湖北の近代建築「星野家長屋門」「中野治房邸煉瓦塀」旧道の中里通りにて -湖北⑵
JR湖北駅から歩いて、旧道の中里通りを訪ねた。道沿いには近代建築が二軒、現在も往時の佇まいをそのままに古き良き街並みが残る一角であった。
中里通り「星野家長屋門」
千葉県我孫子市中里。「我孫子まち歩きマップ_JR湖北駅・新木駅」に中里通りや周辺の史跡についてまとめられている。これを片手に歩くと分かりやすいかも。
前回の続きで、JR成田線「湖北駅」北口から中里通りを東へ進んでいる。
地元で中里宿(しゅく)通りと呼ぶ旧中里村中心部の通り。かつての農村集落のたたずまいが残る。中野家(13代当主の中の治房氏は戦前東京帝大教授で水生植物研究の権威。『湖北村誌』を校閲し旧湖北村の通りには星野家の長屋門やシイ、エノキの巨木が見られる。(両家共非公開)
旧中心部というだけあり、中里通り沿いは個人商店の面影がいくつか。下の写真は元文具や書籍を扱うお店だったようだ。
左手には立派な長屋門が見えてきた。先ほど紹介されていた「星野家の長屋門」だ。
江戸初期からの旧家で、湖北随一の大地主だったそう。
現在も住まわれているため非公開。周りも綺麗に整備されていて長屋門の姿が浮いて見えるようだった。
我孫子市の不動産会社による記事「星野家長屋門入り口」に詳しくまとめられている。
我孫子市中里にある星野本家の長屋門と井戸を紹介致します。
長屋門は間口12軒、奥行3軒入母屋造り瓦葺き2階建である。
3軒幅の門を挟んで右側5軒は住居、通用門のとなりあった坪の男部屋(下男部屋)※注1で左側4軒は2部屋の米蔵となっている。
門の材料は総欅(けやき)で扉の上下の横桟は建て13センチ、横8センチの厚いものである。
又明治20年頃に作られた、神社の屋根にも似た入母屋造り銅葺き屋根の井戸屋形が残っている。
井戸屋形は9尺角で、高さ1.9メートルの梁の上に重厚な屋根が載り、屋根を支える欅の柱は17センチ角である。
(これらの文章は「古木が語る湖北村の生活誌」 星野保書より引用)
*注1 雇われて下働きをする人
敷地内に入ることはできないが、銅板屋根の井戸も見てみたいものだ。
長屋門の両脇が空いていてすっきりした空間になっているが、2012年のストリートビューを見ると門を囲むように商店があった様子。向かいにあった鮮魚店も更地になっている。
現在は個人商店の名残がぽつぽつと。
中里通り「中野治房邸煉瓦塀」
しばらく進むと、中里通り左手に二軒目の近代建築が見えてくる。
下の写真は農家の敷地が更地になっていた。奥には祠や竹林も残っていた。
冒頭の中里通りの紹介でも記載があった中野治房邸。
こちらは門脇の椎の木が保存樹林に指定されている。
四足門と煉瓦塀は、明治14年竣工で千葉県内最古の煉瓦塀だという。
中野家13代当主の治房(1883~1973)は手賀沼の水藻の研究で理学博士となり、戦前まで東京帝大の教授をしていました。戦後は湖北村村長をに就き、また郷土の文化向上にも尽くしました。 中野家は江戸時代中期から明治初年まで酒造業を営み、成田街道に並行した中里通りと呼ばれる古道沿いにあります。四足門と煉瓦塀は明治14年の建築です。特に煉瓦塀は県内で最古の部類の煉瓦建造物で大変貴重です。(千葉県の近代産業遺跡より)
中野家は屋号が”酒屋”。醸造家だったころの話も興味深い。
ちなみに煉瓦塀に使われている煉瓦は地元で生産されたもの、という情報があるが湖北駅周辺でも煉瓦の生産が盛んだったのだろうか。あまり聞いたことが無かった。
その後も中里通りを歩く。南側は新築一軒家が並んでいた。
民家の角に建つ円柱。これは一体なんだろう?
上部が無くなっているけど、私が普段探しているコンクリート街灯かな?なお、反対側には遺構は無かった。
湖北編、まだまだ続きます。
(訪問日:2022年2月)
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