「平潟遊郭」に関する2つの道標。~松戸平潟遊郭散策①~
千葉県松戸市にはかつて「平潟遊郭」という名の遊郭が広がっていた。水運の街としても栄た松戸宿では、鳥瞰図にも大きく平潟遊郭が残されている。
今回は、平潟遊郭を巡る第一弾。平潟遊郭に関係のある道標について。
平潟遊郭から北側、水堰橋のあたりに平潟遊郭に関する石碑があるらしいのだが…
根本天満宮と、焼き肉店が多い道のり
JR常磐線、新京成線が通る松戸駅。駅前は繁華街として多くの人で賑わっている。しかし、一歩路地に踏み入れると途端に雰囲気が変わるのが松戸の魅力だ。
松戸駅西口を出て、駅前大通りを進む。旧水戸街道を北上すると、流山街道との交差点にあたる。その手前、銚子信用銀行とかざね薬局の間の道を進むと、水堰橋が見えてくる。
水堰橋に行く前に、「根本天満宮」へ立ち寄った。
根本町会倶楽部の建物と一体になった境内は、小さいながらも地域の方々に大切にされている様子がわかる。
1579年(天正7年)創建とのこと。かなり古い。
そして気になったのが、焼き肉店の多さ。花街が関係している街は、焼き肉店が多いという話もちらっと聞いたことがあったため、少し期待してしまう。
水堰橋(すいせきばし)近くの平潟遊郭の道標
水堰橋を渡り、焼き肉店「三味園」の北側の向かい建物の傍に、ひっそりと石碑が建っている。これが探していた道標だ。
訪問した日は、石碑を読むには環境の悪い大雨だった。(今度はぜひ晴れている日に、じっくりと観察したいものだ)
道標の表面には、左右を指す指のイラストと、平潟遊郭への案内の文字が。
指が指す向きとしては、平潟遊郭は左方向で正しいため、当時と場所はそんなに変わらないのだろうか。
さすがに文字が見えづらいので、イラストを描いてみた。
「右 流山野田道 左 平潟遊廓道」
松井天山が描いた昭和5年の鳥瞰図によると、黄色の丸で囲った部分が現在の道標の位置だ。
ちなみに、「玉三白玉粉」は鳥瞰図にも載っている。鳥瞰図と照らし合わせて散策するのも新たな発見がある。
稲荷神社と割烹料理
道標がある通りを、さらに北に進むと稲荷神社の赤い鳥居が目立つ。鳥居は新しいようだが、石の様子から見て、だいぶ古いものだろう。
その先には、「割烹 寿松」。
平潟遊郭からは少し離れたこの場所にも、花街の匂いが漂っている。
栴檀屋の前にあった道標の行方は…
水堰橋から、松の木橋の方へと戻り、松の木通りを江戸川沿いに進むと、「松戸シティホテルセンダンヤ」が見えるだろう。いかにも現代風のビジネスホテルという感じだが、このホテルの建物の前にも道標があると聞いた。
松戸シティホテルセンダンヤは、実は新選組の近藤勇も宿泊したという話が残っている、かなり歴史が古いホテルだ。松井天山が昭和5年に描いた松戸の鳥瞰図にも、「安宿せんたんや」とそれらしき旅館がある。
しかし、道標がどこにも見当たらない。
一周してみたが、それらしき痕跡も見つからなかった。
聞けば、シティホテルセンダンヤは最近改修工事を行ったようだ。工事の際に、どこかへ移転してしまったのだろうか。移転であればまだいいのだが…
松戸観光案内所の方にも訪ねたが、わからず。また、ホテルの従業員の方も入れ替わっているだろうとのことで、詳しい情報はわからなかった。
道標は一体どこへ行ってしまったのだろうか…。
平潟遊郭の歴史についてはこちら↓
松戸「平潟遊郭」に現存する、レトロ電柱10本!平潟遊郭散歩②~総集編~
(訪問日2020年6月)
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