものだつたが、今日の遊郭は其の後身である。

僂には、喜樂僂、第一鶴寳來僂、第二鶴寳來僂、蓬莱僂、若松、濱名家、叶家、福田屋、百年、鈴金、三井家、第二九十九、一元等がある。


平潟遊廓は、「水陸の弁が善い」とあるように、江戸川の水運によって栄えたそうだ。そして、飯盛女を雇用する飯盛旅籠が平潟遊郭のはじまりとされている。飯盛女(めしもりおんな)は、江戸時代を中心に日本の宿場町に存在した私娼のこと。

平潟遊郭の北に位置する「松戸シティホテルセンダンヤ」は、新選組局長の近藤勇も宿泊したと言われているが、昭和に描かれた鳥瞰図を見ると、「安宿せんたんや」とある。

松戸シティホテルセンダンヤ
昭和5年松井天山の鳥瞰図

飯盛旅籠であったかどうかはわからないが、当時から続く旅館としてはセンダンヤが古い。このホテルの傍に、平潟遊郭の文字が入った道標があったらしいのだが、現在は行方がわからない。知っている方がいたら教えて欲しい。

道標については、以下の記事で紹介している。

【松戸】平潟遊郭に関する2つの道標。~平潟遊郭散策①~

松戸駅近くにある「そば処関やど」に「松戸町案内図」が飾ってあった。

「松戸町案内図」

平潟遊郭の地図も細かく書かれており、とても貴重な資料。

屋号も確認できる。とても見やすい!

平潟遊郭

鳥瞰図にも、平潟遊郭がしっかりと記載されている。赤く囲った部分が、平潟遊郭だ。そして、平潟遊郭の少し北に「安宿せんたんや」がある。南北には大門の姿。

平潟遊郭は、千葉県の遊郭の中でも規模が比較的大きな場所だったのではないかと思う。

昭和5年松井天山の鳥瞰図
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「松戸宿あんないマップ」にも、右上に平潟遊郭の記載がある。 「大門跡」や柳、墓について書かれているが、松戸の歴史として保存している様子がわかる。平潟遊郭をここまで街の歴史として残しているのは凄いことだ。

松戸宿あんないマップ

上の地図を参考に、平潟遊郭の屋号を書き込んでみた。しかし、現在は民家やマンションになっており、建物は現存していない。

 

平潟遊郭のイラスト地図

また、平潟公園がある場所は、土地が高くなっている。奥の土地との高低差は現在も確認できる。

手前が平潟遊郭

その後、平潟遊廓は、柳仙育英センターやマンションに変わってしまったとのこと。そのせいか現在もマンションが多くみられる。

育英助成株式会社の建物
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平潟遊郭の名残

平潟遊郭の名残はここにも。

鳥瞰図には「平潟神社」と書かれた現「水神宮」には、九十九楼が奉納したと思われる天水桶が2つある。

水神宮
九十九楼の文字

また、その隣の来迎寺には平潟遊郭の遊女のお墓もあるのだとか。

来迎寺

こちらも九十九楼の文字が入っている。

平潟遊郭の遊女のお墓
九十九楼

人目につかない場所ではあるが、平潟遊廓の名残はまだ残っている。平潟遊郭の名残は残っていないと諦めるのはもったいない!

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追記:成田山新勝寺にて

後日、成田山新勝寺の出世稲荷の近くで興味深いものを見つけた。

松戸市平潟 鈴木しづ」と書かれた文字。はっきりと平潟と書いてあるのがわかる。平潟遊郭に関係する方かはまだ定かではないが、情報がわかり次第、追記しようと思う。

成田山新勝寺にて
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松戸・平潟遊廓のレトロ電柱10本

それでは、お待たせしました!松戸・平潟遊廓の10本のレトロ電柱を一気にご紹介!

(撮影日が大雨だったため、レトロ電柱の色が暗くなってしまい残念。)

平潟遊郭レトロ電柱MAP

1.松戸シティホテルの方面から

松戸シティホテルセンダンヤのある通りから、平潟遊郭へと入る。一体は閑静な住宅街が広がり、遊廓があったとは想像もできない静かさだ。

アパートの片隅にレトロ電柱を発見。

リース防犯の緑のマークが貼ってある。現在も利用されているみたいだ。

上下ともプレートはなく、空洞になっている。

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2.民家の玄関前ど真ん中

こちらは、一軒家の民家の玄関のど真ん中に。

玄関の前はさすがに住んでいる方も気になるのではないかと思うが、傾きながらも残してあることに感謝。傾いているのを見ると、寿命は長くなさそう。

キューブ型の装飾が松戸のレトロ電柱の特徴のようだ。

 

上のプレートのみ確認できた。下はもぬけの殻。

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3.民家の庭

民家の玄関前に続き、民家の庭に刺さってるレトロ電柱。

裏側を見ることは叶わず…

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4.江戸川の土手方面

平潟遊郭のメイン通りを進み、江戸川の土手に出る手前。大きな柳の木の近くにある。

柳の木

※2021年4月~2022年7月の間に伐採されたみたいです。

当時は、大門があったところの近くだろうか。

プレートは、上下とも外されている。

銅線がむき出し。
表面の素材がボロボロと剥がれているようだ。いつまで耐えられるか…

晴れた日に撮影(2020年3月)

