湖北駅北側の史跡巡り。湖北村道路元標と鯖大師、一里塚 -湖北⑷

湖北駅北側の史跡巡り。湖北村道路元標と鯖大師、一里塚 -湖北⑷

引き続き湖北駅北側の探索。今回は、前回の中里通りから北側に並行する国道356号沿いを歩き、史跡を訪ねました。

※湖北の記事、間違えて前後してしまいました!

湖北村道路元標と鯖大師

千葉県我孫子市中里。古い街並みが残る中里通りの東側、湖北小学校に突き当たり中里通りは終わり。

湖北小学校

小学校を右手に、北側の国道へ。その道沿いにも見たかった史跡がある。

正面が国道

我孫子市湖北地区公民館の隣の一角に、「鯖大師 四国相馬霊場掛所」。

鯖大師 四国相馬霊場掛所

鯖大師…?初めて聞いた。御堂前の石碑にも「鯖大師」と刻まれている。

鯖大師

リアルな手も描かれているが、道標の役割を果たしていたのだろう。

手の絵も描かれている

我孫子まち歩きマップ_JR湖北駅・新木駅に各史跡の説明があるので引用します。

堂内には石造りの鯖をもった鯖大師像と弘法大師像が安置されている。新四国相馬霊場掛所。

こちらは折れてしまっている

また、お堂の隣の民家の門柱裏手には「湖北村道路元標」。道路元標は、大正8年に制定された旧道路法に基づき、全国各地の市町村に置かれたもの。

湖北村道路元標

なぜ民家の敷地内に…現在も残っているだけ幸いかな。

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国道356号沿い「湖北一里塚」

国道356号へ。交通量が多い上に、角にあった大きな屋敷はセブンイレブンに。

国道356号

国道沿い、こんもりとした大きな木と碑が残る一角が気になった。

遠くからでも気になる

近づいて見ると「湖北一里塚」とある。一里塚跡、湖北にも残っていたんだ!凄い。

湖北一里塚

江戸時代になると幕府によって江戸と地方を結ぶ主要道である「五街道」と、それに次ぐ「脇往還」が整備されました。「陸前浜街道」は江戸と徳川御三家が治める水戸とを結ぶ脇往還の一つで、五街道である奥州・日光道中の千住宿に始まり、新宿(葛飾区)・松戸・小金・我孫子の宿場を抜け水戸街道を目指しました。我孫子市内では、我孫子ー布佐間の国道356号線とほぼ重複するルートが取られていましたが、天和(1680年)の頃、我孫子第一小学校北側三叉路から柴崎神社前を通過し取手宿に向かうルートに変更になり、それより以東の古いルートは「成田道」と呼ばれるようになりました。江戸時代の街道には目印として約4キロごとに「一里塚」が設けられました。一里塚には榎の木が植えられていることが多く、これは榎の根で塚を保持しようとしたためと言われています。

我孫子市内には当時4か所の一里塚が設けられていたが、現在も”塚”として残るのは湖北と東我孫子のみ。千葉県内でも極めて稀な史跡。

現在の塚

現在は草木が茂っているが、交通量が多い国道沿いにこのような一里塚が当時のまま残っていること自体奇跡的…地元の方々による保存活動が行われているのだろうか。

昭和9年の碑

時代が変わっても、今も昔も変わらない場所があるってなんだか落ち着く。

国道から裏道を見れば

「中峠宿通道」と書かれた柱。古くは無さそうだが、この辺りが宿場だったことを感じる。

中峠宿通道
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郵便局、商店街など

西側に進むにつれ、お店がいくつか見えてきた。

メグミルク

旧根本商店

垣根で囲われた古い屋敷がまだ多い。

旧オオノキデンキ

「旅行のご相談は~」遠くからでも目立つな。個人経営の旅行会社、今はほとんど見かけないなと思った。

今井観光

向かいにあるのは「湖北郵便局」。

湖北郵便局

なかなかレトロな郵便局。文化財ほど古くはないが、昭和期の郵便局の姿も記録に残しておきたい。

奥に丸型ポストが

飯塚薬局

飯塚薬局から先は道路拡張工事が行われており、歩道が広くなった分建物がすべてセットバックされ古い建物が無くなっている。昔は商店街のような買い物が出来るお店がいくつか並んでいたのだろう。

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照妙院不動尊&龍泉寺

飯塚薬局の隣にある照妙院にも立ち寄った。左手に見える中峠下公民館は、大正初期に建造された学校の旧校舎の一部を移築したものだという。もっと丁寧に撮影しておけばよかった…

照妙院

奥に伸びる参道に惹かれて歩いていくと、広々とした境内が。桜の時期は綺麗な写真が撮れそう。

真言宗。本尊は不動明王。明治になる廃寺となったが、不動尊に札所が引き継がれている。不動尊は延暦23年(804年)空海が遣唐使の船中で制作したと伝えられている。新四国相馬霊場60番札所。

本堂

本堂に掲げられた一枚の絵図。ネットで簡単に調べたけど分からず。

これはいつ頃のものだろう

境内の奥には児童遊園があった。

児童遊園

児童遊園に面した裏道に建つ門柱。これも時代を感じるが、フェンスで囲まれており現在は門としては使われていない様子。

門柱

そして国道沿いに戻る。消防団器具置き場の前に建つ小さな道標。

右 新四国大師
大正

並びに近距離で石碑が!

喫茶店ぷりん

最後に、湖北駅丁字路付近にある「龍泉寺」。

龍泉寺

真言宗。本尊は不動明王及び童子。近世には中相馬の真言宗の名刹として知られ、近郷14ヶ寺有する勢力のある寺院であった。山門と本堂は昭和30年(1955)に上野凌雲院から譲り受けたもの。

山門

上野凌雲院、調べると国立西洋美術館が建設されたため現存しておらず、本堂と山門が移築に。我孫子市に上野の遺構が残っているとは知らなかった!

 

 

(訪問日:2022年3月)

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