久留里線~久留里の歴史を感じる街並みを散歩!「久留里商店街」へ -久留里⑴
始めての久留里線&久留里駅!城下町として栄えた歴史深い街なので気になっていたが、一度も訪れたことがなかったので、木更津探索の帰りに少しだけ立ち寄ってみた。
2時間弱の短時間探索。
久留里線に初乗車!
房総半島を走る行き止まりの路線「JR久留里線」。千葉県木更津市の木更津駅から君津市の上総亀山駅までを結ぶ14駅。
開業は大正元年(1912)。かつて房総が「気動車王国」と呼ばれていた名残らしいが、気動車王国だったことを初めて知った。
久留里線は、千葉県が道路事情の悪さをカバーするために、県内各地に建設した「県営鉄道」の一つとして、陸軍の鉄道連隊によってつくられた。その後、太平洋戦争中は一部不要不急線として休止。
戦後に復活して今に至るそうだ。
本当は、木更津駅の隣にある「祇園駅」が気になって探索しようと思ったのだけれど、せっかくここまで来たなら久留里まで行っちゃおう!というその場のノリで久留里へ。
普段ワンマン電車に乗り慣れていないのでちょっとドキドキ。
以前、水戸と郡山を結ぶ「水郡線」に乗ったときの感覚と似ていた。
久留里まで電車が揺れる。地元の方がほとんどで、観光客はいないようだった。
「祇園駅」。木更津の隣にある駅だけど、どんな歴史があるんだろう?京都の祇園と関係があるのかと疑ってしまう。
また今度訪れよう。
久留里駅到着!
久留里駅へ到着!木更津駅からは片道40分ほど。陽が傾いているので急ぎ足での探索~!
江戸時代の久留里藩の城下町として趣深い町並みを残している久留里。観光目的で訪れる方も多いのでは?
今回は時間がないので、久留里城の方へは行かず、城下町を探索することにした。
早速、駅の目の前にある「太郎すし」が気になる。
お持ち帰りすし専門店らしい。今まで探索してきたけど、初めて見る類だな~美味しそう。
太郎すしの右手にある平屋の小屋みたいな建物は、かつての商店街跡。
みゆき通り商店街は、看板が無いが奥に中華料理屋があるので入ってみよう。次の記事で詳しく紹介予定。
久留里商店街を探索
みゆき通り商店街を抜けると、久留里のメインストリートに出る。
歩道が狭いので探索は注意。昔から道幅が変わっていないんだろうな。
みゆき通り商店街の入り口
みゆき通り商店街の正面入り口は、この建物の左横から。
入り口の狭さも気になるが、建物のデザインも独特。銀色のメタルテイストでおしゃれだな~
隣にあるのはモンテヤマザキの店舗。昔の写真を見ると、隠されている上部のデザインが素晴らしかったのだけれど…
木村屋金物店
向かい側にある「木村屋金物店」。建築に詳しくない人でも、存在感を感じて圧倒されるのでは。思わず「お~!」と唸った。
明治元年(1868)に建造されたとあるので、ざっと150年近く前の建物?!しかも現在も金物店として営業しているのが凄い。さすが城下町。
お店としては江戸時代末期創業みたい。久留里が城下町として賑わっていた頃から変わらない景色がここにある。
久留里商店街の北側へ
国道410号沿いに「久留里商店街」が形成されている。店舗の地図が「久留里フィールドミュージアム」に載っている。
本屋の隣の広い空き地。
ストリートビューを見ると、最近まで「浜野屋」という呉服店の建物があったみたい。城下町久留里も建物が更地になっているところが多いな…
駅の入り口のT字路のところに、ほんの少し前まで久留里商店街の大きなアーチがあったのだ。
久留里城がアーチの上に施され、豪華絢爛な商店街の入り口。
老朽化が原因なのかな…
追記:地元の方から在りし日のアーチの写真を頂いた。
2,3年前に老朽化、塗装の剥がれ落ち、高速バスが駅前に入れるようになどの理由で撤去されたらしい。納得。
商店街の街灯は残っている。
角にあるのは久留里名物の最中を販売している「三萬石」。
時間が無くて入れなかったので次こそは!
雰囲気が好きな建物だなと思ったら、食堂と書いてある。今は営業していないのが残念。
商店街を北へ進んでみよう。そば屋の「小春食堂」を発見!飲食店はいくつかあるので観光で訪れても困らなそう。
ガソリンスタンドの看板、「木村屋金物店」と書いてあるので先ほどのお店のことだろう。
しかも、創業弘化弐年と書いてある…江戸時代の1845年創業かあ。
チェーン店以外の個人経営のガソリンスタンドも今どき珍しい気がする。
北側は城下町というより、近隣住民の生活圏が垣間見えた。
久留里商店街の南側へ
今度は商店街の南側。木更津の街の悲惨な状況を見ていたので、それと比べると久留里はまだ生きているなと実感した。
そういえば、「久留里城周辺は猿や猪が多いので危ない」と商店街の方が教えてくださった。徒歩で城へ向かいのは危険なのかもしれない。
城下町らしい建物が見えてきた。
県道32号との分岐に建つ建物。立地も佇まいも素晴らしいが、どんなお店だったのかな?
