”奉安殿”とは。真壁に残る、真壁小学校の貴重な洋風奉安殿 -真壁⑸
皆さんは「奉安殿」というものを知っていますか?戦前まで、全国の学校に設置され、天皇皇后の御真影と教育勅語を納めていた建物。現在も残っているものは少なく、私は初めて奉安殿を実際に見ることができた。
「奉安殿」とは
まず、奉安殿(ほうあんでん)とは何なのか。真壁の奉安殿を辿る前に、奉安殿についてまとめておきたい。
戦前、天皇皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物で、全国各地の学校に設置されていた。厳重に管理、毎朝奉安殿の前で拝殿していたそうである。
当初は講堂や職員室、校長室内部に奉安所が設けられていたそうだが、これらの場合、火災や地震などの場合に御真影を守ろうとして殉職したという話も残っているほど、危険が多かったため、独立した形の奉安殿として建造されたとのこと。
建築物としては様々なパターンがあり、真壁のようなギリシャ風建築や、鉄筋コンクリート造、レンガ造り、神社風建築など…
戦後はGHQの神道指令によって奉安殿は廃止、撤去する指示が出たため、現在も残っている者は少ない。
旧真壁小学校の奉安殿
茨城県桜川市真壁町古城。旧真壁駅近くに残る奉安殿がこちら。
「みるく美容室」の隣に美しい洋風建築の奉安殿が保存されている。
土台の上に建っている2m程の四角い建物。ギリシャ風建築の奉安殿は保存状態も良い。また、訪れた日は扉が開いており、現在も御真影と教育勅語が飾られていた。
以前訪れた方のブログを見ていると、奉安殿の前に説明看板があったようだが、私の時は無かったので、看板の説明を参考にさせていただきます。→茨城県 旧真壁町 旧真壁小学校にあった奉安殿
この奉安殿は、真壁町立真壁小学校正門脇に建てられていたもので、壊すに忍びず、二週間かけてソリに乗せてこの地に移設したものだそうだ。その後、毎年、伊勢神宮、内宮(皇大神宮)外宮の御礼をいただきつつ、保存に努めてきたと書いてある。
2週間かけて移設…確かにこのコンクリート造の奉安殿は壊すには勿体ない。多くが木造建築の奉安殿の中で異彩を放っている。
若い世代、私の親の世代ですら奉安殿の存在を知らなかったので、こうした歴史があったことをしっかりと次の世代に伝えていきたいと改めて思った。
ちなみに、千葉県の奉安殿について述べると、野田市中央小学校の旧校長室には奉安殿が現在も残っているという。独立した形ではなく、最後まで校長室に奉安所が設けられていた事例もあるようだ。他にも県内には奉安殿の建造物が残っているので、これから訪問し、記録に残しておきたい。
(訪問日:2021年8月)
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