小岩「東京パレス」かつて”田園の中の大歓楽郷”と小岩大橋近くのむじんぼっくす ー小岩⑿
小岩に関する本を出版したので、小岩探索の続編をご紹介いたします!
昨日投稿した小岩の本→【お知らせ】『ラブユー小岩レトロ』発売開始!明里も一部執筆&イラストMAP掲載
東京の赤線を訪ねている人にとって欠かせない場所、小岩の「東京パレス」である。
「田園の中の大歓楽郷」
他の赤線地帯とも一線を画していた、不夜城は現在どうなっているのか。一度訪れてみたいと思っていた場所にやっと行くことができた。
東京パレスとは?
東京パレスを初めて知ったのは、木村聡著の『赤線跡を歩く』。
田園の中の大歓楽境
二百人の美妓が
ダンスホールに舞う
記録映画『赤線』のカラーフィルムも掲載されている。「青春の殿堂 都下随一のダンスホール」という看板からもわかるように、ダンスホールを兼ね備えた、他の赤線地帯とは少し違う様子が伝わってくる。
元々は時計会社「精工舎」の木造2階建ての女子寮が5棟並んでいたが、戦後、被災した亀戸の業者の一部がその建物をそのまま利用して米兵用の慰安施設(RAA)となり、赤線に。施設、システムとも異彩を放っていたという。
広大な敷地に五棟の二階建ての宿舎と、講堂を改装したダンスホールがあり、客はまずチケットを購入してダンスホールに入る。フロアーでは女性たちが顔見せを兼ねて踊っており、九時をもって房室を兼ねた宿舎へ引き上げる仕組みになっていた。
ダンスホールへ入るチケットとは別に、気になる相手がいればさらにチケットを買って女性の部屋へ。最盛期には300人もの女性がいたという。また、元々寮の施設だったため、共同炊事場や浴場、美容室、飲食店などもあったらしい。
『田園ハレム』の東京パレス
東京パレスについての資料は、作家坂口安吾の『田園ハレム』、永井荷風の『断腸亭日乗』など。
『田園ハレム』はkindle版は無料なので、スマートフォンでも無料で読むことができる。(全304ページ)
「東京パレスは広茫たる田ンボの中にタッタ一軒あるんだよ」
…一面蛙の鳴き声を、自動車の速力でものの三分もきいて走らねばなららないほど、見はるかす田ンボの中にポツンとある。
東京パレスの立地がいかに特殊であるかがわかる記述。田園ハレムという名が相応しい。
吉原や京都などダンスホールを兼ね備えたカフェーなどは存在したが、ダンスホールが独立している施設は東京パレスが唯一無二といっても良いほど、娼家的なものを取り払っているという。踊る美女をながめて、恋人を選ぶ。外観はパレスとは言い難かったと思うが、その施設、仕組みがパレス的だったのだろう。
東京パレスとは関係ないが、小岩に関する記述に驚いてしまった。
小岩というところは何県に属しているか?千葉県か?東京都か?ここがむつかしい。十人のうち、五人まちがう。小岩?そうか。あすこにはオハグロドブがあるぞ。バラバラ事件、首なし屍体、そんなものがあると、みんな小岩とちごうか?わかった!あれは警視庁が捜査する。東京都だ!小岩はお岩に似ているせいか、東京の人間は犯罪によって小岩を記憶しているようである。
昭和25年(1950)頃の小岩は、混沌としていて、私が想像している以上にカオスな雰囲気だったことがわかる。再開発でその歴史も埋もれるかもしれないが…
東京パレスの証言
戦前から小岩に暮らしている方にも東京パレスについて伺った。
・東京パレスは田園の中に。木造2階建ての建物が10棟くらい並んでいた。
・ウイルスは熱に弱いので行為が終わった後に使うための熱いお湯が24時間湧いていた。その共同浴場?によく母に連れられて行ったが、「(病気が移るかもしれないから)よく洗うんだよ」と怒られた。
