真壁「上宿通り」。国登録有形文化財が104棟、文化財が並ぶ街並み -真壁⑴

日本で一番文化財が多い街、として知られる茨城県真壁町へ。
戦国時代に造られた城下町の街並みのまま、現在は「伝統的歴史的建造物群保存地区」として街全体が保存されている。まずはバスで降りた上宿通りから探索。
真壁町の歴史
茨城県桜川市真壁町へ到着!JR岩瀬駅からバスに乗って20分ほど。自然豊かな山々に囲まれた真壁町へ。

桜川市真壁町真壁は、国選定重要伝統的建造物群保存地区で、104棟が国登録有形文化財に登録されている。
江戸時代から道幅もほとんど変わらない町割りで、全国的に見ても珍しいと聞き、一度訪れてみたかったのだ。

桜川市観光協会のホームページに詳しくまとめられているので引用させて頂きます。
真壁の町並みは、真壁氏が戦国時代末期に整備した城下町に起源を持ち、江戸時代初期の浅野氏時代に完成、陣屋が置かれたところを中心に古い町並みが広がっている。
江戸時代には、大阪や奈良、岡崎から木綿を仕入れて月12回の市を開き、会津や米沢など東北の商人を集める木綿流通の拠点として、さらに周辺地域の物産が集散する在郷町(ざいごうまち)として繁栄。月12回も市が開催されるなんて!それだけ賑わっていたということですね。
明治時代に入ると製糸工場が建設されるとともに、新たな産業として石材業(真壁石)も興り、木綿から米殻、酒造へと取引も変化していった。

また、天保8年(1837)に火災が生じたため、今までの茅葺・板葺きから瓦葺き、見世蔵や土蔵を建設し、現在の街並みへ。大正時代には筑波鉄道が開通して真壁駅が開業、時代の特色豊かな建造物が立ち並びようになった。
昭和50年代から真壁の伝統的な建造物の取り壊しが目立ち始め、平成に入ってから町並み保存の動きが本格的に動き始めたという。しかし、東日本大震災の際は全国の伝統的建造物群保存地区の中で最も被害の大きな地区となり、9割以上が被災。現在も修復中とのこと。
約400年もの間変わらない町並みを維持保存している地元の方々に感謝をしながら、真壁町の探索へ。マップなど資料も豊富なので街歩きが捗ります!
まずはバス停がある上宿通りから歩きはじめます。

104棟の文化財、すべては周り切れないと思いますが、可能な限りご紹介します!
猪瀬家住宅
まず見えたのは、猪瀬家住宅。

国登録有形文化財のプレートが門の前に設置されている。

戸長を務めていた明治初期に建設されたものといわれている。
真壁町で最も大きな薬医門。薬医門は、親柱とその背後の控柱、その上に切妻屋根をかけた門で、武家や公家の屋敷、また城郭や社寺などでも広く使われるようになった門である。
真壁では、明治に入ってから藩の規制が外れ、商家が次々と薬医門を建設したそうだ。
装飾は少ないながら、精巧な彫刻が施されており、真壁町の中心部には、猪瀬家住宅薬医門に代表される伝統的な門が20棟以上現存している。
一つ一つが見応えがあるので建築が好きな方は1日では見終わらないかも…

塚本家住宅
猪瀬家住宅の向かいにあるのは「塚本家住宅」。

明治41年築の土蔵、明治40年築の門、大正中期築の見世蔵、大正13年築の住居が国登録有形文化財。

昭和初期まで営業していた酒造蔵と店舗などの一連の建造物群。主屋は土蔵造りに鉢巻、腰を石組にした防火建築。門は裏門を移築したものだそうだ。


隣の高浜商店は営業中。

向かいの「きぬや食堂」は街灯看板があるが閉店してしまったのだろうか…

根本医院
うわあ、素敵な病院建築…と思っていたらこちらも国登録有形文化財の医院だったのでびっくり。

根本医院は、文政11年(1828)に建造された高麗門が国登録有形文化財に登録されている。天保の火災で焼けずに残った建造物として貴重だ。

根本医院は、歴代の医者の家。真壁の町並みで最古の建造物であるという。

解体修理時に言い伝え通りの文政年間の墨書が確認されたらしい。現在も右手の病院は内科・小児科として現役。

土生都家住宅
根本医院の向かいにある「土生都(はぶつ)家住宅」。

昭和初期築の主屋、明治時代築の高麗門が国登録有形文化財。

伝統的な和風住宅でありながら、2階の軒裏は洋風を意識した水平の板張りが入る。高麗門は本家にあたる根本医院の門と対を成す。
向かいの根本医院と対になっているというのが興味深い。
村井醸造
村井醸造は、明治時代築の店舗・脇蔵、大正期築の石蔵、昭和初期築の煙突が国登録有形文化財。

北関東に最も早く江戸中期に進出した近江商人による酒蔵の建物群。
関東で最初の近江商人!現在は12代目とのこと。

向かいにある石蔵は、大谷石。綺麗に改装されている。
ホームページから日本酒を通販で購入することができるので気になる方はぜひ。
上宿通りの商店
村井醸造の蔵の隣は、サカヨリ洋品店。

現在は営業していないようだが、半田商店に残る看板が良い~!思わず駆け寄ってしまった。

アサヒ靴に描かれたアサヒの旧ロゴを見ることができて嬉しい。

隣の石田商店はタバコ屋さん。

文化財に登録されてなくても素敵な建物が多くて目移りしてしまう…
伊勢屋旅館隣の「製粉製麺フスマ」はガラス戸に文字が描かれていて趣がある。

軒下にしゃもじ?が2つ打ち付けられているのが気になった。

調べてみると、神奈川県立歴史博物館のツイートに答えが。
常設展2階民俗コーナーの民家玄関の軒下に、木の「しゃもじ」が打ちつけられているのが分かるかのう?これは呪(まじな)いのためなのじゃ。百日咳や流行病を防ぐと言われていたのじゃ。今も昔も健康を願う心は一緒じゃな。
咳のまじないのため…真壁町ではほかにも同様のモノを見かけた。

今回宿泊する旅館伊勢屋。こちらは後で詳しく紹介します!

高久家住宅
右手にあるのは、「高久家(たかくけ)住宅」。

明治時代築の店舗。店舗兼住宅で、肥料商を営んだそうだ。
東日本大震災の後に全面的な復元修理を行い、建築当初に近い形で公開されている。

真壁町探索。一先ず最初の記事はこれで終わり。これから道ごとに詳しく紹介していきます~!
(訪問日:2021年8月)
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