「幕張銀座通り商栄会」レトロな商店街”銀座”、昭和にタイムスリップ! -幕張⑷

幕張にも銀座が!そう、JR幕張駅と京成幕張駅の間にある商店街が「幕張銀座通り商栄会」と呼ばれている。
銀座と名の付く商店街は、かつての賑わいの証…
「幕張銀座通り商栄会」の入り口へ
千葉県千葉市花見川区幕張町5丁目。総武本線「幕張駅」南口から伸びる商店街を踏切を渡った西側に、「幕張銀座通り商栄会」の街灯が見える。

グーグルマップにも記載されているし、大きな案内看板が設置されているので一目でわかるはず。閉店しているお店もあるが、まだ商店街としては機能している様子。

2003年の写真が「ベイタウン旅行倶楽部」に載っている。18年も前の写真だが、既に人通りは少ないようだ。カラフルな国旗がたなびいている様子が切ない。
現在は建替えられて、存在しないお店も多く映っている。

日曜日の夕方、商店街とは思えないほどに閑散としている通りを歩いてみた。
幕張銀座通り商栄会を探索する
道幅はわずか3メートルほど。まず見えたのは赤い屋根が素敵な商店跡?

調べたら「幕張食品」というお店だった。10年以上前に閉店している。

向かい側には、古い「いちのや豆腐店」というお店があったのだけれど…
現在はアパートに。
商店街の入り口付近は、営業しているお店が全然ない。

日曜日が定休日のお店がほとんどなのか、この日は完全にシャッター商店街となっていた。


茶販売店「石川園」はずっと前から営業している雰囲気が無い。


幕張銀座通り商栄会…銀座として賑わったころを見たい。

しかも、電柱のプレートにも残っていた。

斜めにデザインされた看板建築群。この辺りは普段は営業しているお店。

町中華「芳葉」は人気店みたい。以前よりもお店が広くなったのかも?

隣には薬局の広告が残っていた。


向かい側は次々と新しい建物に。今残っている建物もいつまで現存するかわからない。

薬局屋とテニスショップ。

花屋「サニー」は定休日?

幕張銀座通り商栄会の中心にたどり着いた。昔はすべてがこの場所で揃っていたんだろうな~

「みつるや」は衣料品店。時代を感じる。向かい側には「四山家具」があった。

「斎藤米店」はビタワンの看板が残っている。

衣料品店の「みつるや」は商店街に3店舗存在したようだ。

夢の跡…静まり返った商店街を眺めていると、地元ではないのになんだか切なくなる。でも不思議とこの密集した空間に留まっていたい。

「このみ手芸店」は定休日。

向かい側は、明らかに町中華だったのだろうな。

中華料理屋の左にあった、渋い飲食店もアパートになってしまった。
2014年のストリートビューの様子
本店は小岩と家庭ある「柳屋」と中華「龍華」。

いつもより長く撮影をしていたが、すれ違った通行人は数名。
この場所がいかに廃れているかがわかる。
横山歯科医院
ちょっと商店街を戻る。古そうな門柱がある「横山歯科医院」を見逃していた。
木製の看板に「横山歯科矯正研究所」とある。歴史がありそうな病院だな。

営業しているのだろうか。門は開いているが。
様々な病院建築を見て来たが、円柱がある病院はなんだか素敵だな~

商店街から京成幕張駅へ
本当はずっととどまっていたいけど、日も暮れてきたので京成幕張駅へ。

住宅街を抜けると、商店街の終わりが見えてきた。最後はあっけない。

国道沿いにある薬局。建物がとても大きい。

国道から狭い道に入ると、この通りは「房総往還」。古い建物がまだ残っている。

電柱に面白い表示。昆陽とは幕張と関係が深い、青木昆陽のこと。後で紹介する。

スーパー「八百石」。昔のスーパーというか、市場みたいな雰囲気。

シャッターの奥にはどんな商品が並んでいたのかな。


京成幕張駅前のお店
銀座通りから北側にある京成千葉線「幕張駅」。線路沿いにもお店がある。

弁当屋「コック亭」も素敵!

昭和の面影が残る弁当屋さんでお持ち帰りしたい~!