・運動会が定期的に開催されていた。女性たちが水着姿で並んでおり、毎年、近所のおじさんが(運動会に)連れて行ってあげるよと言いながら、子供よりも夢中になっていた。
・近所の大工さんは年中、東京パレスへ出かけて、「父ちゃんいつもあそこで遊んでは病気に移ってきてかゆくてかゆくてしょうがないんだよ」と奥さんが話していた。
・地元の人よりも遠くから訪れる客の方が多かった。
ネットで検索しても出てこない貴重な情報。その方は子供だったため、あまり覚えていないというが、現在80歳を越えている。
地元の方に話を伺うことが本当に大切だなと感じた。
総武線小岩駅から訪ねて
東京都江戸川区南小岩5丁目12−9。東京パレス跡地へは総武線「小岩駅」から徒歩20分ほど。
小岩駅は何度も歩いてるけど、東京パレスへは初めて。ホームから見える看板も味があるな…
小岩駅周辺は、2020年9月に歩いたけど、再開発が進んでいる様子。街並みがどんどん変化している…
小岩駅南口の「フラワーロード商店街」には老舗店も多いが、再開発の影響で閉店しているお店も…噂によると、稲荷寿司の「丸八」も長くはないという…
訪れたのが6月下旬だったので、七夕飾りがとても華やかだった。
各地の商店街を歩いていると、こんなに飾りで賑やかな商店街をほとんど見かけないので、小岩のフラワーロードの雰囲気、とても好きだなと思った。
”さわさわ~”
飾りが風に揺れる音が心地よい…
フラワーロードを抜けて、国道14号線を新中川方面へ。
橋の手前、右側に見える日本郵政宿舎が東京パレスの跡地とされている。
日本郵政宿舎(東京パレス跡地)
街道沿いに建つ日本郵政宿舎が東京パレスの跡地とされている。
一帯はカエルがゲロゲロと鳴いていた田園地帯…というのは昔の話で、現在は住宅街に。
地図に「南小岩宿舎」と赤く囲われている場所が跡地と考えられるが、広い施設だったことがわかる。
当時の建物などは一切残っていないので、敷地内を探索することはしない。
周辺を探索していると、二枚橋の交差点付近に古い建物が残っていた。
交通量が多く、整備されて綺麗な街道沿いに唯一残る昭和の雰囲気。喫茶・中華「金時」という扉に惹かれてしまう。
閉業して既に時間が経っているようだが、東京パレスを知っているかもしれないなと勝手に想像した。
下小岩親水緑道
周辺が田園だったことを示す、「下小岩親水緑道」。宿舎から北東、小岩駅方面へ伸びている遊歩道だ。
このあたりは、明治の初めごろまで下小岩村と呼ばれて、農業が盛んに行われ、小川には魚が泳ぎ、鳥の遊ぶのどかな田園風景が広がっていました。
地元の方も「夏には蛙の鳴き声で寝れなかった」「丸い池がたくさんあり、茅葺屋根の家が建ち並んでいた」と話しているように、一昔前は長閑な場所だったことがわかる。
その面影を留めているのが、遊歩道傍に流れる小川。
現在の小岩大橋
新小岩と小岩を繋ぐ、小岩大橋。
しかし、かつては「二枚橋」という橋が架かっていた。その名残だけ道端で見られる。
二枚橋が架かっていた辺りを眺めるも遺構は無し。東京パレスを偲ぶものは残っていないな~
東京パレスへはどのように訪れていたのだろう。田園の中を歩いていると目立ちそうだけど…乗合自動車で訪れる人が多かったのかな。
小岩大橋を渡って新小岩駅方面へ。
街道沿いに気になる建物があった。
いかにも怪しげな、24時間営業…
大人の楽園は、まだ残っているのかもしれない。
情報が全然ないので、今度記事にまとめる予定…
東京パレスについて書いている記事は多数あるけど、運動会の情報など地元の方しか知らないであろう情報を記録に残せたことは良かった。
(訪問日:2021年6月)
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