九十九里町片貝の歴史。「イワシの町」風光明媚な商店街の街並み -片貝⑴
九十九里町片貝へ。「イワシの町」として有名な九十九里浜のほぼ中央に位置する町。明治期には文人墨客が訪れる風光明媚な場所として、戦後はGHQに接収され米軍のキャンプが置かれるなど波乱万丈な歴史が残っている町でもある。
今回は、片貝の近現代史に着目。近代建築や九十九里鐵道に触れ、街並みを探索します。
片貝の歴史
千葉県山武郡九十九里町片貝。千葉の外房、九十九里浜のほぼ中央に位置し、漁業の町として知られる。さすが、イワシの町。街灯もイワシ!
世界で唯一、イワシをテーマにした「いわし博物館」が町役場の裏手に存在したが、2004年に博物館の文書収蔵庫でこの地域特有の自然湧出する天然ガスを原因とする爆発事故が発生し死傷者二名の大惨事に。2003年には天皇・皇后も訪問されているが、現在は入り口が閉鎖されている。
2015年に「海の駅九十九里」に「いわしの交流センター展示室」が再建されたそうなので今度行ってみたいな。
そして、片貝(かたかい)の地名の由来は…
紀州の加太浦(かたうら)の漁夫によって開かれた「加太開」が由来となっているそう(角川書店『日本地名大辞典』)。
大正15年には東金~片貝を結ぶ「九十九里軌道(昭和7年九十九里鉄道と改称)」が開通。昭和36年に廃止となり、現在はバス交通に。九十九里鉄道についてはまた別の記事でまとめたいです。
九十九里鉄道の影響もあってか、大正中期頃から海水浴場として賑わい始め、当時は「潮湯治」と呼ばれたという。高村光太郎・竹久夢二・徳富蘆花など多くの文人墨客が訪れ、現在も記念碑等が残っている。
また、伊能忠敬の出生地も内陸側の小関村に史跡が残っているそうなので今度伺いたい!
そして、車社会になり九十九里浜も日帰り圏内に…民宿や旅館も減少しているとか。
今回訪問したのは、片貝。九十九里町も広いので周辺の真亀や小関の方は今度ゆっくり歩きたい。今は建物が無いが、真忠組浪士屯所(大村屋)跡など行きたい場所はたくさんある。
九十九里町役場と道路元標
千葉県山武郡九十九里町片貝4099。九十九里町役場。
かつてはこの裏手に「九十九里いわし博物館」が存在した。
そして九十九里町役場の玄関脇に道路元標が建っている。
読みづらいが、「片貝町道路元標」と刻まれている。町役場の敷地内で保存?されているのが嬉しい。
そして、片貝町役場がある交差点へ。
次は、場所を移動して、海側のファミリーマート九十九里片貝店から九十九里町役場へ向かって県道25号沿いを歩いてみた。商店街が続いている。
元居酒屋の横道を進むと精肉店や写真店、食堂の面影が…かつてはその道の奥に九十九里鉄道の駅が存在したようだ。
居酒屋、鮮魚店、八百屋、洋品店など。鮮魚店の「やぶ鮮魚店」は現在も営業中。
ブロック塀に覆われているが旧商家?
その向かいに2018年頃のストリートビューには「酵素風呂 九十九里館」の案内看板が軌道道方向を指していた。
裏道を少し進むと、2014年のストリートビューには映っていた。
再び県道25号沿い。元商店?
隣にある白い洋風な建物は、旧中西薬局。片貝を代表する近代建築、ということを帰ってから知った。
訪問時はGoogleマップ上に情報が無かったが現在はピンが立っているので一目で分かるだろう。昔の資料も合わせて次の記事にてまとめたい。
旧中西薬局の向かいには板塀の邸宅。立派だな~
鈴木輪業社の建物脇を見ると…
商工案内図の中央に描かれている県道を歩いている。
つきみそうこうえん・八坂神社
引き続き県道25号沿い。「つきみそう公園」は、戦時中は民間防空監視哨が存在した場所で現在は碑が建っている。
片貝と戦争の歴史については、ボリュームがあるのでまた別の記事でまとめます。
そして県道沿いの八坂神社。鳥居は昭和2年製。
まるごとeちばの「八坂神社」のページに歴史がまとめられている。
八坂神社、創立年代などは不詳です。祭神は、須佐之男命を祀っています。敷地168坪の境内には、本殿(板葺)、雨屋(瓦葺流破風造)、拝殿(瓦葺)が建ち並びます。漁業家の信仰が特に篤い。3月23日の例祭には、神輿の渡御があります。千葉県指定の無形文化財の獅子舞を小学生が奉納します。神輿は海に入り神輿の屋根まで海につけ浜大漁、岡万作を祈願するお祭りです。盛大で村回りは2日を費やします。各氏子の家庭を巡幸して悪疫退散を祈祷します。引き太鼓も出ます。
そして、九十九里の「浜の七福神」の一つだそうでここは恵比寿様。→ ◆浜の七福神 恵比寿 八坂神社
恵比寿様は七福神中唯一の日本の神様で、漁業・商売繁盛の神として信仰されています。
元来、漁師の町であることから、漁業家の信仰が特に厚く、1904年に台風で旧社殿が倒壊し、1907年に再建されました。
また、現在の社殿は1907年築ということがわかる。
八坂神社を後にし引き返そうと思ったが、さらに50mほど西へ進むと殉国の碑が保存されている一角があったので立ち寄った。
殉国の碑から先にあるのは冒頭に載せた九十九里町役場なので海岸方面へ引き返した。次は海岸と並行して伸びる商店街を探索する。
(訪問日:2022年2月)
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