駅前にある中華料理屋「松楽」は口コミでも評価が高い。

水、木曜日が定休日みたい。

夜の様子に惹かれる。店主もそこまで若くなさそうだったので、早く行かないとな~

京成幕張駅。静かな商店街と町中華が残る街。

青木昆陽と幕張
「青木昆陽甘藷試作地」という歴史的スポットが、駅の南側にある。

千葉県指定史跡に、昭和29年に指定されている。千葉県のホームページによると、
京成千葉線の幕張駅のすぐ近くに、塀に囲まれた一角があり、「昆陽先生甘藷試作之地」と刻まれた記念碑が建っている。ここが享保20年(1735)、青木昆陽によってサツマイモが試作されたことを記念して県史跡に指定している場所である。
青木昆陽(文蔵)は江戸中期の蘭学者で、日本橋の魚問屋に生まれたが、学問を志し、京都の儒学者・伊藤東涯に学んだ。江戸に戻って町奉行大岡越前守忠相に知遇を得、幕府書物方に登用され、各地の古文書調査と蘭学研究に励んだ。昆陽は、人々を飢えから救う作物としてサツマイモに注目し、種芋で簡単に増やせる、狭い畑でもたくさん取れるといった特性や栽培方法などを研究し、『蕃薯考(ばんしょこう)』を著した。
享保の大飢饉(1733~34)の対策に苦慮していた八代将軍・徳川吉宗は、昆陽にサツマイモの試作栽培を行わせ、成功すれば全国に普及させるよう命じた。試作地には、天領であった下総国馬加(まくわり)村(千葉市花見川区幕張町)、江戸小石川の養生園(小石川植物園)、上総国不動堂村(山武郡九十九里町)が選ばれたが、特に幕張では種芋17個から2石7斗6升の収穫を得ることができた。その後、天明、天保と続く大飢饉の時にもサツマイモによって多くの人が救われ、昆陽神社も建てられた。
幕張から花見川にかけての地域は、昭和30年代までサツマイモ栽培の盛んな地域で、芋苗の供給地として知られていた。現在、全国トップクラスの生産額を誇る千葉県産サツマイモのふるさとである。
全国的に栽培されたサツマイモは、幕張から始まった。そう考えると、この場所の見方も変わってくるのでは?

道路を挟んだ向かい側には、「昆陽神社」があり青木昆陽を祀っている。

幕張の銀座。幕張は近代的なイメージがあったので、こんなに昭和感のある商店街が残っているとは知らなかった。いつまで残っているかわからないが、とても好きな一角だと思った。
(訪問日:2021年1月)
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1月に訪問されたんですね。
気になって私も中華料理松楽 を検索して見たのですが、
5月15日をもって44年の歴史に終止符を打ったとの事です。
それにしても同じ「幕張」でもメッセの辺りとは雲泥の差がありますよね。
新検見川と同じ様な感じで、京成幕張駅前もかつては、この中華屋の先に
大きな踏切があり、南北を今より人が行き来する事が多かったのですが、
アンダーパスが完成し車の利用者から見れば、この界隈は視界に入ることさえ無くなり、人は人で分断されその結果、昭和ノスタルジーな商店街は、
いつしか丸ごと忘れ去られて行きました・・
本当ですか!大ショック…!閉店の情報ありがとうございます…
なるほど、アンダーパスが完成して流れが変わったのですね。締めのコメントが胸に響きますね…いつも素敵なコメント、ありがとうございます。これからもコメント楽しみにしてます笑
ストリート・ビューの「柳屋」さんは和装小物の店です。時代小説を読んでいた頃、着物の事をあれこれ聞きに入りました。一番賑わっていたのは1980年前後じゃないのかな?駅反対の「三徳」さんも「ノザワ」さんもその頃に既にありました。当時は昆陽神社もどっしり大きなものだった。そう、開かずの踏切!JR総武各駅・快速、京成線で5分以上は待たされていて困ってはいたけれど・・・。
コメントありがとうございます!情報、有難いです…踏切が解消されたのは良いですが、商店街は静かになってしまったんですね
街中華のお店は「つるや」という屋号でした。
餃子が名物で、厨房の奥でおじいさんが何百個も餡を皮に包んでいた様子を子供の時に覗いたりしました。
店内にはテレビがあり、たまの夕方、母親と妹で買い物帰りにタンメン(80円!)と餃子のセットを食べるのが楽しみでした。たまに担任の先生と出会ったり、1970年代はかなり繁盛していました!ガラナジュースと出会ったのもつるやさんでした!昭和の原風景です。
はじっこさん、コメントありがとうございます!タイムスリップしてお店に入ってみたいです。温かい昭和の風景が思い浮かびます。