「丸屋旅籠」祝!国登録有形文化財に登録!鎌ヶ谷宿の唯一の名残の赤い建物 -鎌ヶ谷大仏⑵

鎌ヶ谷大仏駅。大仏だけが魅力ではない!実は宿場町「鎌ヶ谷宿」として栄えていた名残が駅近くに載っているのだ。
旧旅籠「丸屋」。赤い外観は遠くからでもよく目立つ。しかも最近、鎌ヶ谷市初の国登録有形文化財に登録されたとのこと。これからますます注目したい建物だ。
旧旅籠「丸屋」
新京成電鉄「鎌ヶ谷大仏駅」北口から南へ建造59号を南下する。
すると、2階建ての赤い木造建築が見えてきた。明らかに周囲とは異なる建物。最初見た時は、不思議に思っていた。

県道59号は、かつて「木下(きおろし)街道」と呼ばれていた。木下街道は、行徳から利根川の木下河岸までを結ぶ道。
そしてこの鎌ヶ谷の地は「鎌ヶ谷宿」として7軒の旅籠屋が並んでいたそうだ。

「鎌ヶ谷船橋あたり」の記事に詳しく書いてあるが、地元の人にとってはどのような認識なのだろう。

建物については鎌ヶ谷市のホームページに紹介されている。
【建築年代】
[丸屋]明治30年頃、昭和31年改修
[丸屋離れ]明治30年頃、昭和50年代増築
明治期の旅館の名残が、令和の現在も残っていることが感慨深い…
丸屋は、江戸時代に木下街道沿いにあった鎌ケ谷宿の旅籠で、明治26年の火事で消失し、同30年頃に再建された建物です。明治35年にはすでに旅籠としての利用を終え、明治末期に改修された後は、住居として使用され、さらに昭和31年にアパートとして改修され、現在の姿となっています。
丸屋は、国土の歴史的景観に寄与しているもの、と評価されました。
なお、個人住宅のため、敷地内は見学できません。

旅館の面影が薄いな~と思っていたら、やはりアパートとして改築されているみたい。少しもったいないような気がするが、貴重な1軒が残っているだけでもありがたい。

窓は木枠。改築されてもかつての面影はとどめているのが不思議。

旅籠だった頃は、どのような外観だったのだろう。

2階の窓から、ひょいと昔の人々が顔を出してきそうな…ここだけタイムスリップした気分になる。

現在はとても交通量が多いため、全体を撮影するのがかなり苦労する。反対側から一枚。

国登録有形文化財に登録!郷土博物館にて
松戸市郷土博物館にて、丸屋の建物が国登録有形文化財に登録されたことが掲示されていた。2020年8月26日のこと。

旧旅籠とその離れが登録された。見取り図が掲載されているが、1階にかつての名残がうかがえる。土間や質店、風呂などがある。

昭和30年代(1960年頃)の丸屋。木が生い茂り、現在とは違った雰囲気。

丸屋は江戸時代から明治時代にかけて営業をしていた。大正時代には、木下街道を利用し宿泊する人がほとんどいなくなってしまったため、旅籠としての活用を終えたという。

私が初めて丸屋の建物と出会ったのは、国登録有形文化財に登録される前だった。
歴史的な建物が簡単に壊されてしまう現在、こうした新たな文化財が増えるのはとても喜ばしいことだと思う。あとは多くの方に鎌ヶ谷大仏以外の鎌ヶ谷の良さを知っていただきたいと感じる。
(訪問日:2020年12月)
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