「空挺館(旧御馬見所)」を見学。船橋に眠る、白亜の明治近代建築。習志野の「迎賓館」!

2021年、最初の記事は「空挺館(旧御馬見所)」。知名度があまり高くなさそうだけれど、実はすごい近代建築が千葉県船橋市に眠っています。空挺館が一般公開されるのは、毎年開催される春・夏祭りの時期。
2020年は開催されなかったが、以前撮影した写真から貴重な空挺館の様子を紹介したいと思う。明治天皇をはじめとした皇族にゆかりの深い歴史的建造物だ。
2022年訪問の写真を追加しました。
空挺館(旧御馬見所)とは
空挺館(くうていかん)は現在、千葉県船橋市薬円台3丁目の「陸上自衛隊習志野駐屯地」内の展示施設として残されている建物。
明治44年(1911)に明治天皇専用の御馬見所として創建された。なぜ、この場所に明治天皇が関わっているのか?周辺の歴史とともに紹介しよう。

第二次世界大戦前の話。それまでの明治天皇は、陸軍騎兵学校などの卒業式や、陸軍の演習を総覧するなど、騎兵隊の戦術や馬術に日ごろから親しまれていたという。
当時の陸軍騎兵学校は、東京都目黒区駒場にあった。高齢の明治天皇ために、明治44年に専用の御馬見所として建設されたのが空挺館である。当初は目黒区に建てられたのだ。

その後、大正5年(1916)に陸軍騎兵学校が千葉県の習志野原に移転。御馬見所も解体・移築され、天皇や皇族のための迎賓館、米軍の宿舎などとして使われた。「迎賓館」「皇族館」「皇族舎」などと呼ばれていたこともあったそうだ。昭和37年(1962)に「空挺館」に。
まさに船橋市の迎賓館!残っているのが凄い。

現在は、陸上自衛隊第1空挺団の資料や、陸軍騎兵学校の歴史を伝える展示施設として保存されている。

外観はコロニアル様式だが、陸軍関連施設のためシンプル。
船橋市内には、こうした文化財的洋館が少ないので、残っているのは嬉しい。
平成4年に(1992)に船橋市指定文化財に指定されたが、2年くらいで解除された経緯がある。その背景として、修復に向けた工事があったのだと思われる。文化財に指定されると、自由に修復することが難しいからだ。
国登録有形文化財になっても良いくらいの価値が高い建造物。今後の動きに期待したい。
修復前の空挺館
2011年8月の写真。今の空挺館の外観と少し違うのがわかるだろうか?バルコニーが少し歪んでいるように思う。昔からの様子がよくわかる写真。残っていて良かった。

老朽化のため、2012年に修復作業が行われた。現在は建物の歪みもなく、綺麗な状態で保存されている。
こちらは、雪の日に撮影した空挺館の写真を提供していただいた。美しい…

レンガ造りの門も相まってタイムスリップしたかのような素敵な風景だ。
空挺館1階へ
普段は公開されていない、空挺館の内部。正面に見えてくるのは階段だ。高齢の明治天皇に配慮したつくりになっており、傾斜がゆるやかな帝王階段が美しくそびえ立つ。

エントランスホールは天井が高く、柱や展示室入り口のデザインも繊細だ。

以前行った時は、気づかなかったが、建築物としての見所もたくさんある。落ち着いたらまた見学に行きたい。

1階は陸上自衛隊に関する展示物が各部屋ごとに展示されている。自衛隊が好きな方はぜひ。

階段の傍には休憩のために椅子も置かれていた。

帝王階段をのぼって
ふかふかの赤い絨毯の階段。

普段このような階段を利用する機会が無いので、気分が高まってくる。階段や踊り場の作りも見事だ。


階段はバルコニーへとつづく。本当に迎賓館を見学しているような美しさ。

2階から見た階段。連なっているシャンデリアと、縦窓が開放感を際立たせている。

2階は帝国陸軍騎兵関係資料が展示されている。



天井のデザインにも注目。

皇族専用のバルコニー
そして、空挺館で一番の魅力は2階のバルコニー。当時この場所から陸軍習志野演習場が良く見渡せたという。現在は周辺は住宅地に。

窓ガラスは建築当時のままらしい。ちょっと見えづらいけど、歪みが確認できる。そして、天皇家の家紋である「菊の御紋」も金色の輝きを放っている。

皇族用の椅子。生々しく歴史を伝える証人。

ちなみに空挺館がある「習志野」という場所は、陸軍大演習の際に明治天皇によって名付けられた格式高い?地名。地元の方は誇りに持てる地名かなと。
明治6年(1873)に、大演習の全体指揮をとっていた篠原陸軍少将の活躍をたたえ、「篠原を見習うように」との明治天皇の言葉から、「見習篠原」、「習志野原」という地名に。

バルコニーの天井は、薄い紫色。

他の展示室から見たバルコニー。普段は公開されいないので、地元の方でもあまり知らない建物なのでは…

これだけの歴史的建造物がまだまだ船橋には眠っているのは建築好きとしては嬉しい。

追記:2022年秋 一般開放
コロナ明けにより一般開放が定期的に開催されている。
詳しい館長さんに案内していただきながら、以前とは違った観点で見学。



旧日本陸軍騎兵部隊展示
2階の旧日本軍騎兵部隊展示。

習志野騎兵旅団の記念盃。当時商店街で販売していたことに驚き!大久保の商店街にもゆかりの地が残っている。↓京成大久保駅周辺の歴史。軍隊の街と商店街の「カフェ」の関係性

明治44年、東京目黒にあったころの空挺館の写真。




現在の陸上自衛隊の範囲はピンク色。当時は緑の範囲。かなり広範囲まで敷地があったことがわかる。北習志野にも遺跡が眠っているのは知る人ぞ知る歴史。

司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の舞台も習志野。もしまだ観ていない方がいたらどうぞ。サイン入りポスターもレアですね~

当時の陸上自衛隊の夏祭りの様子。中央の赤い鉄塔は、落下傘の降下練習のための場所。

ちなみに、落下傘部隊がある第1空挺団は日本唯一の部隊として知られている。

今年は一般公開が開催されるといいな~!かなり昔の写真なので、一眼レフでしっかりと撮影したい。
追記:大正時代の写真
最近、貴重な空挺館の写真を見せていただいた。
大正12年8月に発行された『陸軍騎兵学校教導隊記念』から。

当時の記念アルバム的なものではないかという。
その中の1ページに、空挺館の写真があった。

大正5年(1916)に移転しているので、移転後の空挺館の写真だ。
大正時代…モノクロでも伝わる凛とした佇まい。これは素晴らしいな~そして100年たった今も残っているのが嬉しい。
一般の見学会は、月に一度(夏祭りの8月、12月、1月など行事がある際は覗く)開催されているらしいので、コロナの状況と空挺団のホームページをチェックしながら見学してみてください。(見学会の日はOBの方や歴史に詳しい方がいらっしゃるのでぜひ)
↓こちらは空挺館が表紙の『千葉の建築探訪』。おススメです。
(訪問日:2017年8月)
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軽々に外出出来ない立場としては日がな一日こちらのブログを眺め渡してはコメントを書きなぐるという状況が続きますが連投失礼致します。自衛隊程近く、成田街道沿いには数年前まではバロン西が下宿していた商家、仲三好屋がありました。ストリートビューで過去に遡れば未だ在りし日の姿を確認できます。
いつもコメントありがとうございます!コメントをいただけるととても励みになります✨
1つ1つじっくりと読ませていただいています。じゃんじゃんコメントください!商家、最近取り壊されてしまいましたね…私も成田街道を歩いたことがあったのでショックでならないです