江戸川方面から平潟遊郭を眺める。当時はこのあたりにあった大門から入ったのだろう。

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5.水神宮

水神宮の境内、北東の端にレトロ電柱が埋まっている。平潟遊郭の範囲の中では外れの方だと思うが、広範囲にレトロ電柱があったことがわかる。

水神宮のレトロ電柱

欠けたプレート。

雑草が侵食し、雑草の住処となっている。

レトロ電柱の下部

白と青の装飾が残っているようだ。
街灯として、夜になると灯りがつくのだろう。

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6.来迎寺

遊女の墓を探している時、墓地の入り口で発見。寺の外からは見えづらいため、前回見逃したレトロ電柱。見つけた時は感動した。

来迎寺のレトロ電柱

プレートもばっちり残っている。寺の敷地だから保存状態が良いのかも。

下部のプレートには、江戸川区~の文字。製造された場所が書いてあるのだろう。

首輪を繋がれているかのようなレトロ電柱の頭部分。

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7.来迎寺の隣

来迎寺から、平潟公園へと向かおうと進んだ矢先、来迎寺の隣にある駐車場に沿うように佇んでいる。

えぐられてしまったかのようなプレートの痕跡。

頭の部分は何も残っていない…

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8.平潟公園

平潟公園の入り口辺りに、折れたレトロ電柱があると聞いたが…

平潟公園

公園の柵の傍に10センチほどのレトロ電柱が、銅線むき出しだが放置されていた。

なぜ折れてしまったのか、わざと折ったのか。今となってはわからないが、レトロ電柱の中が見える貴重な資料ではある。

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9.再び住宅街

平潟公園から、再び住宅街へ。アパートが多いのは、日本医科大学が近くにあるからだろうか。

松葉荘

アパートの前にもレトロ電柱が。しかし、普通の電柱にぴったりと隠れており、見過ごしてしまう事も多い。

右に見えるのがレトロ電柱

そして、なんと、レトロ電柱の下の部分が相当埋まってしまっているではないか。

平潟遊郭のある場所と比べると、かなり土地の高さを低いはずだが、レトロ電柱が埋まっている様子から、現在よりも低かったのかもしれない。

10.レトロ電柱の痕跡?

10本目はこじつけ…と言われてしまえばそうなのだが、角のコンクリートで埋められたような痕跡が気になった。

また、折れたレトロ電柱が数本あると聞いていたが、1本しか見つからなかったというのもある。もしかしたら、最近折れたレトロ電柱を撤去して、上からコンクリートで埋めたのではないか。

それだけでなく、⑤⑥⑦のレトロ電柱を辿ると、一直線上に等間隔にレトロ電柱が立っているのがわかる。もしかしたら、この場所にも直線の続きとして建っていたのであれば、納得がいくのだが…

黄色の線が一直線
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番外編 来迎寺隣の駐車場

駐車場にレトロ電柱が残っていないかと思い、隈なく探索していると、気になる痕跡を見つけた。民家の隣の四角い石の痕跡。井戸の跡?なにかはわからないが、何かがあったことはわかる。

そして、多くの車が駐車されている駐車場の真ん中に、ブロックが埋められたような痕跡が、列になっている。そしてその列は、先ほどの四角い痕跡から南北に続いているように見える。建物の痕跡?

不思議に思い、地図を調べたところ、駐車場の半分ほどが5軒の住宅であったことがわかった。その建物の痕跡が残っているのだとしたら、辻褄が合うのだが…

そして駐車場の隅、住宅があった場所には謎の石の列。石畳のような。ここは庭だったのだろうか。平潟遊郭は名残が少ないと聞いたが、意外と地に埋まっているのかもしれない…

庭?
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過去の写真と見比べて

『写真で見る昭和の松戸』に乗っていた平潟遊郭の写真に、レトロ電柱を発見した。(左のイラスト)

そのレトロ電柱からわかったことは、現在残っているレトロ電柱のキューブ型の部分に、横に伸びる装飾があったこと。それらは平潟遊郭では現存していないことがわかった。同じようなタイプのレトロ電柱が、船橋に残っているのだが、関係性があるのか詳しく調べてみたい。

 

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今回、平潟遊廓周辺を隈なく探した。家の敷地内にもまだ存在するのかもしれないが、探索できる限りで探した結果、10本見つけた。

 

一回目、平潟遊郭のレトロ電柱を探索に行ったときは、晴れていて、青空に映えるレトロ電柱が素敵だった。が、今回は生憎の雨だった。そのため、レトロ電柱も雨に打たれて黒くなっているのが残念でならない。

 

ぜひ、レトロ電柱を散策する際は、魅力が伝わる晴れの日をおすすめする。

晴れの日のレトロ電柱

空に映える

平潟遊郭については、松戸駅東口方面にもあるので要チェック!

松戸「平潟遊郭」ここも忘れてはならない!遊女が祈りを捧げた場「池田弁財天」

 

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(訪問日:2020年6月)

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