新町通り
県道34号へ曲がる。 「新町通り」と呼ばれる道だ。少し探索してみよう。
敵に攻め込まれないように、入り組んだ道が多いと教えてもらったが、確かに脇道が多い。
そして「名水と城のまち」として呼ばれているように、井戸が多い街としても知られているみたい。
奥には山、水のせせらぎが聞こえてくる道。歩いていて気持ちが良い。
「新井白石旧宅跡」もあるらしい。
教科書にも登場する江戸時代の偉人は、久留里に住んでいたとは!びっくり。建物はないが、看板がたっているみたい。
新町通りから正面に見える、先ほども紹介した建物が気になる。人通りも多そうだし、元食堂とかかな~
久留里商店街の歴史を感じて
建物は新しく見えるが、改装されているのだろう。屋号とかはそのまま残っているのではないだろうか。
途中、セブンイレブンもあった。思っていたよりも建物が残っていて、歴史を感じることができる。
手前が駐車場になっている、奥の蔵が目に止まった。よく見たら、蔵を住居として現在も使っているようだった。
蔵の前にある街灯が哀愁漂う…
あんまり期待していなかったのに、レストランがあって興奮した。
昭和の雰囲気がプンプン。ぜひとも入りたいのだが、時間が迫っていて断念。
バンカムって名前も素敵だな。久留里は和のイメージしかなかったので新鮮。
隣は精肉店。肉のアピールが強い。
小島時計店に郵便局、金物屋…昔から変わらないであろう小さな個人商店。
創業寛永元年の酒造店「吉嘉」は見逃せない。
水が美味しい街なので、きっとお酒も美味しいんだろうな~遠くから見たら煙突が銭湯に見えたが、この街は銭湯は無かったのかな?
こちらも江戸時代創業の割烹旅館「山徳」。
建物を見るだけで宿泊したくなるな…
久留里名物の看板はあるが、お店は営業している雰囲気無かったな。
この辺りは駅からも離れるのでちょっと寂しい。
藤本屋商店。看板が夕日に照らされて美しいな…
坂本商店。こちらも閉店してしまったのかな…
坂本商店の隣、「紙屋金物店」は営業中。
立派な木造建築。
紙屋金物店は、説明看板も設置されていた。親切…
明治15年(1882)建造の木造2階建ての土蔵。かつては久留里藩に紙を納めていたと書いてある。
だから紙屋なのか~
名水百選にも選ばれた久留里の銘水。
汲むこともできるみたいなので余裕のある方はぜひ。徒歩だと厳しい。
久留里線から久留里商店街の記事、色々詰め込んでしまったので長い記事になってしまいましたが、見所が多くて探索が楽しかったです。
今回は2時間ほどの短時間だったのでまたリベンジしたいな~!!
(訪問日:2021年2月)
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久留里「山徳旅館」江戸時代創業の老舗旅館がどうしても気になる ー久留里⑵ 2021.06.23
初めまして。昭和期に久留里で少年時代を過ごした者です。
本稿を含め、サイト内を興味深く拝見しました。よくお調べになっており素晴らしいです。
>県道32号との分岐に建つ建物。立地も佇まいも素晴らしいが、どんなお店だったのかな?
元は「大島屋」という旅館でした。現在はリノベーションされて古民家風の喫茶を営業しているようです。
https://www.kisarepo.jp/2021/11/05/%E3%80%90%E4%B9%85%E7%95%99%E9%87%8C%E5%B8%82%E5%A0%B4%E3%80%91%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E5%B1%8B%E3%81%AB%E3%80%8C%E3%82%B3%E3%83%88%E3%83%8E%E7%8F%88%E7%90%B2%E3%80%8D%E3%81%8C9%E6%9C%88%E5%88%9D/
>「久留里56サービス会」
今でいうポイントサービスの一種で、日付で5と6ののつく日に商店街で買い物すると台紙にスタンプが押印され、一定数に達すると何かと交換できた記憶があります。現在は無くなっているのでは。
>煙突が銭湯に見えたが、この街は銭湯は無かったのかな?
久留里に銭湯はありません。吉崎酒造の煙突ですね。造り酒屋さんは基本あるのではないでしょうか。米を炊いたりする筈ですので。
久留里出身の方にコメント頂けて嬉しいです!ありがとうございます!
旅館からカフェ、素晴らしい転換で嬉しいですね。
商店街のスタンプカードがあったのですね~ 疑問が晴れてスッキリしました!